卓話時間
第1345例会
2007年08月20日 (月曜日)
- タイトル :
- 新会員卓話
- 卓話者 :
- 黒瀬真一郎君
「愛と恕し」―戦後62年のヒロシマー
広島の夏を象徴する夾竹桃の花が、歴史の重荷に耐えて、今年も咲きました。
今から六十二年前の八月六日、広島は「この世の終わりを経験しました」 それ故に「他の誰にもこのような思いはさせてはならない」と平和を祈り、活動を続ける被爆者にとって、再び辛い、暑い夏が巡ってきました。
灼熱のあの日、八時十五分、軍需工場や軍司令部、官庁へ学徒動員された生徒、雑魚場町での建物疎開作業にかりだされた高等女学校一、二年生、また、学校でのチャペル礼拝を終えた直後に、犠牲となられた三百五十名の生徒・教職員が一瞬にして尊い命を奪われました。
一昨年亡くなられた原爆詩人・栗原貞子さんは、生涯をかけて「ヒロシマの心」を国の内外へ発信され、1952年次のようにその思いを詠いました。
「夫をかえせ、子どもをかえせ、焼き尽くされた青春をかえせ、
二つの国の原爆を、海の底に投げ捨てろ!」
その後、この二つの国に加えて、イギリス、フランス、中国を巻き込む猛烈な軍拡競争が始まり、核兵器の数は、1986年には、69、000発にまで増加しました。1990年代初期に冷戦時代が終わり、核兵器の数は、急速に減少しましたが、しかし、その破壊力は、広島型原子爆弾の約20万倍といわれ、実に現在、26、000万発もあると言われています。
しかも、核兵器の保有国は、イスラエル、インド、パキスタンへと拡がり、さらに現在では北朝鮮とイランの核兵器の開発が、世界中の人々を不安に陥れ、脅かしています。
戦争の世紀から、21世紀こそは「和解と共生」の時代にとの、願いとは逆行するかのような世界の憂うべき情勢にあって、今こそ改めて「かけがえのない命が何よりも尊ばれ、大切にされる」社会の創造のために、学び、働くことが求められております。
秋葉広島市長は今年8月6日、平和宣言で、被爆・敗戦62年たっても、ヒロシマの訴えが充分に伝わっているとは言い難い現状を踏まえ、被爆の原点に立ち戻る必要性を強調しました。
原爆投下を「しょうがない」とした前閣僚の発言や、アメリカでの根強い原爆投下正当化論など、被爆後のこの世の地獄と化した悲惨さや、被爆者の悲痛な叫びや、平和への篤い願い・祈りが理解されていない現実を憂慮し、人類は今なお滅亡の危機に瀕していると訴えました。
ローマ・ヨハネ・パウロ二世は、1981年2月25日、平和公園を訪れた際に、
「過去を振り返ることは、将来に責任を担うことです。
広島を考えることは、平和に対して責任をとることです。」
という言葉を残されました。
広島に起こった事実を知ること、受け継いで後世に伝えること、平和を創り出す者となる決意をし、実践することが今求められています。
広島女学院では、若くして無念の死を遂げられた犠牲者を思い、平和教育を大切にし、とりわけ力を入れて、取り組んでまいりました。
幼稚園では、年長の園児が平和資料館へ出かけ、中高では他校に先駆けて平和教育カリキュラムを作成しての実践、原爆被災誌「夏雲」や「Summer Cloud」の出版、「平和を祈る週」や国内外の生徒の平和公園内の碑めぐりの案内と交流など・・・、大学では、原爆講座、海外提携校とのジョイント・セミナー、キリスト教学校同盟校との交流、平和学を取り入れています。
一昨日、八月四日に広島市と広島平和文化センター、そして朝日新聞社が主催する「国際平和シンポジュウムー再び核廃絶のうねりをーヒロシマから世界へ」が広島国際会議場において、開催されました。
この開会行事でヒロシマ女学院大学の学生・教職員有志による朗読劇「夏雲は忘れない」が日英同時通訳で上演され、参加者に感動を与えました。
同窓会は、一昨年、被爆六十年を記念しての証言集「平和を祈る人たちへ」を、英語版と合わせて刊行し、関東ブロックでは、今年も先月、埼玉県川口市で「夏雲の集いー被爆犠牲者を偲ぶ追悼の会」が開かれ、証言集が朗読され、私も出席者の一人として深い感銘を覚えました。
このような学院を挙げて行なわれる、長年の平和のための実践が評価され、昨年「谷本 清平和賞」を受賞しました。これまで河本一郎さん、吉永小百合さんや新藤兼人さんなど個人が受賞されましたが、団体としては初めての栄誉を受けました。
次代を担う子どもたちに、平和と核兵器廃絶の願いと祈りを込めて、「命を尊ぶ教育・平和教育」の意義を改めて確認し、「被爆の原点に立ち返り」ヒロシマに生きる者、広島にある学校として、ここ広島女学院から教職員と園児・生徒・学生そして同窓生が力を合わせて、国内はもとより、広く世界へ発信し、地球市民として平和・共生社会の担い手となることを、広島女学院原爆慰霊碑に誓いました。 2007.8.6