卓話時間
第1712例会
2016年06月20日 (月曜日)
- タイトル :
- ゲスト卓話
「大久野島毒ガス傷害研究会の歩み」
- 卓話者 :
- 第4代大久野島毒ガス傷害研究会会長
広島都市学園大学学長 河野修興氏
広島東RC所属
抄録
「地下鉄サリン事件」は、平成7年3月20日、東京都帝都高速度交通営団でオーム真理教によってなされたものである。すでに20年以上が経っているが、記憶に新しい。
毒ガスの歴史を紐解くと古代に至る。トリカブト、砒素、亜硫酸ガス、松ヤニなどを燃やして使ったと考えられている。特に有名なものとして、ギリシャの火と呼ばれているものがある。7~10世紀にビサンティン帝国がイスラム帝国に対して用いたものである。
その後、産業革命による工業技術の爆発的な進歩を背景として、第一次世界大戦では、ドイツ・オーストリア、イタリア、イギリス、フランス、ロシアなどが毒ガス兵器を実際に使用し悲惨な状況をもたらした。
わが国では、昭和2年の陸軍大臣通達により兵器としての毒ガス製造が決定された。昭和4年から敗戦までの16年間作製されていた。広島県竹原市の大久野島あった東京第二陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所においてである。
大久野島は現在、ウサギの島としても有名であり平和の象徴として多くの外国人も訪れる保養地になっている。竹原市忠海町の沖合い3キロメーターにあり、周囲4.3キロメーターの小島である。作戦上、昭和初期から敗戦まで、わが国の地図から消されていた島としても有名である。大久野島における毒ガス製造は軍事機密であったので詳細は不明な点も多いが、陸軍の軍人・軍属と戦後処理に携わった一般人の計7000人くらいが、これに関係していたと考えられている。
戦後は進駐軍の占領下にあったため、この毒ガス工場およびそこで働いた人々の情報は健康被害を含めて全く知られていなかった。昭和27年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって、初めてその調査が可能となり、昭和27年7月8日~8月2日の間に、広島大学(当時、広島県立医科大学)第2内科の初代教授であった和田直先生たちが、計5回、旧従業員210名の健康診断を実施した。
その後、和田直初代教授や西本幸男第2代教授、山木戸道郎第3代教授たちは、教室の総力を挙げて、公的な支援もないままに毒ガス障害者の救済活動に邁進し、昭和36年には、大久野島毒ガス傷害研究会を立ち上げた。当初は、皮膚科学教室、耳鼻咽喉科学教室、病理学教室など多くの教室が参加していた。彼らの努力が報われ、国、県、市町などの認識も高まり、昭和49年からは、毒ガス障害者の救済事業やその健康障害の研究費などが、国から支弁されることになり、多くの毒ガス障害者の方の健康管理や救済活動に多大の貢献をすることができるようになって、現在に至っている。この間、財務省・厚生労働省などの国、広島県、竹原市など自治体や毒ガス障害者の作る団体などの協力・救済の輪による社会貢献であったことは疑う余地もないことであり、関係各位に心から感謝している。
最も有名な毒ガスは、サルファー・マスタード(別名、マスタード・ガスあるいはイペリット)であり、皮膚や粘膜に爛れをもたらすため、びらん性ガスに分類されているものである。サルファー・マスタードが元になり、現在では、ナイトロゲン・マスタードやシクロホスファミド、メルファランなどの有力な抗がん剤が作られていることも紹介しておきたい。
戦時中、あるいは、戦後早い時期に旧従業員が負った障害の詳細については、全く不明であるので、健康診断を開始してからの健康被害に関して紹介したい。最も特徴的な障害は、膿性の痰を大量に喀出する慢性気管支炎である。健康診断を受けた旧従業員の80%近くが、膿性の喀痰を示していたのである。悪性腫瘍としては、肺がんなどの気道がんの発症率が、対象国民に対して非常に高率であることを報告してきた。
最近明らかにしたものであるが、疫学的手法を使ってイペリット作製に従事した旧従業員の肺がん発生リスクを検討したところ、イペリット工場で1年間働くと、2~5年肺がんの発症する年齢が早くなることがわかり、American J Epidemiology 173:659, 2011に発表した。興味のある方にはお目通しいただければ幸いである。
毒ガスは恐ろしいものである。地下鉄サリン事件も私たちを恐怖に陥れた。しかし、現在でもほとんどの国がこの毒ガスを作り続けていることを忘れてはならない。わが国も例外ではないのである。