卓話時間
第1584例会
2013年05月30日 (木曜日)
- タイトル :
- 新会員卓話
「自己紹介」
- 卓話者 :
- 砂田恭延君
入会のきっかけ
私が伝統ある広島中央ロータリークラブに入会させていただき、約9か月が経ちました。ほとんどの方はご存じかと思いますが、入会させていただいたきっかけは、一昨年の7月に亡くなった私の兄、砂田龍吾が中央ロータリークラブで約10年お世話になり、兄が亡くなったあと、クラブの方々から「兄貴のあとを継いで入会したらどうか」とのお誘いを頂き、緒方先生、橋本さんにご推薦していただき入会させていただきました。入会時には会員の皆様に温かく迎えていただき、本当にうれしく思いました。
こうしてロータリーに入会できたのも兄の作ってくれたご縁のおかげでありますが、実は生前兄が私に「他のクラブから誘いがあっても、ロータリーはやめとけよ!」と言われたことがありました。何故かと聞きましたら、「お前が奉仕活動なんてことはようせんじゃろ、お前には向かんよう~」と言われまして、私も言われてみれば「まあそうだな」と思いましたので、ロータリークラブは私には縁のないところだと思っておりました。そんな私が毎週月曜日にこうして例会に出席し、ロータリーソングを歌い、また4つのテストを唱和している姿をあの世から見ながら、兄がどんな顔をしているか分かりませんが、先程の兄の言葉を見返す意味でも、早く一人前のロータリアンになれるようがんばりたいと思っております
また、この場所に来ますと、私は兄のことを色々と思い出すことができます。そして先輩の皆様から兄がここでどんなことをしていたかを聞くこともできます。そういう意味でも入会できたことは私にとって本当によかったと思っております。
これから自己紹介とのいうことで卓話をさせていただきます。ただ、私には大した経歴もなく、また気の利いたおもしろい話ができるわけでもありませんので、皆さん退屈だとは思いますが、しばらく間ご辛抱いただければと思います。
家族(両親・兄弟・経歴)
名前は砂田恭延と申します。下の名前は少し難しい漢字を使うのですが、恭賀新年などで使う恭に延長の延と書いて、「やすのぶ」と読みます。生年月日は昭和46年2月27日生まれで今年42歳になりました。
出身はこの広島で両親と兄弟が多く5人兄弟の三男として生まれました。今時五人兄弟も珍しいのですが兄弟は全て男であります。私が思うに両親は特に子供好きとは思えませんし、何か理由があって子供が5人欲しかったわけではなく、一人くらいは女の子が欲しいと思いながら、その思いが叶わず、結果的に男ばかりの五人兄弟になってしまったようです。上二人まではそうでもなかったと思いますが、三番目の私が生まれるあたりからは、女の子であることを相当期待したのではないかと思います。そういう意味で両親をがっかりさせてしまい、親不孝をしてしまったかなとも思います。またもし私が女の子であれば、弟二人はこの世にいなかったかもしれません。私のあとも残念ながら女の子は生まれず、五男の弟が生まれ、男の子だと連絡を受けた父はがっかりしたのか、病院に駆けつけてこなかったそうです。五人も兄弟がいると一人くらいは優秀な者がいてもいいのですが、兄や私をみてお分かりのとおり、残念ながら、優秀な者は一人もおりません。ただ、仲がいいことだけが取り柄の兄弟であります。
ご想像もつくかと思いますが、男ばかり五人もいますと家は大変にぎやかで、母は日々子育てに追われておりました。私にも今二人子供がおりますが、妻を見ていて二人でも大変だなあと思います。ですから母には本当に苦労かけたなと、自分に子供ができて今更ながら思っています。また父は私が生まれて間もなく今の会社を創業しましたので家にいることがほとんどなかったように思います。父と一緒に何かした思い出といえば、社会人になってゴルフを一緒にできるようになったことぐらいです。
その分、兄二人は本当に面倒見がよかったので、よく一緒に遊んでもらった思い出があります。
中学高校時代
そんな幼少期を過ごし、中学から高校までは、私立の広島三育学院中学校、高等学校に進学しました。あまり聞きなじみのない学校だと思いますが、場所は三原市の大和町にあります。ゴルフをされる方は分かるかと思いますが、グリーンバーズゴルフ倶楽部や白竜湖カントリークラブがあるあたりで、田舎の中にある学校です。生徒数が少なく、全校生徒が中学校で100名程度、高校でも300名程度で、全寮制の学校です。私も中学校から高校を卒業するまでの6年間親元を離れ、この大和町で寮生活をしておりました。中学校入学当初は親元を離れた寂しさや、先輩、後輩といいた上下関係とまどったところもありましたが、半年もすれば寮生活にもすっかり慣れ、24時間友人と一緒にいることができ本当に楽しかったです。生活は朝6時に起床し、夜の9時半には寝るという規律正しい生活をし、食事以外の身の回りのことは全て自分でやらなければならなかったため、多少ですが、早く自立することができたのではないかと思います。たまにゴルフで大和町の方へ行くことがありますが、その時は中学、高校時代のことを思い出して懐かしくなります。
