卓話時間
第1178例会
2003年09月29日 (月曜日)
- タイトル :
- 今一度、日本の価値観
- 卓話者 :
- EIG福祉会副理事長(広島陵北RC所属)石田晃司氏
卑怯者、狡猾、残酷・・・。現在の中国や韓国、北朝鮮の教科書を見ると、戦時中の日本の軍人及び、そこからイメージされ植えつけられる日本の国民性、それはもう惨憺たるものです。
確かに軍部は何かと言えば統帥権を持ち出し、狂気ともいえる暴走を繰り返しましたし、戦争という非日常性の中で、徴兵された普通の民間人の中には理性を失った行動をした者もいます。また、開戦に当たり軍部を煽った張本人は当時の一部の民衆でありマスコミであった事も素直に認めざるを得ません。この様な事が後に引き起こした事を考えると、私は日本人として慙愧の念に耐えません。そして、適切な判決だったかどうかは別として、結果的に、極東軍事裁判で日本は国家的な犯罪を行なったナチスドイツと同様なレッテルを貼られてしまいました。
その後、日本は努力の末、世界第2位の経済大国までになりますが、その間、敗戦国という立場の我々が、過去のレッテルのために土下座をさせられ続けて来た事は紛れもない事実です。また、並行して我々日本人は古来から引き継いできた素晴らしい心も、それを証明する史実も自らの手で葬らされてきました。
戦後半世紀以上が過ぎました。私達は、これらの歪な歴史観をこのまま子孫に引き継がせていいものなのでしょうか。このまま簡単に日本人としての誇りや自信を捨てさせていいものなのでしょうか。
意外なことですが、インドネシアやタイ、台湾を訪れると、日本人としての私を歓迎してくれたり、親近感をもって接してくれたりするお年寄りが少なくありません。そして、日本人が自虐的に持たされている、世界一の嫌われ者といったイメージはそこにはありません。むしろ、戦前の日本人の素晴らしさを皮肉にも彼らから逆輸入的に知らされるのです。そして、自国の素晴らしい部分を他国の人からしか教えられなくなった戦後日本のプライドのなさには情けなさを通り越して、憤りさえ感じるほどです。
記憶に新しい所でこんな事件がありました。イラン・イラク戦争が始まった時です。脱出しようとした日本人のためにいち早く救出に来たのは日本政府ではなく、トルコ政府でした。なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも理由が理解できず当惑する中、初めて明治時代に起きたエルトゥール号遭難事件というものを知ります。この事件、トルコのエルトゥール号が暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で沈没した際、死者を丁重に弔い、死を免れた69名には地元民が手厚い救護を行ったというものです。この時、地元民は自分たちの食べるものさえ無かった状況にもかかわらず、非常時のために残していた鶏までも遭難者に差し出しています。やがて遭難者達は明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられるわけですが、さらにその後、日本人の有志が義捐金を募り、トルコまで直接赴いています。
航空機の派遣に際し元駐日トルコ大使こう発言しています。「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえエルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。」
また、先日、私のロータリーの親友であるA氏がポーランドに行った際に、意外にも日本人というだけで大変な歓待を受けたとおしゃっていました。実は、ポーランド人も日本人の素晴らしい姿をある事件を通して知っています。それは、第一次大戦後にシベリアに流刑されていたポーランド人孤児765名を人道的に受入れ、病気治療、休養をさせた後に祖国復帰を実現させたシベリア孤児救出事件です。実際に、この時、すべての欧米諸国はポーランドの要請を拒否したのですが、日本政府は17日という極めて短い期間で迅速に対応しています。
また、ロータリーのB氏はこんな事をおっしゃっていました。約40年前、対日感情が悪いといわれていた台湾に赴いた時の事です。現地の方に「君は日本人か?」と言われ、思わず身構えたそうです。しかし、相手はすぐに笑顔で「日本人は大好きだ。ところで君は八田與一先生をご存知か?」と聞かれ、知らないと答えると、その方は八田ダムにまつわる話をして下さったそうです。
自分とは関係のない嘉南平野に住むすべての農民に愛情を注いだ八田さんの熱意は、やがて政府を動かし、当時の台湾総督府の国家予算の6分の1もかけて八田ダムと水路が完成していくことになります。現代になっても、毎年、ダムが完成した5月8日になると、嘉南平野の農家の人々は、収穫した農産物をもって八田さんの銅像とご夫妻のお墓の前で感謝をささげるそうです。
興味を持ったB氏が日本に戻って勉強すると、台湾をめぐっては、各地に八田さんと同じように都市整備、衛生、教育、農業に命をささげて尽くした日本人がたくさんいたことが判り、彼は改めて当時の日本人の中に流れていた親切で温かい精神を知ったのだそうです。
さて、色々と述べてきましたが、そろそろまとめに入ります。
南京大虐殺があったかどうか、虐殺されたのは30万人だ、いや40万人はいたとか言う議論があります。しかし、私はむしろ、その時の大虐殺について正式に伝える写真等が現存しない(あっても、その多くが捏造若しくは合成である)ということに興味があります。また、従軍慰安婦の問題においても、官による強制的なものであるという事が言われて久しいのですが、今だにこれを裏付ける証言も証人も現れていないのが不思議でなりません。そして、この2つに代表される立証できない「日本の悪行」が驚くほどたくさんあるのが実際です。
一方で、戦前日本が他国に対して行なってきた誇るべき行為については、国内において、ことごとく歴史の中から消し去られようとしていますし、現代においても一部の国に付いては日本人の経済的、技術的な援助は意図的に隠され、あいも変わらずクローズアップされるのは戦時中の事実かどうか分からない悪行ばかりです。
特定の国を批判するつもりは全くありませんし、日本の全てが正当であるなどとは到底言えません。しかし、歴史は過去においても未来においても正しく追及されるべきであり、自国の都合のよいように消し去ったり書き換えることは決して許されることではありません。繰り返しになりますが、確かに盧溝橋事件以降の対中政策や、対米交渉を続けながらも南部佛印に武力侵攻した事等は、紛れもない侵略行為であり、それらの事に関しては一人の日本人としてご迷惑をおかけした近隣諸国の皆様に心からお詫び申し上げたいと思います。しかし、一方で、有ったか無かったかさえも判らない事を持ち出してきて、何でもかんでも日本人を悪く言う内外の風潮は誠に心外であり、このように歴史を弄ぶかのような行為は、未来においてまた悲惨な戦争を呼び起こす虞があるため、全くもって承服できません。
そして、最後に申し上げたいのは、日本自身が恒久平和を目指す国として、もっと正確で正しい歴史観を子孫に残すべきだということです。その結果、過去の新たな「悪行」が発掘されれば、どれほど時間と費用がかかろうと誠意をもってお詫びすべきです。しかしながら、戦後これまでのように、過去の良いことまで否定し、自虐的な歴史観のみを繰り返し子供に植え続けるのであれば、それは又違った意味の悲劇を引き起こす気がしてなりません。
21世紀を向かえ、そろそろ日本も本当の意味での日本人らしさを取り戻すべきだと思います。
外交、教育・・・切り口は一つではありませんし複雑で困難な気がします。しかし、「正確な歴史観」というキーワードでこれらをつなぐ事が実は今一番重要な事だと言う気がして、本日様々な事をお話させていただきました。
ご静聴有難うございました。