卓話時間
第1618例会
2014年03月24日 (月曜日)
- タイトル :
- 新会員卓話「自己紹介」
- 卓話者 :
- 鳥井均城君
私は、緒方先生・村本さんの御推薦により、昨年の6月20日に入会した 鳥井均城です。
最初に私の会社と家族の紹介します。
私、鳥井均城は 1963年2月4日生まれの 51歳です。
現在、・石油製品の販売会社 鳥井油業 ・石油製品の物流会社 鳥井運輸・食品の輸送会社 広島埠頭運輸を経営しています。
鳥井油業(株)は25年前、社員6名 売上3億円の地域密着型のガソリンスタンドだけでしたが現在では社員数55名、車両台数40台、売上30億円の会社になりました営業内容は、家庭用灯油、工事現場の重機などの燃料、ホテルやビルのボイラー用燃料、自動車工業用潤滑油の販売をしています。
ご用命の際は是非、鳥井油業にお願いします。
今月新しい営業所を新設しました。同じクラブのプレハブ工業 砂田君に建設していただきました。
家族紹介
妻知子44歳資生堂に勤務していて教育担任として中四国9県を日々飛び回ってます。長女愛子22歳立命館大学4回生本来なら今年卒業予定でしたが残念ながら卒業出来ず4月から5回生になります。次女蓉子21歳は黒瀬先生の大学 広島女学院大学で管理栄養士を目指しています。三女滉子は、京都の龍谷大学で歴史を勉強している2回生です。さすがに大学生の子供が3人いると資金繰りが大変です。
私の経歴
私は宇品で育ちました、幼稚園は中央幼稚園、小学校から高校まで戸坂にある城北学園に通っていたため、地元に友達がいなく寂しい思いをする事もありました。
大学は北九州の九州共立大学に進学、大学では経営学部に在籍していました。
1回生2回生ではクラブ活動ばかりしていた為単位が取れず、3回生4回生の2年間で単位を取得しなんとかギリギリで卒業しました。
大学卒業後、京都の吉田商事という出光興産の販売店で3年間修行して、25歳で広島に帰郷後、鳥井油業に入社しガソリンスタンドで勤務、京都で学んだ事を進めていくうち、一人また一人と社員さんが退社していき、私と数人のアルバイトだけが残っただけとなりました。
当初の社長(父親)がガソリンスタンドを閉鎖するかと云われるまでに肉体的にも精神的にもボロボロになっていましたが、馬鹿息子が帰ってきて会社を潰したと言われるのが嫌でがむしゃらに頑張ってきました。何とか乗り切ることができました。
1990年 一回目結婚
毎年1人の娘が生まれあっという間に3人娘の父になってました。10年間、普通の結婚生活を送っていましたが、ある事をきっかけに終わりを迎えてしまいました。そのきっかけとは、2000年の1月 私が37歳の時、母が60歳の誕生日を迎え、同居する為の自宅を新築し、お祝いをした一ヶ月後、健康診断に行った母が余命一ヶ月の告知をされてしまいました。病名は胆管ガンでした、腫瘍の出来た場所が悪く手術が出来ないと言うことで抗ガン剤を服用するだけの日々が始まりました。
母は鳥井家でも鳥井グループの中でも中心人物で采配を振るってましたのですべてが大変な窮地に陥りました。そんな中、会社ではトラブルが多く発生して、解決する為奮闘していたやさき私は元の奥さんからこんなはずじゃなかったと離婚を突きつけられ、生涯で一番の苦しい時期に突入しました。一つが狂い始めるとすべてが狂い始めるという事を経験しました。
2000年、7月母が他界、9月に私が離婚。離婚後子供は私が育てる事になり、仕事と家事に奮闘する日々がスタートしました。その時、子供は小学1・2・3年生でした。子供達に寂しい思いをさせたくない、専業主婦に負けたくないという一心で、日々を送っていた結果一ヶ月で14Kgも体重が落ちて、歩くこともままならない状況になりましたが、やらないといけない事が沢山あり寝込む訳にいかず、主婦業の大変さを身をもって体験しました。子育ての話をすると時間がいくらあっても足りないので、またの機会にします。
2004年 8月再婚
その時、子供は12歳11歳10歳 反抗期が始まった頃でしたが世間で言われているような激しい反抗もなく、二回目の結婚を無事する事が出来ました。自分の結婚式に自分の子供が出席して、ピアノを演奏してくれたり手紙を読んでくれたりと、自分で云うのも何ですが、いい結婚式だったなぁと自画自賛しています。再婚後も主婦業は続きますが、だんだん子供達も手が離れていき少し余裕が出来てきました。
鳥井=タイなのか?
