卓話時間
第1450例会
2010年03月15日 (月曜日)
- タイトル :
- 会員リレー卓話No11
「失敗談/刑事事件の時効に思うこと」
「広島の魅力」
- 卓話者 :
- 戸田幹雄君
橋本哲充君
~刑事事件の公訴時効について想う~ 浦崎御殿殺人事件
戸田幹雄君
プロローグ
昭和55年2月9日午前2時ころ、穏やかな波しぶきの瀬戸内海に面した半農半漁の町、尾道市浦崎町高尾770番地、尾道市長、佐藤 勲さん方において、同夫妻が、何者かによって惨殺された。
鋭利な刃物でメッタ突きのまれにみる凄惨な殺害現場であった。
広島県警総力を挙げての必死の大捜査もむなしく、平成7年2月9日公訴の「時効」15年を迎えた。
事件発生時、私は、尾道警察署防犯課長であり、捜査本部要員として捜査に従事した。
しかし、未解決のまま時が経ち、時効を迎えた平成7年2月には、捜査本部が設置されていた福山西警察署長として、時効の記者会見の役目を務めた。
一生忘れることのできない事件の回顧と反省を込めた捜査の裏話です。
事件との関わり合い
・昭和54年4月、私は尾道警察署の「防犯課長」に着任した。
関係者へのあいさつ回りで尾道市役所において当時の市長「佐藤 勲」氏に着任挨拶を行い激励を受けた。
佐藤市長は、医師でもあり、自宅に近接した所で「浦崎病院」「浦崎老人ホーム」等を経営していた資産家であった。
1 贈収賄事件の捜査
尾道署に着任後、刑事の聞き込みから佐藤市長が、尾道市の公共工事に絡んで、「賄賂」を収受していることが判明、その年の夏前に市の指定業者31社から総額2,880万円の賄賂を収受した容疑で逮捕した。
留置場で世間話をしたが、当時、高度成長期であり、仕事をした謝礼として工事代金の3~5%を受け取るのは常態化しており、「罪」の意識がなかったと述懐していた。
・ 肩書だけの市長
贈収賄捜査も秋には終り、起訴され保釈中の身で判決を待ちであったが、新市長選挙までの政治生命であったが、市長の肩書で生活されていた。
・ 事件の舞台となった尾道市浦崎町の現状
尾道市浦崎町は「沼隈半島」に位置し、沼隈町には、常石造船が主要産業としてあるが、浦崎町は尾道市の東端であり、静かな田舎町といった風情があった。
現在は福山市に合併されているが、昔は交通機関は船が主流を占め、住民の働き場所も尾道市が多く、行政的には尾道市であった
警察の管轄は「福山西警察署」であった。
福山西警察署の管轄は、福山市を流れている一級河川芦田川の西側から福山市鞆町、沼隈郡一帯、尾道市浦崎町等であり、署員は署長以下130名余りが勤務していた。
2 殺人事件の概要
・ 事件の認知
昭和55年2月9日午前9時ころ、広島県警通信指令室に「尾道市長佐藤夫妻が自殺している」と浦崎病院の事務員から110番があった。
指令を受けた福山西署員等が現場に駆け付けた。
当初は誰もが市長が裁判を受ける身を嘆いて奥さんを道ずれに無理心中を図ったと思った。
・ 初動捜査
現場に駆け付けた所轄署の刑事課長等が、地元では「浦崎御殿」と呼ばれている大邸宅の二階に駆け上がると、二階の扉の前で市長夫人が血まみれでうつ伏せに倒れていた。
夫人から3メートル離れたところに、でっぷり肥え、大きな腹を出して血まみれで仰向けに佐藤市長が目をカーツと開いてこと切れていた。
佐藤市長の首は「首の皮一枚」という表現のように、掻き切ってあり、首はブラブラしていた。犯人は市長に馬乗りになり掻き切ったと思えた。現場を見た刑事課長は「心中ではない、殺しじゃ」と興奮して叫んだ。二人が殺害された二階は八畳間の寝室と、六畳間の寝室があり、八畳間のベッドに多量の血痕が附着していた。
