卓話時間

第1747例会
2017年04月17日 (月曜日) 12:30
広島原爆障害対策協議会 平松恵一会長(RC会員)
同協議会健康管理・増進センター 藤原佐枝子所長(RC会員)
広島市医師会臨床検査センター  谷敷圭美センター長
第1746例会
2017年04月10日 (月曜日) 12:30
アメリカンドリーム代表 吉川浩司氏
第1745例会
2017年04月03日 (月曜日) 12:30
脚本家 鴨 義信氏

3

<<

2009

>>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
2016-2017年度 一覧
カレンダー
リスト

第1409例会

2009年03月16日 (月曜日)

タイトル :
ゲスト卓話「研究発表、思い出、謝礼」
卓話者 :
米山奨学生 葛 勇君

米山奨学生 葛勇君

米山奨学生の生活で得たもの
 米山奨学生として早くも2年になりました。思えば初めて皆様の前でご挨拶できたのは、2年前の五月でした。ドキドキしながら、第一回の例会に出席し、そして、楽しみながら皆様とのお付き合いを始めました。
 時の流れは速く、最初の出会いからすでに2年も経ち、奨学期間を終了する時が近づいてきました。この2年間皆様のお陰で、非常に有意義な留学生活を過ごさせていただいたこと、そして2年間皆様からの様々な御高配を賜りましたこと、謹んで御礼を申し上げます。
 米山奨学生の2年間私は、二つの貴重なことを得ました。まず、米山奨学生になってから一番ありがたく感じたのは何かと申しますと、やはり、ロータリアンの皆様からのご支援をいただくことで、勉学や研究に専念できたことだと思います。次は、米山奨学生になってから心に残ったことは何かと申しますと、何より、ロータリアンの皆様とのお付き合いでございます。各分野で素晴らしい成果をあげておられるロータリアンの方々は、私にとっては人生、そして社会の大先輩であり、皆様から学校で学べないことをたくさん教わり、これからの私の方向性や一般社会人としてのあるべき姿を改めて考えるチャンスを下さったことに、心から感謝をいたします。
 この二つ他にも、毎月の例会に限らず、夏の家族会、懇親会、クリスマス・パーティなどロータリアンの家族の皆様といろいろな交流ができたことで、日本文化の理解がさらに深くなると思います。この場を借りて家族の皆様にも御礼を申し上げます。また、母が母国で入院した時、皆様から見舞いをいただいたことも、家族の皆を代表し、改めて御礼を申し上げます。
 米山奨学生としての2年間、中央ロータリークラブに対し、手伝いをあまりできませんでしたことを、お詫びを申し上げます。これからも、支援してくださった皆様のことを胸に、忠実に働きながら、自分の目標まで頑張って行こうと思います。そして、日中交流の掛け橋の役目を果たし、一人のロータリアンになれますように頑張って生きていきたいと思います。
 最後に、2年間育ててくださったカウンセラーの若木さん、吉清さん、土肥先生、いつも家族のように接してくださいまして、心より感謝の意を申しあげます。
終わりに、中央ロータリークラブの御健勝、益々の御発展、そして、皆様の御健康を心より祈るとともに、卓話をお終了させていただきます。
 大変お世話になりました。ありがとうございました。

米山奨学生で得たもの

米山奨学生の2年間
 皆様が御存知のように米山奨学生にしていただけると、月14万の援助をいただけます。この金額は一人の留学生にとってどのような役割があるかと、私のことを例にしてご説明をいたします。
   ●家   賃     30,000
   ●生活費    25,000
   ●ガス代    2,500
   ●水道代    4,000
   ●電気代    3,500
   ●通信費    9,000
   ●学  費    22,500
   ●教育費    3,000
             合     計   99,500
 このように、アルバイトをしなくても、安定した生活ができ、さらに、勉学に専念することもできます。私費留学中の者にとって、とても魅力的な奨学金でございます。米山奨学生になったことは、本当に幸せだと思います。

