卓話時間
第1529例会
2012年02月06日 (月曜日)
- タイトル :
- クラブフォーラム ( 国際奉仕 )
「トルコ・チャナッカレ大学との交流について」
- 卓話者 :
- ひろしま国際センター元専務理事 越智正紀 氏
1.トルコ・チャナッカレ3月18日大学との関わり
平成7年頃、ひろしま国際センター(HIC)へ、トルコの「トロイ遺跡」の隣町チャナッカレ市にある国立大学の日本語学科長(日本人)からカレンダー送付依頼が届いた。トルコと日本の交流100年を記念して日本語学科が開設されたが、日本の情報が皆無のため、日本の風物、風俗、習慣などが掲載されているカレンダーを送って欲しいとの依頼。これに呼応して、広島に居住する留学生用に企業からいただいたカレンダーの一部を送付した。以降毎年続けて送付。大学では一般市民にも公開し「日本のカレンダー展」を開催、好評の中恒例化している。
平成10年、HIC設立10周年記念旅行団をトルコに派遣、大学を訪問し学生と交流。翌年から同大学卒業予定者数人が「松下財団」の旅費支援のもと日本研修旅行を開始。その際、HICで日本語研修、ホームステイーを実施。又本会が歓迎会を実施することが恒例化している。
2.親日国トルコ
トルコと日本の友好関係の原点は、1889年のエルトウ―ルル号の日本訪問及び遭難事故にある。時の明治政府に対するオスマントルコ帝国からの使節団が、帰路紀州沖で台風に遭遇、軍人、乗組員等600人弱が死亡。生存者69人を明治政府がトルコへ送り届けたことから、トルコは有数の親日国となった。この背景には、不凍港を求めて南下戦略をとるロシア帝国を共通の敵とする明治政府とオスマントルコ帝国の外交戦略があった。実際に、1904年に勃発した日露戦争の際、ロシア帝国は黒海のロシア艦隊を地中海経由で日本へ向かわせようとしたが、オスマントルコ帝国はトルコ領(ダーダネル海峡)の通過を拒否。そのためロシアは遠くバルチック海から艦隊を移動させることとなり、それが日本海海戦での日本の勝利の一因ともなった。その後オスマントルコ帝国が崩壊し、トルコ共和国が誕生した際、明治政府の行った諸政策をモデルとして国づくりが行われている。