卓話時間
第1617例会
2014年03月17日 (月曜日)
- タイトル :
- 新会員卓話「自己紹介」
- 卓話者 :
- 大坂隆志君
私は、緒方さん・橋本さんのご推薦を頂き、伝統ある広島中央ロータリークラブに入会させて頂きました大坂です。
この度は貴重な例会のお時間を頂き、自己紹介をさせて頂き有難うございます。この貴重な時間を大切に、そして少しでも私を知って頂けるよう頑張りますので、少しの間耳を傾けて頂ければと思います。
私は、1972年に大坂家の4男として広島市民病院で生まれました。
長男とは5歳しか違わず、ほとんど年子でしかも男ばかりで、さぞかし私が女の子であればと両親は願ったことと思います。
女手一つで私たちを育ててくれた、本当に感謝し自慢に思っています母を少し紹介させて頂きます。
私には親父の記憶がほとんどありません。
私が小さい時から、何らかの大人の事情で両親は一緒にいませんでした。
親父は比婆郡高野町の生まれで、安芸区の矢野で大坂組という大工を営んでおりました。
そこで母は離婚するまでは、朝早くから20人位の職人さんの食事や生活のお世話をしていたみたいです。
幼稚園に入るまでは、お父さんの親戚やおばあさんのところを転々とし面倒を見てもらっていたらしいです。
私が大人になり、いろんな親戚から「隆志はうちに3カ月おったんよ」とか「大坂家は4人も子どもがおるけぇ」という事で、母の知らないとこで養子に行く話も決まっていたみたいです。
母はそれを知り、私を連れ戻しに来た時に泣きじゃくって母にしがみついていた記憶はうっすらと残っています。
それからは、母と二男と三人暮らしでした。
そして、親父が44か45才の時、糖尿病と肝臓がんで亡くなりました。
私も遺伝かどうかわかりませんが、5年前に糖尿病と診断され1カ月ちょっとで12キロ痩せた経験をしました。
昔からかなりのお酒を飲んでいますので、内臓もあまりいい状態ではないと思います。
しかし、この中央RCには素晴らしい先生方がおられますので、もしお世話になる事がある時はどうぞ宜しくお願い致します。
何とか親父の寿命は超えたいと少し心配しています。
親父が亡くなってからは、それぞれバラバラに暮らしていた長男と3男とも一緒に暮らすようになり、少し照れくさかったのを覚えています。
母は、先ほどの若い時の写真の頃からスタンドに勤め、そして小さなお店ですがスタンドグラスと言うお店を、35年位今もなお継続させています。
71歳のおばあちゃんが一人でやってる店なので興味はないかと思われますが、年々お客さんも足腰が弱くなり動けなくなったり、病気になったり、少しずつお客さんが減って大変みたいです。
歌い放題時間無制限3000円ですので、カラオケ同好会の熊野さんなど是非お勧めしたいと思います。
母は本当に働き者で、いつも笑顔で明るく、そして子供に対する愛情も深い親です。
ちなみに孫は16人います。
昔は兄弟4人ともが少しグレた事もありましたが、最後まで逃げずに本気で子ども達と向き合ってくれた親でした。
そのおかげで、自分で言うのもあれですが、少し道は外したものの、性根の部分は腐らず早くに自立し、いつも前向きで明るい性格に成長することができたと思っています。
現在の私の家族を簡単に紹介します。
私も勝手な大人の事情で、別に暮らしています高2高1中3の子供と、現在一緒にいる小学校4年生・年長のチビたちそして妻がいます。
上の3人の子ども達は、すくすくと親のいう事を聞かず心配をかけながら育っています。
現在進行形の話ですが、長男が高校を辞めて市内の専門学校へ仕事をしながら行きたいと、わけわからない話をしています。
辞める理由が、先生がウザイとの事です。本当にわけわかりません。
何とか、私が失敗後悔した同じ過ちを歩んでもらいたくないと思っているのですが、なかなか思うようには育ってくれません。
先生がウザイというのも、子どもにとっては大きな問題なんだなと受け止めて、先生ともゆっくり話をしてみます。
先日の話ですが、長女が泣きながら「父さん高校受かった」と電話があり、無茶苦茶嬉しかったその日の夜、次女からも泣きながら「父さんごめん悪いことした、一緒に謝りに行って」と電話がありました。同じ日に全く違う理由で泣いて電話があり、まあどんな事であれ、いろんな経験をしながら少しずつ成長し自立していくんだなと改めて感じました。
決して立派な親とは言えませんが、愛情が深ければどんな事があっても、性根の部分は腐らず素直に育ってくれると思います。
愛情と責任感だけはしっかり持ち、子ども達と向き合おうと決めています。
改めて考えるとおふくろは大した人だと、おふくろの子どもで良かったと思います。
次に私の仕事を紹介させて頂きます。
私は、学生時代はあまり勉強をせず楽な方にばかり逃げていました。
その結果、少し早く社会に出て、仕事をしながら定時制に少しの間通いましたが、それも数カ月しか続かず、遊んでばかりでたくさん人に迷惑をかけてしまいました。
「このままではまずい、みんなに負けてしまう」と思い始め、17歳の頃から少しずつ落ち着き、塗装の仕事に着きました。
様々な塗装技術を学ぶため、いろいろな会社で修行させて頂きました。
1日でも早く独立したいという目標があり、地下足袋を履いて職人として22歳の時、勢いだけでトラック1台からスタートして新栄を立ち上げ今ました。
これまでたくさんの方々から支えられて、おかげさまで何とか今年で創業19年目となります。
仕事内容は、ビル・マンション・戸建てなどの、外壁・内装の塗装・防水・外壁全体の大規模修繕工事を行っております。
私は、趣味や私生活は自慢できるものではないかもしれませんが、仕事に対してはバカ真面目だと思っております。
もし何か、建物の事で気になる事などございましたら、気軽に何なりとご相談してください。
私のこれまでの人生の中で、特に自分自身が変わる事ができたきっかけが、一昨年卒業させて頂きました、広島青年会議所での多くの人たちとの出会いと経験です。
今まで付き合ってきた人たちとは違う、様々な業種の様々な考え方の人たちと出会い、これまで村の大将で、わがままに好き勝手やってきた自分自身を考えさせられました。
また、メールや資料つくりなど全くしたことがないアナログ人間でしたが、JCでかなり鍛えられ、仕事に活かせることが出来ました。
この経験がなかったことを考えると、今の自分がどうなっていたのか想像するとぞっとします。
本当に感謝しかありません。
そして、山野井さん宗正さんからのお誘いで入会させて頂きました広島中央ロータリークラブでは、出会う事や話をすることなど絶対ないような素晴らしい方々と、こうして一緒に活動させて頂けることで、また新たな刺激を頂き、もっと自分自身成長させて頂けることを感謝いたします。
まだまだ未熟な自分ですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。