卓話時間
第1541例会
2012年05月14日 (月曜日)
- タイトル :
- ゲスト宅話
怒る清盛-頼山陽が描いた「平清盛」
- 卓話者 :
- 作家 見延典子氏
平清盛については、“悪人”というイメージが強かったが、最近では肯定的な見方をする場面も増えている。六波羅蜜寺にある清盛の坐像を見ると、どちらかと言えば謙虚な人というイメージを持つかも知れない。
清盛の有名な伝説としては、音戸の瀬戸を開削する時に、沈み始めた太陽を金の扇で煽いで招き返したというのがある。実際に清盛がこの工事を行ったかどうも定かではないが、それくらい当時の清盛の権勢が大きなものであったかを示す逸話ととらえるべきであろう。
現在清盛のドラマを毎週NHKで放映している。自分はドラマというのは、対立の構図をいかにうまく取り入れるかにかかっていると考えている。この時代を、つい平氏と源氏の対立の構図としてとらえがちである。そうではなくて、貴族と武士の対立の構図の中に、平氏と源氏が取り込まれたというようにとらえるべきである。
平氏の軌跡をたどる旅ということで、タレントの松村邦洋さんと一緒に、瀬戸内海をクルーザーで3日間かけて移動した。当時同じ道程を、8日間もかけて移動したということである。船も現代のものとは違うわけだし、ずいぶんたいへんな道のりであったのだろうと感じた。
私は以前から頼山陽について研究をして、いくつかの書物にまとめて発表してきた。平清盛と頼山陽を結びつけることは、当初はあまり考えていなかった。頼山陽の著書である「日本外史」の中に、平重盛に関する有名なくだりがある。『忠ならんと欲すれば即ち孝ならず。孝ならんと欲すれば即ち忠ならず。重盛の進退ここに窮まる』。この部分は、平家物語の一部を下敷きにしたものであるが、山陽の文才を如実に示すものと言ってよいだろう。
頼山陽は「日本外史」において、理想の政治形態として、古代の王制をイメージしていたように思われるだろう。しかし彼の弟子である関藤藤陰について調べるうちに、山陽は朝廷と幕府が併存する形を理想としたのではないかと感じるようになった。
卓話原稿を依頼したところ、今日喋ったことは原稿が無いので・・と言われ、著書を買い求められていたプログラム委員長にまとめていただいた。