卓話時間
第1686例会
2015年11月16日 (月曜日)
- タイトル :
- ゲス地卓話
「通り御祭礼」について
- 卓話者 :
- 広島東照宮宮司 久保田 訓章氏
平成27年10月10日、東照宮400年祭を機に広島神輿行列「通り御祭礼」が200年ぶりに正式復興されました。
広島東照宮は江戸時代の初め慶安元年(1648)、広島2代目藩主であり、徳川家康公の外孫であった浅野光晟公により、広島城の鬼門守護として、今の東区二葉山山麓で安芸の小富士(似島)が真正面に望める地に建立されました。城下町のどこからでも望めたそうで、当時の記録には「毛利氏築城以来最も華麗な建物」との記述があります。
改めて申し上げるまでもありませんが、御祭神徳川家康公は、百年にも及ぶ戦国乱世を治め、我国に260年もの長きにわたる平和の時代をもたらした人物として国内外に評価されています。
広島では元和2年(1616)の家康公薨去後50年毎に、東照宮所蔵の大神輿を中心とした2000人の大行列「通り御祭礼」が、東照宮を出発し、猿猴橋、京橋を渡り、南に折れ、今の本通り筋を西に向かって元安橋を渡り、廣瀬神社に達する約5キロメートルを渡御しました。この様子は広島の地誌「知新集」に詳しく記され、藩士や町民参加のもと町方からは数台の石引台(山車)が参加、「行列を見んと幾十万の人が詰めかけ云々」との記録があります。
しかし、「通り御祭礼」は文化12年(1815)の4回目以降は、幕末の混乱(5回目)、第一次世界大戦(6回目)、原爆による被害(7回目)のため行われませんでした。
そこで平成10年、広島東照宮創建350年記念として、1900年代一度も行われなかった空間を埋め、伝統を継承するため、広島の財界・市民を中心とした実行委員会を組織。実行委員長には当時の広島県商工会議所連合会会頭である橋口收氏に就任頂き斎行された神輿行列は、予想を遙かに超える5万人もの人が集まり、感動を呼びました。
今回は、50年に一度斎行される本来の正式な「通り御祭礼」として、出来るだけ忠実に伝統を守りながら、現代において相応しい形での実施を目指し、準備には凡そ3年の月日を要しました。実行委員長には広島県商工会議所連合会の深山会頭に就任頂き、また、この祭礼は平和な時代にしか行うことの出来ない平和の祭典であるとして、広島市の被爆70年事業としても取り上げられました。
当日の行列には、重さ約1トンの大神輿(原爆に依り、東照宮の本殿・拝殿は全焼しましたが、この神輿は奇跡的に焼失を免れ、現在は広島市の重要文化財に指定されています)、高さ4メートルを超える花車が再現されるほか、花田植や子供歌舞伎などの伝統芸能が披露されるなど550人以上が参加。11時に東照宮を出発、饒津神社にてお旅所祭を斎行し、14時に還御しました。天候にも恵まれ、7万人以上の観客に見守られながら無事盛大に執り行うことができました。このことは、奉賛各社、県民、市民、
行政、お祭りに関わって下さったすべての方々のお蔭と感謝申し上げます。
広島、特に広島市内は原爆により全てが焼き尽くされた歴史があり、まるで戦後に生まれた町のような印象を持たれることがあります。しかし、実際には毛利氏築城以来400年以上の歴史がある立派な城下町です。今回の復興が、このような歴史に県内外の人が改めて興味を持ってもらうきっかけとなり、広島がさらに魅力ある街として育っていく一端を担えたらと祈念しております。