卓話時間
第1711例会
2016年06月13日 (月曜日)
- タイトル :
- ゲスト卓話
「福島原発事故と健康影響」
- 卓話者 :
- 広島大学副学長(復興支援・被ばく医療担当)
緊急被ばく医療推進センター長
原爆放射線医科学研究所 特任教授
福島県立医科大学 副学長(非常勤)神谷研二氏
福島原発事故と健康影響
広島大学 副学長
福島県立医科大学 副学長
神谷研二
福島原子力発電所事故(福島原発事故)が発生し、5年以上が経過した。この間、県民や政府、福島県、及び多くの関係者の献身的な努力により着実に復興に向けた歩みが進んでいる。しかし、これから本格化する帰還を始め、未だ多くの課題も残されている。ここでは福島原発事故における緊急被ばく医療の対応や健康管理、及びリスクコミュニケーションについて述べる。
放射線事故に対応する緊急被ばく医療体制
広島大学は、放射線災害における我が国の緊急被ばく医療の拠点として、国より三次被ばく医療機関に指定され、平成16年度より西日本を中心に、緊急被ばくの医療体制の整備事業を実施してきた。この中では、地域の二次被ばく医療機関を中心に緊急被ばく医療を担う人材の育成や関係者のネットワークを構築し、万が一原子力事故が起きた際にも、このネットワークを通じて患者を受け入れたり、専門家を派遣できる体制などを整備してきた。人材の育成では、緊急被ばく医療の教育や線量の測定法、及び除染法や患者搬送での対応、養生等について研修や訓練を実施してきた。
福島での被ばく医療体制の混乱
この様な中で、福島原発事故が起きた。福島原発事故は、巨大地震と津波に加え原子力災害が発生するという人類が初めて経験した複合災害となった。このため、地震、津波により水道、電気、道路、通信などのインフラの破壊も発生した。これらに加え、避難指示が出された10Km圏内に初期被ばく医療機関が所在したため、緊急被ばく医療体制においても初期被ばく医療機関が機能しない事態が生じた。同時に、汚染患者の搬送拒否や病院での受け入れ拒否、住民の汚染スクリーニングレベルの対応など数々の混乱が生じた。さらに、住民の避難でも多くの困難に直面したが、特に入院患者や高齢者などの災害弱者の避難では、緊急の避難そのものにより多数の尊い命が失われ、多くの課題を残した。しかし、この様な混乱の中で、全国の緊急被ばく医療ネットワークの中で育ってきた専門家がいち早く福島に駆けつけ、緊急被ばく医療体制の再構築に貢献した。
広島大学の支援活動
広島大学は、三次被ばく医療機関として37班、延べ1300人以上の緊急被ばく医療支援チームを派遣し、様々な活動を支援した。先ず、最初に「緊急被ばく医療調整会議」の設立に協力し、全国から派遣されたグループが汚染スクリーニング活動を支援できる様に計画を策定し、そのデータの集計・管理を行った。また、専門家として住民の健康相談やリスクコミュニケーション、汚染スクリーニングを実施した。次いで、国の現地対策本部であるオフサイトセンターで支援活動を行い、被ばく患者が発生した際の搬送ルートや手段、及び受入医療機関を決定し、患者搬送のフロー図作成などを支援した。同時に、崩壊した初期被ばく医療体制を立ち直すためにJビレッジに設置された救急治療室での患者の受け入れ等を支援した。避難地域への「住民の一時立入」を実施した際には、これを安全に行うための中継基地において、現場の進捗管理、指導及び傷病者への対応等に従事した。さらに、二次被ばく医療機関である福島県立医大を支援し、警察官や消防士のWBCによる内部被ばく検査や住民の健康相談などを行った。広島からはHICAREやその他の団体等も被ばく医療チームを派遣し、様々な場面で福島支援をおこなった。
県民の健康管理
事故後にも住民は放射線物質が存在する環境での生活を余儀なくされており、長期の低線量の被ばくから住民の健康を守る必要がある。福島での健康管理では、1)被ばく線量の推定を基本とした健康状態の監視と管理、2)個人線量、食品汚染、環境放射線などの放射線モニタリングシステムの整備が不可欠である。福島県では、全県民を対象として県民の健康を守るための県民健康調査を実施している。本調査は、事故後4か月間の外部被ばく線量を推定するための基本調査と県民の健康状態を把握するための詳細調査から構成されている。詳細調査では、甲状腺エコー検査、健康診査、こころの健康度・生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査の4つの調査が行われている。第20回福島県「県民健康調査」検討委員会の報告によると既に46万人以上の住民の外部被ばく線量が推計されており、99.7%の住民は5mSv未満であり、最高値は25mSvである。
一方、甲状腺の線量では、実測された例は少ないが、その値は50mSv以下とされている。しかし、甲状腺のエコー検査では、18歳以下の子供達に多数の甲状腺癌が見つかり、この癌が高感度の検査を実施したことにより見つかったスクリーニング効果によるものか、放射線の影響によるものかが議論されている。国連科学委員会((UNSCEAR)は、住民の被ばく線量の推定を基に福島事故の健康影響について次の様に報告している。1)不妊や胎児への障害などの確定的影響は認められず、白血病、乳がん、固形がんについて増加が観察されるとは予想されない。2)福島県の住民の甲状腺被ばく線量は、チェルノブイリ事故後の住民の被ばく線量と比べかなり低く、チェルノブイリ事故後のように実際に甲状腺がんが大幅に増加する事態が起きる可能性は無視することはできる。(以上は、外務省,環境省,厚労省,規制庁による要約、第15回福島県「県民健康調査」検討委員会資料より引用)
また、長期間の避難が続く住民では、体重増加者、血糖管理不良者、肝機能異常者及び高血圧者が増加すると共に、気分の落ち込みや不安、トラウマ反応などの精神的な影響を測る指標の悪化も認められており、健康状態の悪化が認められている。
住民の不安とリスクコミュニケーション
原子力災害では、当然ながら住民は放射線による健康被害について強い不安を持つ。特に子供を持つ保護者や妊産婦の不安は強く、専門的な支援が必要な場合さえある。事故当初に住民が持っている放射線に関する知識は十分ではないが、マスメディアやインターネットなどの多様な媒体から様々な情報が乱れ飛んだ。しかし、住民はどの情報が正しいか判断に苦しむ場面が多々あり、住民の不安と混乱に余計な拍車が掛けるものとなった。その結果、間違った情報や理解のために、過剰な健康不安や農産物や産業製品が売れない等の風評被害も発生しており、現在も福島の住民を苦しめている。この様な不安を少しでも軽減化し、風評被害を防止、抑制するためには、リスクコミュニケーションが不可欠である。広島からも多くの専門家が福島に出かけ、住民を対象にリスクコミュニケーションに従事した。福島県民は、原爆被災から復興した広島の経験を知りたいと願っていたので、広島、長崎の専門家は、多くの場合住民から歓迎された。私は、福島県から放射線健康リスク管理アドバイザーに指名され、全県で放射線健康リスクの講演会を実施し、科学的根拠に基づく放射線の健康リスクや防護について説明し、広島の役割の一端を果たしてきた。
今後も福島の復興では、奇跡的な復興を成し遂げたヒロシマの経験や知識・技術が必要とされており、長期的な視点に立った支援が求められている。