大学時代
高校を卒業後、東京の私立拓殖大学政経学部に進学しました。高校時代は規律正しい生活だけはしておりましたが、大して勉強もせず友人と遊んでばかりいましたので、何とか入れそうな学校ということと父の母校でもありましたので拓殖大学に進学しました。大学入学後も高校時代同様、勉強に励むことはなく、アメリカンフットボール部に入部し4年間部活漬けの日々を過ごしました。練習は週6日間あり、授業の終わる午後の3時過ぎから日が暮れるまでやって、練習の後はウェイトトレーニングやミーティングなどがありましたので、全ての練習が終わって学校を出るのは夜の8時~9時といった時間で毎日ヘトヘトになって帰っていました。本当に練習がきつかったので、毎日「逃げ出したい」と思いながら、憂鬱な気持ちで、授業にもほとんど出ず、ただ部活のために学校へ行くといった生活をしておりました。
私がアメフトに興味を持ったのは高校生の時に全米プロリーグ(NFL)NO1を決めるスーパーボールをテレビで見てからです。そのテレビで見た迫力や選手のかっこよさに魅かれ、できれば自分もやってみたいとの思い、大学入学と同時に入部いたしました。
留学時代
活漬けでほとんど授業に出ることはなかったのですが、何とか大学を卒業して、カナダに一年間留学をいたしました。これは本当に両親にわがままを言って、行かせてもらいました。といいますのも、大学4年間東京で下宿をして、私立の大学に通っていたわけですから、お金の面でかなり負担をかけていたにもかかわらず、その後は海外留学と更に負担をかけてしましました。ですから、この時留学に行かせてもらったことを本当に両親には感謝しております。
留学先はカナダのトロントというところで、あまり、聞き馴染みがない町かもしれませんが、カナダでは最大の都市で人口も約250万人もおり、北米の中でも、ニューヨーク、ロスアンジェルス、シカゴに次いで4番目に大きな町です。アメリカとの国境に近く、五大湖の一つオンタリオ湖に接する場所にあります。皆さんも聞いたことがあると思いますが、ナイアガラの滝が近くあります。春から夏の時期は過ごしやすいのですが、秋から冬の時期は本当に寒く、一番寒い時期は、気温がマイナス10度~20度以下に下がる日がざらにありました。ただ、街並みは本当に綺麗で、アメリカと違って治安もよく、寒さに慣れることができれば、意外と住みやすいのではないかと思います。
私もそうだったのですが、日本とカナダではワーキングホリーデーというビザが発行されるため、現地で働きながら語学学校や大学に通うといった日本人留学生が多くいました。このように留学経験があると言いますと、何か英語がペラペラなのか思われるかもしれませんが、20年近くも前のことで、留学先でもあまり熱心に勉強をしておりませんでしたので、恥ずかしながら今では海外旅行に行った時に本当にカタコトの英語でコミュニケーションがとれる程度の語学力しかありません。ただ、一年間海外で生活ができたことと、そこでの経験、知り合った友人は今でも私にとっては大切な財産です。
NTT時代
そうした一年間の留学経験を経て、平成7年4月にNTT中国支社へ入社いたしました。たいして勉強もせず、私のような経歴で大手企業に入ることは難しいのですが、当時はマルチメディアという言葉が言われ始めた時期で、ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもありました。NTTも従来の電話事業からデーターを中心とした情報通信事業へ変わっていこうとする時期で、人材確保のために、当時では珍しく新規採用を増やしておりまして、私は、ただただ運よくそこにうまくはまり採用してもらうことができました。仕事は営業職で法人営業という部署に配属になり、色々な企業へ情報通信設備や通信インフラを提案するといった仕事をしておりました。またNTTは人材育成には力を入れる会社で、社会人としてのビジネスマナーや、仕事に必要な色々なスキルを研修などで身につけることができました。当時の貴重な経験は、今の私の仕事に大変役立っております。
プレハブ工業入社
