卓話時間
第1616例会
2014年03月10日 (月曜日)
- タイトル :
- 新会員卓話「自己紹介」
- 卓話者 :
- 木下三枝子君
みなさま、こんにちは。去年3月に入会いたしました木下です。今日は貴重な時間を拝借して自己紹介をさせていただきます。と申しましても特に変わった生活は送っておりませんので紹介させていただくこともありません。私の仕事としております皮膚科のこともくっつけてのお話といたします。
私は戦後ベビーブームの1948年2月に呉で生まれました。父はマツダに勤めるサラリーマン、母は小児科医で当時呉の保健所におりました。3人兄弟の一番上で妹と弟がいます。呉で小学校時代を過ごし、それからは広島に来まして主に南区で生活しております。小学生のときには、おけいこ事をたくさんしましたが、習字は私が上達しないため、先生の心が折れて先生のほうから辞めさせてくれといわれました。ピアノは練習をせず、先生に怒られるのが嫌で行ったふりをして帰っておりましたので、今でもネコふんじゃったくらいしか弾けません。バレエは世界的に有名になられた森下洋子さんと同じ年で同じところで習いましたが、一度も同じ舞台には立てず、私のほうは舞台の後でリスかなんかの役でちょろちょろして終わりました。私の人生の挫折はここら辺から始まっています。その後、女子校に入りました。以前そう申しましたら、「嘘つけ!修道だろうが」と言われたことがありますので、卒業アルバムから証拠写真を持ってきました。画家でエッセイストの宮迫千鶴さんや、女優の范文雀さんと同級生でした。山の上の学校に6年間毎日通いましたが「心清く、愛の人であれ」と習ったことは、残念ながらどこかへ行ってしまいました。
大学はウチから歩いて10分の広島大学に入りましたので、念願の一人暮らしは夢でおわりました。同級生は80名ほどで、村上副会長や頼岡先生と同級です。入学式では周りの男子学生の歌声が低くて驚きました。誘われて入った医学部軟式庭球部の歓迎会の写真を持ってきましたが、この中にはお若いころの杉本先生や土肥会長のお顔も見受けられます。ですが、テニスコートの中にボールが入らなかったので、私は途中で辞めざるを得ませんでした。
肝心の学業は、当時柚木先生や田原先生が教官でいらして、そのおかげでなんとか卒業でき、昭和39年にできた皮膚科学教室の教授から来ないかと誘われましたので、皮膚科に入局し5年間大学病院にいました。その後県立広島病院に行きましたが、毎朝車に子供たちを押し込んで信号で止まると化粧をしてなんとか病院までたどり着くといったことでした。
子供たちが小学生になる時期に、当時留守だった実家の一部に皮膚科を建てることを思いつき東雲に開業しました。開業にあたっては同じブロックだった藤村先生のお父様に大変お世話になりました。それからもう32年経ってしまいました。今も判りにくいと不評の同じ場所で娘のような3人にサポートしてもらって診療を続けています。治療で良くなったよと言ってもらえるように、これからも仕事を続けたいと思っています。ここからは皮膚科のことをお話ししたいと思います。