卓話時間
第1513例会
2011年09月12日 (月曜日)
- タイトル :
- 故 砂田会員を偲んで
- 卓話者 :
- 藤村会長、橋本会員、緒方会員、村本会員、小佐古会員
故 砂田会員を偲んで
故砂田龍吾会員は平成13年10月(2001年)緒方会員、故高重会員の推薦により広島中央ロータリークラブへ入会されました。最初の奉仕活動は人間尊重社会奉仕がスタートでした。2005年に副幹事、2006年にロータリー財団米山奨学委員長、2008年には橋本会長の下で幹事として会長を助ける傍ら、中央ロータリークラブ30周年実行副委員長として記念行事を成功に導かれ、また合同幹事会代表幹事として幹事会をまとめられました。
2009年ロータリー情報委員長、2011年にはクラブ広報理事、委員長を務められ始めた矢先の悲しい出来事でした。
ロータリーの受賞歴もポール・ハリス・フェロー、準米山功労法人、準米山功労者、を受賞されました。
連続9年間100%連続出席を継続中でしたが、突然彼の意思なしに途切れることになりました。
このように振り返ってみますと、彼はロータリアンとしての道を驀進していたことを改めて感じざるを得ません。
私と故砂田会員とは広大付属高校の同窓(アカシア会)で彼は76回生、小生は50回生です。ちなみに湯崎知事は彼の1つ上の75回生です。
この間26年の差があり、これだけ間が離れますと通常は見も知らずの間柄で一生を過ごしたことになるはずだったと思います。
しかしながら2人が広島中央ロータリークラブに入会したことにより、先輩、後輩として過ごすことになり、ロータリーの取り持つ効果を実感した次第です。
私は現在20歳前後の若者を相手にしていますが、彼らの間では縦のつながりは殆どなく、先輩、後輩の言葉は無に等しい状態です。そのような時に最初に砂田さんから先輩と声をかけられた時には非常に親しみを感じるとともに自分が学生時代に返った様な気がしたものでした。
以来事あるごとに先輩、先輩と呼ばれ親しくさせていただいておりましたが、
橋本会長時代には幹事として、副会長であった小生に気を使っていただき、お蔭で何とかその職を大過なくまっとうさせていただいたのはつい3年前のことです。
幹事としての彼の働きは皆さんご存知の通りで、会長、何も知らない副会長を補佐し、クラブをまとめることに愚痴を一言も言わず、苦労を表にださず、淡々と、その手腕を十二分に発揮されました。人の世話をすること、組織の世話をすること、に関しては自分をまず横に置いておいて、何をすれば、どうすれば、
人や組織が満足できるかを、考え行った人であると思います。
自分はあくまでも裏方に徹し、全体を見回し、皆の笑顔に満足する、縁の下の力持ち、或いは4文字熟語でいえば、滅私奉公、ロータリーでいえば、まさに“超我の奉仕”に相通ずるところがあり、彼は根っからのロータリアンとゆうべき人であったと思います。
葬儀の時に、飾られていたパネルを読ませていただいたとき、高校時代は野球部の副将として主将を助けチームをまとめ、野球では無名に近い広大付属高校を地方大会、全国大会へ出場することができるような基礎を作り上げたように
書かれていたと思います。
彼はすでに高校時代から奉仕の精神を発揮し、ロータリアンとしての道を歩んでいたのかもしれません。
いずれにしてもクラブにとってこの上ない人を失った気がしてなりません。
謹んでご冥福をお祈りします。
会長 藤村 欣吾