卓話時間
第1311例会
2006年11月06日 (月曜日)
- タイトル :
- 会員卓話 「厳島縁起」
- 卓話者 :
- 碓井静照君
「厳島縁起」平清盛の願文を漫画などで解説
1164(寛永2)年、宮島に絢爛豪華な33巻の平家納経を持ったあかね色の帆船が到来した。納経の表紙である「見返し」の金箔、銀箔、もえぎ色をあしらった貴族、十二単の姫、僧侶の生活の模様、鹿などの装丁は国宝中の国宝である。
清盛は櫛筆と称して自筆の「厳島縁起」をしたためた「願文」を御宝殿に納めたのであるが、「このことは、くれぐれも口外しないように」と言い残している。したがって、この縁起の存在は、あまり世に知られることなく、御宝殿の中で静かに眠っていた。
この33巻目の65行の願文の最初に書かれた「櫛筆」の解説は江戸時代に入っていろいろとりざたされているが、今もって「櫛筆」の意味は明らかではない。
願文の最後に清盛は官位、氏名を自筆で書いているが、「弟子従二位行権中納言兼皇太后宮権大夫平朝臣清盛敬って白す」の21字を1行に書き収めている。
2004年私は願文の解説書ともいうべき縁起もののうちの「白峰寺本」にそった内容の「みやじま物語」を上梓したのだが、後段の「厳島の由来」の中で「厳島縁起」をわかりやすく現代語訳している。清盛は厳島大明神の由来について述べている2004年、私は「みやじま物語」を上梓したのだが、後段の「厳島の由来」の中で「厳島縁起」をわかりやすく現代語訳している。清盛は厳島大明神の由来について述べているが、推古天皇の時代に人々を救うために天上から降りてきた神様だとしている。
物語りは、上、中、下の三巻に分かれていて、上巻は東城国の善哉王と西城国の足引宮の恋の話。中巻では千人の后たちの陰謀による足引宮の謀殺の話、続く下巻では王子と善哉王が足引宮を生き返らせる話から、厳島の神として垂迹するまでを語っている。「厳島縁起」には「簾(すだれ)」、「くし」など、現代の私たちになじみの言葉が多いのに驚く。そして当時すでに妊娠中の胎児に腹の外の音を聞く能力があり、妊娠七ヶ月でも育つことが分っていたことにも軽い驚きを感じる。物語は次のとうりである。
むかし、推古天皇のはるか昔、天竺に東城国という大層栄えた国があって、王の名を東善王といった。千人の后の一人が懐妊し、王子は善哉王と名づけられ、七歳で王位を継ぎ、百人の后を与えられた。
善哉王はその国の遥か西にある西城国の足引宮という絶世の美人に惚れ、物思いに沈んでいたが、一羽の五烏の助けで足引宮を手に入れ、東城国に帰ってきた。千人の后たちは足引宮のあまりの美しさに嫉妬して、粗暴な武士を呼び出し、「岩の上で后、足引宮の首を打ちなさい」と云うまでになった。
后たちの指示に従った武士たちは足引宮の十二単衣を剥ぎ取って地面を歩かせた。そのため足元が血で赤く染ってしまった。足引宮は、「紅の 雲になりゆく わが身かな たなびく空に 霞ならねば」と歌を詠み、どうせ同じ事ならここで殺しなさいと言った。このあたりを漫画で説明する。
話しは飛ぶが、宮島ではお産をしたり、死者を荼毘に付してはならないという興味深い禁忌が多い。