ベッドで就寝していた市長が鋭利な刃物で数度にわたり胸腹部を刺され、一撃で仕留められず、起きてきた市長がベッドから5メートルぐらいのところで倒れ、息絶えていたれ、(解剖結果では左胸部下切創痕二か所、腹部三か所、首部一か所、左右腕部三か所の傷、死因は出血多量)六畳間で就寝中の夫人は、必死に逃げだそうとしたが、背後から十数度刺され殺害された。
(解剖結果、背中部に十数か所、腰部十数か所の切創痕、死因出血多量)
凶器は刃渡り15㎝位の先端が鋭利な刃物と推定された。
凶器は発見されていない。
死体見案などから犯行時間は午前2時ころと推定された。
・ 現場鑑識
二階八畳間には大きな据え付け金庫があり、そのダイヤル部分を回した痕跡があり、部屋には、長女の結婚の「祝儀袋」の空が、何百枚と散乱していた。
邸宅の裏門に立っている電柱の電話線が切断され、しかも、一階居間の地下ケーブルまで切断されていた。
3 捜査本部の設置
警察本部中村刑事部長を長とする総勢140名の特別捜査本部が設置された。
捜査方針
・ 現場付近の聞き込み、目撃者探し
・ 車両、タクシー、バス、駅関係者への聞き込み
・ 市長夫妻の前日の足取り捜査
・ 浦崎病院、浦崎老人ホーム等の関係者への聞き込み
・ 市長の交際関係者の洗い出し
・ 尾道市役所、市役所出入り業者への聞き込み
・ 市長への公的、私的な怨恨者の洗い出し
・ 暴力団、精神異常者、前歴者などの洗い出し
捜査幹部が力を入れた捜査
贈収賄事件関係者、特に裁判を控え、市長から名前を出されたくない者が殺し屋を雇った可能性、尾道の暴力団「侠道会」が関係しているとの推測の元、徹底した暴力団関係者の逮捕を進めた。
また、現場の状況から「物とり」説が有力になり、大多数の捜査員は「強盗殺人」の犯人探しに駆り出された。
動員捜査員19万7,000人、取り調べた容疑者1,700人
未解決に終わった原因(反省)
・ 殺人の動機が、物とり、怨恨、贈収賄がらみ等複数上がったが、絞り込めなかった。
・ 精密鑑識の欠如(大量の捜査員が現場に入りすぎた?)
・ 捜査本部幹部の人事異動等により責任感の欠如?
犯人は身近な関係者?大きな見落とし?
「広島の魅力」
橋本哲充君
私はホテルマンです。
ロータリーの職業分類でも「ホテル事業者」となります。しかし自分は観光事業者であると自負しております。ホテルというと「川下商売」の象徴のように思われます。
川下にいて水が流れてくるのを待っている。景気が良いと水が流れてくるが、悪いと水が流れて来ない。客が来るも来ないも景気次第でまさに「他力本願」。
一方で「観光事業」は「人を動かす」「人の流れを作る」大きなマーケット(川上)から自分たちの地域(川下)へいかに人を呼び込むか、いわば「川上」に立っての戦略・施策を実行する事業であります。
本日私は観光事業者の視点で「広島の魅力」将来性についてのみお話します。
結論から申しますと広島の観光産業の将来的な魅力はAクラスです。理由は簡単、現状の実績が低すぎるから。広島が持つポテンシャルを鑑みて海外・他県からの観光客が少なすぎるので伸びしろが非常に大きい。
1つだけ数値データを披露しますと、観光庁の宿泊旅行統計調査で広島県の年間宿泊者数は約530万人。内訳はビジネス客380万人、観光目的客150万人。ちなみに観光目的客の数値はお隣の岡山県山口県よりも少なく大分県熊本県の半分以下で福井県とほぼ同じで全国35位。私が考える観光発展(人を呼込む)3つのポイントは、(1)交通の利便性と輸送力(大きなマーケットからの) (2)地域の知名度 (3)人を来させるための目的づくり(理念やコンセプト)だと考えます。広島はその意味では他の地域に比べすべての点で競走優位と思われ、非常に魅力ある都市と思いますが皆さんいかがでしょうか。