卓話時間
第1483例会
2011年01月17日 (月曜日)
- タイトル :
- 新春会長挨拶
年男大いに語る
- 卓話者 :
- 新春会長挨拶:出崎会長
年男大いに語る:迫田、嶋本、箕輪君
新年初めての例会となった。本日の卓話は新春会長挨拶と、兎年会員の年男の卓話。特に嶋本君は明日を還暦にして、人生やっと折り返しとやる気を見せた。
会長新春の挨拶 出崎邦彦会長
新年明けましておめでとうございます。昨年は本当にお世話になりました。
本年も昨年同様宜しくお願いいたします。
今年は、1月3日、10日と例会は休会となり、今日17日が゛今年初めての例会となりました。
今年は卯年で、十二支のひとつで第4番目に当たります。西暦を12で割って7が余る年が卯年となっております。
「十二支の考古学ー卯ー」と題して奈良県立□橿原考古学研究所附属博物館で展覧会が開催されていると新聞に紹介されておりました。
今年の干支にちなんで、日本、中国、韓国などの遺跡から兎を描いた出土品や拓本30点以上が紹介されているそうです。
兎が月で不老不死の薬を作るという中国の神話が(日本で餅つき)変わった様子が展覧会でうかがえるそうです。
中国では兎は不死の女神に仕えるとされ、仙人になれる薬を作ると考えられておりました。「月にうさぎ」の神話が日本に伝わったのは、7世紀頃で中宮寺に残る最古の刺繍「天寿国繍帳」には、臼に杵ではなく、棒でつぼの中をつつく兎の姿があるそうです。
しかし、江戸時代の絵図に登場する月の兎は、両足で杵を抱えて餅をついているようにしか見えないそうです。道教の神仙思想が根強い中国では、不老不死の薬を作るという意味が日本ではわからなく、身近な餅をつく姿にすり替わったのではと、岡林学芸員は説明されておられたそうです。
兎年については、色々とお話ししてみたいこともありますが、今年の年男の会員の方々からも後程お話しがあると思いますので、これで終わらせて頂きます。
6回目の年男 迫田勝明君
皆さん新年明けましておめでとうございます。
かって、伊庭貞剛(さだたか)は、「はればれし雪降る門の松飾」と読んでいますが、今年の正月は古いこの句のとおり、寒い正月でありました。皆様はお変わりありませんでしたでしょうか。私は、「七十はまだ娑婆くさし年の暮れ」とか言っているうちに、新年を迎えまして、当年とって(十年取って)六二歳の年男となってしまいました。
平均余命表というのがありますが、これをみてみますと、私の年まで生きてきた人は、同級生一万人のうち、七四七五人であり、既にほぼ四分の一の人が亡くなったことになっており、私の平均余命は、12.84年となっています。気持ちは若いつもりでありますが、このデータを見ますと、俺、大丈夫かなという気持ちになってくるのであります。正に、「秋霜いく時ぞ、老いを如何せん」の心境であります。
さて、このところ、タイガーマスクの本名である伊達直人を名乗って、ランドセル十個などの寄付といいますか、置き去りが話題になっているのはご承知のとおりであります。皆様ご承知のように、ランドセルは結構高価なプレゼントであり、一般の方が高価な奉仕を陰ながらされるのは確かに素晴らしいことであります。
この伊達直人の話が一大痛快事として語られる背景には、わが国において「寄付」という行為が世間に標準化していない事情があるのではないからではないでしょうか。今、日本で、誰かが慈善の気持ちを持っていても、その意思を表現する手段が確立されていないのは確かであります。日本の社会には寄付の方法や手段について明快なスタンダードがないので、人々は「売名」と呼ばれることを恐れたり、「偽善」と判断されることに及び腰になって伊達直人を名乗るのではないでしょうか。
きちんと実名を伝えて寄付をしつつ、その一方で、寄付をした人の名前を安易に報道しない形で処理する枠組みがあれば、伊達直人のような芝居がかったことはしなくてすんだかもしれないと思うのであります。
一方で、ランドセルをおかれた施設の側からは、匿名でも良いから、施設の側が何を欲しているかを施設に問うた上で、寄付をして欲しかったという声も聞こえています。
