卓話時間
第1389例会
2008年09月09日 (火曜日)
- タイトル :
- 米山記念奨学会について
- 卓話者 :
- 土肥博雄君
橋本満会長の下、米山奨学委員会の委員長の役を仰せつかっています。
よく分からないので調べてみますと、米山さんが創った財団だと思っていましたら、全く違っていました。みなさんも新会員のうちはそう思っていたと思います。
1948年、第二次大戦で途切れていたロータリーを復活させ戦後初の東京ロータリークラブ会長に就任した古沢丈作氏は、東南アジアから日本の大学に留学生を受け入れて教育をしようと提案した。そして日本初の東京ロータリー初代会長である米山梅吉の名を冠した「米山奨学」は1954年に初代としてタイのソムチャードさんを受け入れた。
その後米山奨学は東京ロータリーのみならず、日本全国のロータリークラブから基金を集め1967年7月米山奨学は遂に財団法人格を取得し、益々の発展をした。
しかし、1996年をピークに財団の財政状況は悪化に一途を辿り奨学金の減額もなされ、1999年からは基金の取り崩しが余儀なくされた。
当広島中央ロータリーの会員の皆さまには、米山奨学への特別寄付金をお願いしたいと存じます。勿論、無理の無い範囲ではあります。月々10,000円の積み立てを10ヶ月行って頂きますと、米山功労者となります。今まで米山功労者を受けておられない方には是非今回この機会に米山功労者となって頂きたいと存じます。宜しくお願い申し上げます。
米山奨学という事業がどんなものなのか、私自身が勉強したことをお話したいと思います。
米山奨学資金は多くの方々の苦労で成り立っています。
アジアの優秀な学生を招いて研究させようと考えられたもので、当初タイ・バンコックとインドに奨学生の推薦を依頼していたが、バンコックのロータリーからバンコクのカセサート大学で農学士を取得した25才の学生ソムチャード・ラタナチャが1954年9月に来日しています。東京大学農学部研究生となりますが、当時教授に受け入れてもらうため大変な苦労があり、無事修士課程を修了し帰国しています。帰国後は、農政に従事しています。
第2号はインドから東京大学で学んでいた水産資源学を学んでいたインペイ氏が教授とインドのラジャールロータリークラブから推薦され決まっています。
東南アジアの国のロータリークラブから推薦してもらう方法から、既に日本で学んでいる学生から奨学生を決める方法に変わっています。
第3号の奨学生を含め3名で、東京ロータリークラブの事業が終了しています。
米山奨学が東京ロータリークラブだけで終わらせたくないと、1956年10月に開催された東京以北のロータリーをまとめている組織が米山奨学会を財団法人とすべきを決議しサポートしようと決めています。
1957年9月に全国組織の米山奨学委員会が発足しています。
初代委員長は東京ロータリーの小林雅一氏です。委員長となった小林は西日本のクラブに呼びかけ関西の寄付金が増えます。全国19の大学に呼びかけ8大学から推薦を受け8名が選ばれています。
1967年7月についに財団法人米山記念奨学会が誕生します。基本財産3000万円でした。
二代目委員長は田誠氏です。
1970年7月には事務局が開設されました。当初随分苦労されたようですが、選考試験が始まりました。
1991~2000年までの寄付金の推移ですが、順調に推移していたようですが、特別寄付金が減ってきて、積み立て基金の取り崩しや、奨学生の人数も金額も減少していきます。
是非、米山特別寄付金への参加をお願いし、米山功労者になって頂くようお願いいたします。
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