研究のきっかけ

研究のきっかけとは
 国木田独歩が、皆様ご存じのように、詩人、小説家で、著作としては、『武蔵野』『運命』『牛肉と馬鈴薯』等があります。
 国木田独歩が、明治4年7月15日生まれて、41年6月23日になくなりました。享年38歳です。彼は5歳から16歳まで、父の転勤にしたがい、山口、萩、広島、岩国などに住んでいました。
 国木田独歩が16歳から亡くなるまでの22年間、いろいろな困難に出逢い、それに挑戦していきましたが、失敗ばかりでした。それにもかかわらず、次々と挑戦していくという、自分の人生に勇気を持って戦う姿がとても素晴らしく感じられ、そのため、彼のことを気になって、彼の文章を読みはじめました。
 国木田独歩の人生は一語といえば、波乱万丈と言っても過言ではありません。彼の残した文章の中に明治25年6月(21歳)以降書いた「社会と人」「信念」という文章があります、また、26年2月から明治30年5月まで書いた「欺かざるの記」という青春日記があります。その中に、孔子、老荘、王陽明の名前が集中的に現れてきます。
 それについて、独歩の芦谷信和という研究者が、『国木田独歩―比較文学の研究―』(和泉書院、昭和57年11月)の中に、独歩が老荘から受けた影響をかなり重視していますが、彼の人生の様々な行動からみると、そうではないかと、この疑問を持ち、研究をやってきました。

研究の結果

研究の結果

孔子
  仁(人間愛)礼 (社会規範)→理想社会
  「作為」→ 人 → 「立身出世」
老子
 「無為」→自然のまま生きること
王陽明
 「心即理」→社会へ「実践」→「知行合一」
          ↓ 
       大塩平八郎・吉田松陰
研究の結果としては、独歩は武士の家庭で育てられ、子供時代からも「立身出世」の願望が強い人物でした、青年になってから吉田松陰に夢中になり、そして吉田松陰を真似て、いろいろなことをやっていました。彼が16歳から亡くなるまでの22年間、彼の社会における様々な行動から見れば、真に王陽明の「知行(ちこう)合一(ごういつ)」を当時の社会へ実践していったといえます。こういう風に考えると、やはり、独歩の人生に強く影響を与えたのは、老荘ではなく孔子の代表とする儒教思想であることがわかってきます。

論文で学んだ事

論文で学んだこと
今回研究を通して、中国の伝統的な孔子、老荘などの思想を根本的に読むことができ、大変よかったと思っています。私の生まれた時代はちょうど中国の文化大革命の後期で、孔子、老荘などを強く批判する時代であり、その中において私のような世代が基本的な孔子、老荘の思想に触れることができませんでした。日本に来て日本人の礼儀、日本人の考え方、日本人の思いやり、日本人の自由な暮らしなどが私を魅力させました、それは真に孔子、老荘らの教えが日本社会での開花した結果であると思います。
日本の社会と言いますと、国民の全体が礼儀、信用を重視してからこそ、住みやすい社会になっていると、私はそう思います。簡単な例をしますと、昨年一ヶ月半の帰国した際、町で喧嘩しているのを何回も見ましたが、日本に来て9年間、町でそのようなことを見たことが一回もありませんでした。
 中国と日本は昔から歴史的な繋がりがあり、中国のいろいろなものが伝わり日本で継承と発展をしますが、一方中国では失われてしまいました、それは中国の国民にとって痛手であります。現代の中国においても失った或いは無視された一つの文化が、日本の社会で体験することができ、とてもよかったと感じています。このことから、この研究テーマを組むことで中国の儒教思想、道教思想等が日本の社会に与えた影響も研究できたと同時に、自己修養を深めることもできたと思います。 

Posted by 事務局 at 12時30分

2016-2017年度

本日の広島中央RCの予定

2017 6/30Friday

12:30 PM
他クラブ例会変更
12:30 PM
ホーム例会

これからの広島中央RCの予定

今月の予定更新中!!
予定更新までもうしばらくお待ちください。

今月の予定と例会変更

ページの先頭へ戻る