私はタイ人ではありません日本人です。ポム メチャイ コン タイ / ポム コン イープンタイに行き始めたきっかけ
8年ほど前にタイで行われるアジアントーナメントのプロアマ戦に参加しないかと高校の先輩から誘いがあり、初めてタイに行きました。右も左もわからないまま、ただ先輩について行くだけで、ゴルフとタニヤの毎日3年間 年2~3回 タイを楽しんでいました。タイに行き始めて4年目頃から鳥井はタイによく行っているので案内出来るだろうと、ある会から依頼があり現地の知り合いに協力して頂き、試行錯誤しながら案内したのをきっかけに、毎月のように色々な会や知り合いから案内してくれと連絡が入るようになりました。ここ数年は、年間12回~14回渡航しています。私は旅行会社をやっているわけではないので、商売として、ご案内は出来ません。少しでも多くの知り合いにタイを楽しんで貰えればと言う一心でアテンドをさせて頂いてます。
マリンアドベンチャークラブ タイ・アテンドのきっかけ
砂田龍吾くんとの出会い
10年程前に運送会社の会(陸運会)で沖縄旅行に一緒に参加、同じにおいのするもの同士行動を共にしました。中央ロータリークラブで砂田龍吾くんが活躍されている時来年ロータリークラブでタイに行くのでアテンドして欲しいと依頼があり喜んで引き受けましたが、その翌年残念ながら他界されました。皆さんをアテンドして欲しいということがずっと私の中に残っていました。3年前の秋、仕事でバンコクにいらしていた村本さんと現地でお会いしてバンコク市内を半日ご案内をさせて頂く機会がありました。(村本さんは地元が同じ宇品と言うことで以前から存じ上げてました。)その際、村本さんが、龍吾が言ってたのは、この事か!!と大変満足されていたのは、私の勘違いでしょうか?
村本さん・砂田泰延くんから依頼
昨年2月広島中央ロータリー、マリンアドベンチャークラブの皆様がバンコクにお見えの際、ゴルフ場&レストラン&車&ホテルの手配等々お手伝いさせて頂きました。タイで初めて皆さんとお会いした夜の会食でロータリークラブ入会おめでとうと乾杯され、どうしよう。と思いながら食事をした覚えがあります。皆さんのアテンドをさせていただいてやっと龍吾くんとの約束が果たせたような気がします。
帰国後から、村本さんの強烈かつ強引な、勧誘が始まりました。
何度かお誘い頂いているうちこれ以上、断れない・・・どうしよう。マリンアドベンチャークラブの皆様のタイでの歓迎ムード、楽しくされていたのがとても印象的で、私もロータリークラブの仲間に入って一緒に活動したいなぁ~という思いもあり。昨年4月に入会を決めました。
入会後の歓迎会では最終例会ということもあり、盛大に皆さんに祝って頂けたの大変感激しました。入会にあたり多くの会員の皆様にお誘い頂き有難うございました。大変感謝しています。入会から10か月経ちましたが、ロータリークラブの事をまだまだ理解出来ていません。
今後も先輩の皆様に見習い、活躍出来るよう頑張って行きますので、ご指導よろしくお願いします。