卓話時間
第1599例会
2013年09月30日 (月曜日)
- タイトル :
- 追悼例会
「故山村忠次会員を偲んで」
- 卓話者 :
- 柚木宏君、熊野巧君、迫田勝明君
「山村会員追悼例会」
土肥会長
それでは皆さんご起立下さい。
献盃を致します。献盃。ありがとうございました。
先程、ご披露がありましたがこちらのバナー、立派なバナーが作られております。同時に「山村忠次君の思い出のアルバム」というのが出来ておりまして、私、先程拝見しましたが大変きれいに装訂されております。
これをご遺族の方に進呈したいと思います。
本日はお招きを頂きましてありがとうございました。
義父が日頃言っていました。自分は仕事の関係ではマツダさん始め、銀行、商社さん又、鉄の業界の人とはお話ができますが、こうして異業種の皆さんと親しくお話しできるのはロータリークラブのおかげだと常々嬉しそうに言っていました。
本日はありがとうございました。
8月2日に逝去された故山村忠次会員を偲ぶ追悼例会が、ご遺族の出席を頂き開催され、3名かが山村忠次会員へ想い出を語った。
柚木 宏君
先に逝きしわが友 山村さんを偲んで
予てから少し体調を崩しておられた山村さんが亡くなられました。心からご冥福をお祈り致します。
山村さんほど信頼され、すべての人に愛された人はいないと思います。本当にかけがえのない友人を失いました。山村さんは実に豊かな才能をお持ちになっておられ、小唄の名取、歌謡曲、ゴルフ、碁それに絵画どれをとっても実にすばらしい方でした。
それに私にとってはキーマンの時代が忘れられません。なんとかいいクラブを作ろうともがき苦しんだ時代が何時までも記憶に残っています。でももうそんなお話も出来なくなったと思うと心が痛みます。でもそのうちあちらでまた昔話でもやりましょう。今はゆっくりお休みください。
熊野 巧君
私と山村先輩との最初の出会いは昭和54年の8月だったと思います。私が会社の役員に就任したとき松田社長より、「君をロータリークラブに入れてやろうと思っている。最近出来た素晴しいロータリークラブへ頼んでやる。」と言われ、初めてロータリークラブを知りました。そして早速当時のクラブ幹事の柚崎さん(広島そごうの社長)のところへ行きましたら、ロータリー情報委員長の新谷さんのところへ行って、入会前のロータリアンとしての教育を受けるようにと言われましたので、八丁堀の新谷弁護士の事務所へ参りましたところ、事務所の前に立派な紳士が立っておられました。そして「あなたは熊野さんですか?」と言われ、「そうです。」と答えましたら、「私は広島中央ロータリークラブの山村です。私は県工の同窓で君の六級先輩になります。君が広島中央ロータリークラブへ入会されると知り、本当に嬉しく推薦人の一人になりました。今日君が新谷先生の事務所を訪問されると聞き、立合ってやろうと思って来たんだよ。」と言われ、不安に思いながら訪問した私にとって本当に嬉しく、これが私と山村先輩との最初の出会いでした。
私は広島中央ロータリーへ入会していなかったら、山村先輩との出会いはなかったと思い、又この山村先輩との出会いの時の事は一生忘れることは出来ません。
そして今日迄私にとって良き師、良き兄貴として34年間お慕い致しておりました。又、ロータリアンとして、社会人としても私の人生の目標であり、鏡としてずっと尊敬致して参りました。
目を閉じ思い出せば数々の思い出が走馬燈の如く浮かんで参ります。山村先輩が広島中央ロータリークラブの三代目の会長をされた時は入会三年未満の私が幹事をさせて頂きましたが、その時も会長よりロータリークラブのそしてロータリアンとしての基本をしっかり教えて頂き、私としてはまさにロータリアンの心構え等これほど勉強になった事はございません。
又、山村先輩は音楽を愛し、歌が大好きで、いつもの店で月に3回から4回位一緒に楽しく歌ったものです。
そして音楽同好会を設立され、会長として今日迄、今の隆盛に貢献されました。そしてお亡くなりになられる1ヶ月前ですが、今日は体調が良いので一緒に歌おうと誘って頂いたのが最後になりました。
本当に長い間お世話になりました。どうかこよなく愛された広島中央ロータリークラブをそして私を何時迄も見守ってください。
迫田勝明君
スライドを用意しましたので、スライドを使いながら話をさせて頂きたいと思います。
私はロータリーに入れて頂いて依頼、囲碁同好会を中心に一緒に楽しんで来ました。先程、会長が述べられました様に、山村さんは大正13年の8月24日の生まれで、昭和53年の11月に中央ロータリークラブに入られ54年7月に副会長、56年7月に会長、そしてマルチプル米山功労者、ポールハウスフェローという事でこれがロータリー歴という事でございます。
終戦後、住友商事と一緒に事業をされまして、山村製作所を立ち上げられ社長として起業されたと聞いております。
当会では囲碁、絵画、音楽の同好会に所属されておりました。私は入会以来囲碁を通じて一番接して来たんですけど、山村さんは六段という事で最初は六目おいて打っておりました。それから指導を頂いて少しずつ上げて来まして。私の記憶に強く残っているのは、名誉会員の高石さんとの対局で、これは私たちから言うとまさに、竜虎の戦い。どちらが竜でどちらが虎か分かりませんけれど、非常に私の記憶に残っている碁でございました。同好会は年に4,5回やりますけど、後はこうしてお酒を飲んで懇親会を致します。色々と話題も多く楽しい会だったと思っております。
山村さんはものすごく紳士でございますけれど、煙草もお好きで、ご葬儀の時、山村さんの棺の中にポケットに煙草が入っていたのを覚えていまして、それ程お好きだったんだなぁと思っております。
最近の山村さんとの交流ですけれど、3月2日の囲碁会に来られて3月25日、4月1日と、私、例会が終わりますと時間がある時は山村さん宅へ行って一緒に碁を打っていました。この2,3年の間は私が勝ったら1目少なくなる、負けたら多くなるという様にやっていたんですが、大体1日4~5局打っていまして、2子、3子が良いところです。
最後に囲碁会に出席されたのが、4月6日ですけれど先程お話しがありました様に、この時もめまいがするという事で1局打たれた位で、途中で退席された様に覚えております。それから7月になって21日、27日とお宅へお伺いましたが、27日にはお話をしている途中でも寝込まれてしまう様な状況でした。この時はもう病院に入院の準備をしておられたんですけど、なかなかベッドが取れないという事でずっと家におられたという風に聞いております。
28日の日がプリンスホテルで花火があった日でございまして、この時も行く前に寄る予定にしていましたが、ものすごく渋滞して寄る事が出来ませんでした。お電話だけして今日は行かれませんという事をお伝えしたのですが、その時に花火の音を聞かれて「何の音だ?」という風に言っておられたという事でした。
それから後、8月2日の早朝に私の方に亡くなられたという連絡を頂いたという事でございます。
これは(スライド)4月6日に山村さんが最後に囲碁会に出られた時のお姿です。
本当に山村さんからは色々教えて頂きました。
何年か前に私がこちらで会長をさせて頂いた時、長老の山村さんを始め何人かの方に、このサムエル・ウルマンの「青春」という詩をプリントして差し上げた事があります。
「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言う。
優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱、青春とは人生
の深い泉の清心さを言う。年を重ねただけでは人は老いない。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。」
この詩をもう一度山村さんに捧げたいと思います。