卓話時間
第1570例会
2013年01月21日 (月曜日)
- タイトル :
- 会員卓話
「巳年生まれ会員挨拶」その1
- 卓話者 :
- 前原恒泰君、神保紘君、榎崎哲也君、髙田隆君
年男 前原恒泰君
私は6回目の年男となりました。
今までを思い返しても、24歳、36歳、48歳、60歳の時、このような形で皆様の前で年男の挨拶をしたかと言うと、記憶がありません。お祝いの言葉をいただいても、そのお礼の挨拶も簡単に終えて済ませていたのでしょう。
過去に 年男を迎えた時は、まだまだ仕事も現役まっただ中で、あれもこれもと追いまくられるような毎日で、じっと立ち止まって自分を振り返り、今後の人生を考えるような余裕を持ち合わせていなかったものでした。
今日は、こうして会員の皆様の前で、挨拶をする機会をご用意いただきましたので、改めて自分のこれまでを見つめ直し、何を大切にしてきたのかを考えてみました。
まずは、両親から生を受けて以来、たくさんの人様に色々な関わりをいただき、そして家族の支えをもらいながら、72歳を無事に迎えられることに感謝しています。
学校を卒業した私が 最初に社会との関わりを持った広島市役所においては、市民の皆さんの生活に密着したサービスや、街づくりのプロジェクトに関わることを通じて、人様との関わりを大切にし、相手を尊重して信頼を得ることがいかに大切であるかを学びました。
広島市を退職後に勤めた広島電鉄では、人に優しい超低床電車の導入や、横川駅構内への路面電車の乗り入れ整備などに関わりましたが、このように 広島の公共交通の充実に寄与できたのも、市、県、国、JRなどの関係機関や、地元住民の皆さんの協力があってこそのことで、まさに人様との関わりの大切さを再認識した時期でした。
並行してロータリークラブに入会して、はや11年が過ぎました。ロータリークラブは、奉仕に従事し、「超我の奉仕」を実践する場だと言われておりますが、ロータリーを通じて人々に手を差し伸べることで、社会への奉仕は一人で行うよりも、仲間とともに行うことで、より大きな力でお役に立つことができ、また、活動も楽しいものになるものだと実感しております。これからも人様との関わりを大切に、奉仕活動を通じて地域社会に少しでも貢献できるよう、会員の皆様と力を合わせて精進してまいりたいと考えております。
また、広島には 私のように島根県出身の方が多数住まわれており、「島根県人会」や私が生まれ育った地区出身者による「石見会」など、活動が盛んです。ふるさとへの思いは年を重ねるたびに強くなっておりますが、このような団体での活動を通じて、郷土の発展を側面から応援したり、同郷の方々と親睦をはかったりすることも、私にとって代え難い喜びであり、楽しみでもあります。
最後に、プライベートについてお話させていただくと、私の両親は共に75歳で他界したので、私も 後一回りを生きることが出来るか、自信がありません。でも、残された人生を、愚痴りながら、病に悩まされながら過ごしていくのは辛いものです。これからも時間を見つけては、自然に囲まれたふるさとで 野菜づくりや果物づくりに精を出すことで、旬の畑の幸をいただきながら、私自身の体力増進、健康維持にもつながりますし、田畑を少しでも荒らさないように努めることで、美しく厳しい自然の恵みを、子や孫の代へ引き継いでいくこともでき、これらもささやかな社会貢献になるのかな、と思っております。
今後とも、人様の関わりを大切にして、日々、泣いたり笑ったりしながら、いつまでも健康で過ごせるように努めていきたいと思っております。
どうも、ご清聴 ありがとうございました。
年男 神保紘君
ロータリークラブに入会し、3回目の年男になります。
現在仕事は一線を退き少しは気軽になりましたが、まだまだ目が離せません。なかなか引退とまではいきません。
蛇は脱皮を繰り返すことで成長していくとのこと・・・まだまだ人生勉強絵です。
年始の東京築地で魚の初セリで鮪一匹1億5540万円という値がつきました。ご祝儀相場とはいえ今年の景気の勢いを見せた思いです。
先日テレビでこの鮪業をみましたが、青森県津軽竜飛岬から下北半島大間港・北海道函館近くの戸井港を中心とした海の男達の心意気をみた感じで、私の今年の力となる思いです。
私は5人兄弟の一番下です。父母とも明治の人で、私は40歳代で親が73歳まで元気な姿を見てきました。父の年に近くなった現在「年が妙薬」と思いながら、一日一日を大事に楽しんで過ごしていきたいと思っています。
私の「小さな旅」は、まだまだ続きます。今年も宜しくお願い致します。
還暦を迎えるにあたり・・。榎崎哲也
還暦・・60年で暦が一回り・・・
今年は20年に一度の伊勢神宮式年遷宮、出雲大社では60年ぶりに平成の大遷宮が行われる。
同じ年に自分の暦も一回りし還暦を迎える。59歳というこの最後の一年、何かふっと落ち着かない一年であった。
何年か前、母親が“もう葬式はいや”と言いました。というのも父、長男の二人が59歳で他界し、家族、それも息子の葬式を母親である自分が出したことから出た言葉です。私はおととしの4月、人間ドッグで胸に異常が見つかり、“榎崎さん、80%くらいの確率でガンを覚悟してください”と言われた。その時自分は58歳、すぐにはいかないだろうからまた59歳かもしれないなと直感的に思い、母親の顔が頭に浮かんだ。その後MRI、PET等の検査で悪性のものが検出されず、1ケ月ほどで、胸の傷もCT検査で消えていることが分かり、とりあえず無罪放免されました。