NTTでは4年半ほど勤め、平成11年11月に現在のプレハブ工業株式会社に入社いたしました。プレハブ工業は父が創業した会社ですが、入社にあたって、私は父に頼み込んで入社させてもらいました。と言いますのも、父は日ごろから「会社を継ぎたいという強い意志がないのなら、子供に継がせるつもりはないし、会社は自分の代でやめてもいい!」といったことを言っておりましたので、私に対しても「NTTで勤めたければそのまま続けろ」と言われましたが、私はどうしても会社を継ぎたい、父と一緒に仕事をしたいと思っておりましたので、その思いを伝えて入社することを許してもらいました。
残念ながら私が入社してすぐに父が亡くなり、本当に短い時間しか一緒に仕事ができませんでした。父が亡くなった直後はショックと不安でいっぱいでしたが、入社の時の父とのやりとりもありましたので、私は「もう後戻りはできないし、この会社で成功していくしかない」といった強い覚悟を持って、今までやってこれたと思っています。
父がなくなった後、2年前までは兄と一緒に会社の経営しておりました。また、5年前から次男の兄も会社に入ってきまして、現在は次男の兄と一緒にやっております。
家族(妻・子供)
話が前後しますが、私の家族についても少し紹介させていただいます。
5年前に結婚をしまして、妻と二人の娘がいます。上の子は2歳で下の子はまだ8ヶ月です。私は男兄弟でしたので、女の子は本当にかわいいなあと思います。わたしの子供の時ほど、にぎやかではありませんが、まだまだ手のかかる時期で、本来なら子育てを手伝わなければいけないのですが、私も父に似たのか、子育てはほとんど妻にまかせっきりで、週に何度も飲みに行き、週末はゴルフに出かけと好きなことをさせてもらっています。このように好きなことをさせてもらえるのも、家族の理解があるおかげだと私が勝手に思っております。妻とは共通の趣味がゴルフで上の子が生まれるまでは、よく一緒にラウンドしておりました。共通の趣味といえば聞こえはいいのですが、ゴルフの腕前は妻の方が断然上で、まったく言っていいほど歯が立ちません。知り合って一緒にゴルフをするようになってから、子どもが生まれるまでの対戦成績は、私の28勝64敗で、ゴルフに関しては完全な格差婚であります。
子育てが落ち着いて時間がとれるようになったらまた妻と一緒にプレーをしたいと思っておりますし、できれば子供とも一緒にゴルフをしたいと思っております。その時は子育て同様、子供へのゴルフの指導は全て妻に任せた方がいいと思っております。
趣味(ゴルフ、旅行)
少しお話をしましたが、趣味のゴルフと旅行ついてお話させていただきます。ゴルフは17年くらい前に始めました。NTTにいた時に配属先でゴルフコンペがありまして、当時新入社員だった私は、上司から強制的に、コンペに参加するように言われ、いやいやながら参加したのがゴルフを始めたきっかけです。先程少しNTTにいた頃の話をしましたが、NTTに入って一番良かったことは、ゴルフを始めるきっかけを作ってもらえたことです。ですから、今ではむりやり誘っていただいた上司に本当に感謝しております。
今の会社に入ったと同時に、瀬野川カントリークラブのメンバーになり研鑽を積んでまいりましたが、なかなか進歩がなく、「少し良くなっては、またすぐ悪くなる」の繰り返しでゴルフの悩みはつきません。
ただ、ゴルフをしない自分の人生は想像できませんし、ゴルフを通じて本当に多くの方と知り合うことができました。また、ゴルフをするために日本国内や海外の色々なところへ行くことができました。自分が楽しい人生を送れているのも、多くがゴルフのお蔭だと思っております。
また私の兄弟全員ゴルフが大好きで、今では年に一度くらいしか、全員で一緒にプレーすることはありませんが、その時は、絶対負けたくないので、お互いライバル意識丸出しでプレーをします。その中に兄がいないのは本当にさみしいのですが、私たちがあの世に行ったときは、父も含め6人でプレーことを楽しみにしております。ただ、その時には兄のアプローチイップスが克服されていることを願っております。
この中央ロータリークラブにもゴルフ好きな方が多く、また村本さんを筆頭にお上手な方が多いので、これからも勉強させていただきながら、クラブの中でもゴルフライフを楽しみたいと思っております。余談ですが、先日の3ロータリー懇親コンペでは我がクラブは優勝することができましたが、私は、不甲斐ない成績でクラブに貢献することができず、ゴルフ同好会の橋本会長から「役にたたんのぉ~」とのおしかりを受けたところです、来年こそは戦力になれるようがんばりたいと思っておりますので、緒方先生、これからもご指導の程、よろしくお願い致します。