私たちのロータリーの活動を含めて、寄付という行為が市民の間で普通の習慣として定着するまでにはまだしばらく時間がかかるのではないかと私は感じますし、私たちのロータリークラブもこれがロータリークラブの奉仕なのだと市民に受け入れられるような効果的な奉仕の方法をもう一度検討してみる必要があるのではないかなと考えるこの頃であります。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
5回めの年男 嶋本文雄君
明日(1月18日)でちょうど5回目のうさぎ年を迎えます。やはり少し悲しい出来事ですが、我々生ものにとって仕方ないこと思い、他の多くの悲しいことと比較すれば、大変幸せだと前向きに考えたいと思います
ヒトのからだは、約60兆個の細胞で作られています。これらの細胞に、バランスの良い栄養と適度の運動を与え、さらに精神的に過度の負荷をかけず、いっしょうけんめいに大事に育ててやれば、生物学的には人間は120歳まで生きれるそうです。ですから60歳はちょうど、マラソンでいえば、ハーフマラソンを走り終える時期になります。ちなみに1昨年大島のハーフマラソン(21Km)に参加し、ゴールの数百メートル前で意識がなくなり救急車で近くの病院へ運ばれ、天国と地獄をさまよったかは覚えていませんが、どうにか生還してきました。また1年前から循環器、耳鼻科、皮膚科の先生にお世話になるようになりました。しかし自分の専門の病理医の先生に剖検だけは、お世話になりたくないと思い、明日からは私の可愛い
60兆個の細胞を大事にして、残りのハーフマラソンを走ろうと思っています。目標は大還暦120歳をめざして、広島中央ロータリーの大先輩に見習って、少しでも近づけるように努力したいと思います。
4回めの年男 箕輪猛君
干支にまつわる相場の格言に、辰巳(たつみ)天井、午(うま)尻下り、羊(ひつじ)は辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)笑い、亥(いのし し)固まり、子(ねずみ)は繁盛、丑(うし)躓き、寅(とら)は千里を走り千里を帰る、卯(うさぎ)は跳ねる、とあります。
この格言通りにいくと卯は跳ねる飛躍の年となります。確かに、戦後の日経平均の騰落率をみても十二支の中では辰がトップで子が二番目、そして卯が 三番目に年間上昇率が高く、卯年の日経平均年間平均上昇率は 24.7 %となっています。
これは単なる干支に絡めた経験則、アノマリーといった単純なものではなくて、約 12 年周期の景気の循環サイクルから捉えたものと思われるだけに期待したいと考えます。
十二支では卯ですが、 60 年では 『 辛卯(かのとう) 』 。西暦を 60 で割って 31 余る年が 『 辛卯 』 になります。辛(かのと)とは、改める、革新する、開拓するといった意味だそうです。
中国古代の書「釈名」に「辛は新である」との記載があります。
卯という文字は、門の扉を左右に開いた姿を象ったものであることから、 『 辛卯 』 は革新、改革によって新たな門が開かれ飛躍する年ということになります。
過去の卯年を振り返ってみると、新しい時代の幕開けになる事が多く、 1867 年大政奉還、 1951 年日米安保条約調印、 1975 年岡山~博多間新幹線開通、1987 年国鉄分割による JR グループ発足、 NTT 株式上場、などが主な出来事です。
また、過去の卯年は、危機から脱却して飛躍した年になる傾向にあります。
1975 年は、オイルショックからの立ち直り
1987 年は、円高不況からの立ち直り
1999 年は、日本独自の金融危機からの立ち直り
今年は、リーマンショックによる世界的な金融危機から漸く立ち直り、革新によって新たな時代の幕開けとなる年になることを願っております。
私も卯年らしく、仕事もロータリー活動も跳ねて飛躍出来る様に頑張りたいと思います。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。