ずっと以前、よくかわいがってもらったお客様との話の中で、去年から一線を退いて年金をもらい始めて自分に覇気がなくなり他の現役の同級生と比べても見劣りがするというようなことを言われていたのを思い出す。私自身は何歳になろうとも人間的には大きくなり覇気をもち続けたいと常々思っている
会社は今年合併10周年を迎え、いろいろな記念ツアーを予定しております。10周年記念ツアーの中で最も大きなものは昨年11月にご案内させていただいた“飛鳥Ⅱプサンクルーズ”でございます。現在定員800名に対して710人の方々にお申し込みいただいておりますが、残りの100人位の集客が大変なんです。榎崎の名前で中央ロータリークラブの方々のために数室仮予約しております。11月の3連休を利用したクルーズ、是非ともご検討いただきたいと思います。旅行代金については早期割引特典対象とさせていただいております。
プライベートではまだ孫の顔が見れないでいる。
人生まだまだ今からです。今後も皆様よろしくお願い致します。
4回目年男 髙田 隆君
「花のニッパチ」もいつの間にか還暦になりました。物の本による1953年に大学を卒業した学生が官界や経済界などで活躍したことから花のニッパチというそうですが、大相撲においては、北の湖、若三杉、麒麟児など昭和50年代に活躍した昭和28年(1953年)生まれの力士を指すそうです。昭和28年はNHKと日本テレビが本放送開始した年で、私も根っからのテレビッ子で、我が家にはトイレと物置以外の全ての部屋にテレビがあります。最近では、年を取ったテレビッ子をテレオツ(テレビおっさんの略)というそうです。
最近のテレビで記憶に残ったことが2つあります。一つは、NHKの大河ドラマ「八重の桜」の中で紹介された会津藩の「什(じゅう)の掟」です。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ。
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
三、虚を言ふてはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
六、戸外で物を食べてはなりませぬ。
七、戸外で女子と言葉を交わしはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。
もう一つは、たかじんのそこまで言って委員会で紹介された脳の老化を防ぎ成長させるマル秘テクニックです。28才だと思って生活し、脳番地を開発することで、脳年齢をなくして人生120年だそうです。
私ごとで恐縮ですが、昨年暮れには長男夫婦に子供ができて、本物のオジイ(NHK朝の連続テレビ小説で宮古島ではおじいさんのことをオジイというそうです。また、テレビ情報!?)になりました。還暦を迎えた上に「ほんまもん」のオジイになりましたが、いつまでも若く溌剌としておられる広島中央ロータリーの諸先輩をお手本にして、花のニッパチの心意気と28歳の気持ちを持ち、ロータリーの諸先輩言うことに背かず、先輩に礼節をつくして、次の巳年を迎えたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
6回目年男 平松恵一君
長らく例会に出席することが出来ず、申し訳ありません。
30年来の私の診察日である月曜日に並列して診察していただいていた私の後輩医師が体調を崩し、つい先日なくなりました。そのため、昨年は殆ど例会に出席出来ませんでした。出席するにはもう少し時間がかかります。
私の病院に関しましては昨年4月に八丁堀と銀山町の2病院を統合して比治山本町(二号線沿いで南区役所前)にヒロシマ平松病院を建設し、銀山町は整形外科と内科のクリニックとして残し、八丁堀は閉鎖しました。これを期に経営母体であるまりも会の理事長を弟に譲り、私は会長ということになりました。
比治山の病院は整形外科を主体とし、内科(内視鏡、循環器、呼吸器)・外科の三科です。
整形外科は脊椎、股関節、膝関節外科を専門的に扱います。私は月・金を銀山町の外来、その他を比治山とし、手術も脊椎外科に限り比治山で行っています。
医師会の方は、県の会長職をやっていますが、役割も広範囲で責任も重く勉強の毎日です。
新県医師会館は平成27年に新幹線北側の二葉の里地区に移転・完成します。県が設置する高精度放射線治療センターとの合築です。この二葉の里の医療ゾーンには、県歯科医師会館と県薬剤師会館も建設予定です。これにより三者の連携は一層強化されることになります。
この二葉の里の医療ゾーンは、前述の大学病院、日赤病院、県病院、市民病院の4病院の放射線治療の集約化の他に、メガホスピタル構想を含む各病院の再編、機能分化をはかり、再生医療、がんセンター構想等、広島都市圏の医療を考える懇話会(県主催)で検討中です。
懇話会では既に昨年10月に神戸の公益財団法人 先端医療振興財団の①臨床研究情報センターと②先端医療センター、神戸低侵襲がん医療センター開設準備室、東京のがん研有明病院を視察しました。
一方、事務局も①福岡アイランドシティー、②サガハイマットを視察しています。
これらを参考として、世界に誇れる二葉の里医療ゾーン構想の実現が待たれます。
さて、私はこの数年は道元禅師の正法眼蔵を読んでおり、とりわけ、山水経の巻の青山常運歩(山は歩く)の語句の解明に取り組んでおり、先日初めて東京・神田の古書店巡りをし、一冊の参考書籍を見つけました。しばらくこの本により、青山常運歩を研究してみようと思っています。
ロータリー活動も、何とか続けて参りたいと考えていますのでよろしくお願い申し上げます。