もう一つの趣味の旅行は、妻とゴルフを絡めて一泊くらいの旅行をよくしておりましたが、子供が産れ最近は機会が減り、その代りというわけではありませんが、4年くらい前から、先週入会された鳥井会員のお誘いで、タイに行くようになりました。鳥井会員のように毎月というわけにはいきませんが、年に4、5回くらい行って楽しんでおります。タイに行っても特に観光などをするわけではなく、ゴルフに行って、夜は飲みに行くといった感じで、広島でやっていることとあまり変わらないのですが、そこは微笑みの国タイということで本当に癒されますし、リラックスできます。タイの魅力につきましては、後日、鳥井会員の卓話で詳しくご紹介があると思います。
今年の2月にマリンアドベンチャー同好会でタイへ行きましたが、ゴルフをしたり、きれいな海に入ったりと入会早々楽しい経験をさせていただきました。来年も、「タイに行くかも」との話を聞いておりますので、今から楽しみしております。
また、家族とは年に2度京都に出かけます。妻が、京都が好きなので桜と紅葉の季節に出かけます。この時期は本当に混んでなかなかホテルの予約なども難しいのですが、普段は子育てをまかせっきりで、私一人がタイに行って、好き放題しておりますので、この時だけは、罪滅ぼしに気合を入れて予約をし、妻の好きなレストランで食事をご馳走させてもらっております。
会社について
次に私の会社についてご紹介したいと思います。先程から話の中に出ておりますが、社名はプレハブ工業株式会社です。もう少し気の利いた社名もあったのではないかと思うのですが、プレハブ工業というベタな社名のとおり、プレハブ建築を主な目的として設立されました。所在地は東広島市志和町にあります。会社設立は昭和49年の2月で今年創業40年になります。
プレハブの建築業から起業しましたが、現在、我社の事業内容は大きく分けて、建築業、一般貨物運送業、そして産業廃棄物の処分業です。売り上げ比率は産業廃棄物関係の事業が全体の約7割あり、残りの3割が一般貨物運送業務と建築業務であります。でありますから今では我社の業務のほとんどが産廃にかかわる業務となっております。
取引先のお客様からも「産廃の会社なのにプレハブ工業というのはあまりピンとこない」とか「産廃の会社と分かるような社名に変えたらどうか」との話をいただくことがありますが、今の社名にも愛着があって、今のところ社名変更には至っておりません。
産廃といいますとあまりいいイメージはなく、あやしいとか、裏で何か悪いことをしているのではないか、などと思われがちですが、我社につきましては、そのようなことはなく、まじめに取り組んでおります。(つもりです)
ただ、仕事の環境は、きつい、危険、きたないといった3kの最たる仕事でありまして、このような環境の中で我が社も廃棄物のリサイクル、再資源化に微力ながら取り組んでおります。
我社では、さまざまな廃棄物のリサイクルに取り組んでおりますが、特に力を入れて取り組んでいるコンピューターのリサイクルについてご紹介させていただきます。
これは大型(多きい物は2mくらいありますが)のもから小型のパソコンや家電製品まで取り扱っております。これら廃棄されたものを回収してきて、一台ずつ手作業によって解体し素材ごとに分けていきます。素材は大きく分けてプラスチック、鉄、非鉄(アルミ、ステンレス、銅ケーブル)、そしてプリント基板などが回収できます。これらを一定の量にまとめて売却し再度素材として再資源化します。特にコンピューターを動かすためはプリント基板が必要ですが、この中には金、銀、銅、パラジュームなどの希少金属が含まれております。これらコンピューターの基盤に含まれる希少金属は都市鉱山とも呼ばれ、最近では国を挙げてコンピューター、家電製品の回収を行うといった動きもでてきております。
皆さんも日々パソコンや家電製品を使われていると思いますが、これらのものを壊すときは、「砂田の会社でやってるんだなあ」という程度に我社のことを分かっていただければ嬉しく思います。
最後に
最後になりますが、こういうことを言いますと「お前はファザコンかっ!」と言われそうなのですが、幼いころから私にとって父はあこがれでありました。私は「父のようになりたいと」思って育ってきたような気がします。そんな父が創業した会社を継ぐことが出来、またそれを兄弟と一緒にできることは、私にとって最高の喜びであります。
その喜びに感謝し、社業を発展させていくとともに、これからはロータリアンとして職業奉仕に努めていきたいと思います。今後とも皆様には厳しいご指導のほどよろしくお願い致します。