卓話時間

第1747例会
2017年04月17日 (月曜日) 12:30
広島原爆障害対策協議会 平松恵一会長(RC会員)
同協議会健康管理・増進センター 藤原佐枝子所長(RC会員)
広島市医師会臨床検査センター  谷敷圭美センター長
第1746例会
2017年04月10日 (月曜日) 12:30
アメリカンドリーム代表 吉川浩司氏
第1745例会
2017年04月03日 (月曜日) 12:30
脚本家 鴨 義信氏

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第1620例会

2014年04月14日 (月曜日)

タイトル :
新会員卓話「自己紹介」
卓話者 :
長場 誠君

長場 誠君

皆さん、こんにちは。
 昨年7月に緒方俊平会員、芥川会員の推薦により入会した長場です。
 本日は、貴重なお時間を頂きまして自己紹介をさせて頂きます。
 私は、1974年2月に奈良市で生まれました。近くには平城旧跡や古墳がある歴史を感じさせる場所で育ちました。30歳ぐらいまでは,証券会社のサラリーマン時代に東京へ転勤になった頃を除き、関西で生活していました。
 父は、福島県いわき市出身、母は、岡山県美作市出身です。両親は大阪市の信用組合で働いていた頃に知り合い、結婚しました。
 きょうだいは、3つ下の妹がいます。妹は,東京の大学を出た後、東京で就職しましたが、なぜか日本は自分には合わないと言い、27歳でパリに旅立ち、そのまま約10年が経過しています。パリでは日系企業で働いています。日本に戻るつもりはないようです。
 小中高時代はスポーツばかりしていた記憶があります。小学校から高校3年生まで約10年間バスケ部に在籍していました。運動会の短距離走では、1位以外にはなったことはありません。昔から走るのが好きで、10年ぐらい前からはフルマラソンを趣味にしています。4時間弱ぐらいで完走することが多いです。
 大学時代は、1年のときから学生自治会に入り、勉強することはありませんでした。その頃の学生自治会は、学生運動といった左翼的な活動は全くありませんでした。学校側と、一緒になって学校を良くしていこうという考えでした。
 自治会の活動内容は、例えば、学園祭の主催、各クラブの予算決め、献血活動、新入生対象の雑誌の発行などです。学生生活に関するいろいろな事を行っていました。
 話は変わるのですが、昨年まで砂田会員のお子さんと私の子が同じ保育所に通っていました。そのこともあって、昨年6月のある土曜日、家族でしゃぶしゃぶ店に行く機会がありました。そこで、砂田会員から献血活動を行っているなどロータリーの具体的な活動を聞きました。ロータリーは大学時代の自治会活動と同じようなものかと思いました。これが土曜日の話です。翌日の日曜日、砂田会員と推薦者の緒方先生は、ゴルフに行ったようです。そして、月曜日、緒方先生から電話が架かってきました。何かと思って聞いたら、ロータリーの推薦人は、自分と芥川会員がなるからという話でした。「えっ!?」と思いましたが、これも縁なのかなと思い、入会することにしました。
  家庭環境についてお話しします。実は、昔から両親の仲が悪く、中1のときに両親が別れ、母子家庭となりました。両親が仲良くしていたという記憶は全くありません。子どもは、13歳と10歳の難しい時期で、母親は仕事と子育てで精一杯だったと思います。13歳から18歳ぐらいまでは、家庭内で会話らしい会話はほとんどなく、荒んだ家庭だったと思います。つらいという感情もなく、貝のようにふさぎ込んだ状態がずっと続きました。同じクラスの女子に「無口」というあだ名を付けられたこともあります。
 今、こうして普通に過ごしていられるのは、やはり、母親が懸命に子育てをしてくれたからだと思います。自宅では、夜遅くまで仕事をしている背中を見ていました。それを見て、曲がった人生は送れない、親を裏切ることはできないという考えが形成されていったと思います。
 その母は、私が21歳のときに直腸癌と分かり、直ぐに岡山県の病院でオペをしました。このとき既に肝臓や子宮に転移していました。その後、ストーマを付けて生活していましたが、約3年後に48歳で亡くなりました。私は24歳でした。
 母親が亡くなってから、しばらくの間、証券会社で働いていました。東京に転勤になった後、上司から、客はお金だという趣旨のことを言われ、直ぐに辞めてしまいました。
 辞めたときは25歳でした。母親が亡くなったことで、保険とか預貯金で900万円ぐらいのお金があったと思います。これを元手に、受験勉強を始めることにしました。
 なぜか自信だけはあったので、直ぐに合格すると思っていましたが、結局、5回受験してやっと合格できました。毎年不合格になる度に、デール・カーネギーの「道は開ける」を読んでいたことを思い出します。合格したのは30歳です。そのときの全財産は、残りの15万円と合格証書だけでした。

 弁護士になると、なぜ弁護士になったのかと聞かれるのですが、あまり明確な理由は思いつきません。ただ、母子家庭で育つといろんな問題があったり、精神状態が不安定になったり、両親が揃っている家庭に引け目を感じたりという状況になります。自分がそういう体験をしているから、そういう状況で困っている人を助けるような仕事をしたい、という気持ちが根底にあって、その道が自然とできたような気がします。
 合格後、縁もゆかりもない広島で司法修習生として勉強することになりました。広島での研修は1年間で、その後は、広島みらい法律事務所に就職しました。最初の2年間は広島市の八丁堀で、次の2年間は同じ事務所の尾道支所で仕事をし、その後、独立して今に至ります。
家族の紹介をします。平成20年に結婚しました。妻は仕事に対してすごく真面目で尊敬できます。結婚前は、夜1時30分頃に病院から呼び出されて行って、戻ってきて、また、朝の4時30分ぐらいに呼び出されてということがありました。これが問題になっている産婦人科医の激務かと思った記憶があります。結婚を機に医局を辞めて、今は、不妊治療専門クリニックで働いています。
 子供は長女が3歳で、先週、幼稚園の入園式でした。長男は1歳です。
最後に仕事についてお話します。ロータリーの職業分類は刑事弁護士ですが、今、刑事事件は3、4件ぐらいで,ほとんど民事弁護をしています。
 刑事弁護では、平成23年に広島市中区江波のお好み焼き店で夫婦が殺害された事件の裁判員裁判を担当したことがあります。強盗殺人事件で、基本的には死刑か無期懲役刑のどちらかになりますが、死刑判決は回避することができました。刑事事件の弁護では、冤罪を防ぐ等の目的のため、日々、真面目に取り組んでいます。会員の皆様には刑事弁護に対してもご理解を頂ければ幸いです。
以上で自己紹介の卓話を終わります。ご静聴ありがとうございました。

Posted by IT at 12時30分

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