卓話時間
第1330例会
2007年04月16日 (月曜日)
- タイトル :
- 「ビジネス・エシックス(企業倫理)」
- 卓話者 :
- 福田 浩君 弁護士
第1 はじめに
1 みなさん、こんにちは。
去年の11月、お仲間に加えていただきました、福田浩です。本日は、「ビジネス・エシックス」という題目で、お話させていただきたいと思います。
2 「ビジネス・エシックス」は、「企業倫理」と訳されています。
初めは、「コンプライアンス」という題目にしようと思いました。「コンプライアンス」は、もともと、「社会的規範も含めた一般的ルールに従って行動する。」という意味をもっているそうです。が、日本では「法令遵守」と訳されており、一般的には「法律を守る。」という狭い意味に捉えられているようです。
しかし、このように狭い意味に限定するなら、「法律を守る。」という当たり前のことを言っているだけで、声高に「コンプライアンス」と提唱する必要はないように思います。
そこで、あえて、「ビジネス・エシックス」、「企業倫理」という題目にさせていただきました。
第2 ビジネス・エシックス(企業倫理)
1 ビジネス・エシックスは、個人の道徳規範を、営利企業の活動や目標にどのように適用するかを研究します。
そして、3つの分野を研究対象にします。それらは、(1) 法律に関する選択、(2) 法律の守備範囲を超えた経済的・社会的問題に関する選択、(3) 自己利益優先に関する選択です。
1番目の「法律に関する選択」とは、平たく言うと、会社は、「お金儲け」と「法律」とが矛盾する場合、法律に従うべきか否かという問題です。
これは、まさしく、「コンプライアンス」、「法令遵守」の問題ということができます。
2番目の「経済的・社会的問題に関する選択」とは、会社は、どこまで、誠実さとか公正さとかが求められるのかという問題です。
たとえば、会社は、100パーセントの安全性が確認されないかぎり、商品を販売してはいけないのでしょうか。
有名タレントを使ったコマーシャルやイメージ広告は、消費者に誤解を与えるということで、やめるべきなのでしょうか、などといった問題です。
3番目の「自己利益優先に関する選択」とは、会社は、どこまで、他人の利益よりも自分の利益を優先すべきなのかという問題です。
たとえば、会社が倫理的・道徳的な存在であるというのであれば、すべての利益を社会貢献やメセナに使うべきなのでしょうか。
どこまでの内部留保が許されるのでしょうか、などといった問題です。
2 話は変わりますが、私は、経営者の方などから、このような「ビジネス・エシックス」に関係する相談を受けます。
「先生、さる国で、建築工事を請け負えそうなんですけど、役人から、袖の下をくれと言われました。日本じゃないし、渡してもいいですか。」
「金を渡さないと、仕事は請けられないの。」
「多分、だめです。でも、ばれなきゃ、大丈夫ですよね。」
「いやあ、あの国の刑罰は重いって言うし…、やめておいた方が…。」と答えると、「先生、みんな渡しているんですよ。」と、大丈夫という言質を取られそうになります。
「いやあ、だからといって、大丈夫なんて言えないよ。」と答えると、「じゃあ、仕事諦めろと言うんですか。」と、怒られてしまいます。
なんで怒られなきゃならないのと思いながら、「いやね、企業倫理というものが…。」などと答えると、「先生は、金儲けが分かっていない。もう、いいです。」と、そんなことを聞きにきたんじゃないと席を立たれてしまいます。
3 そんなに怒らないでください。
お金儲けの大切さは、痛いほど分かっています。
なぜかというと、私自身、お金儲けのために、何の疑問も持たずに、してはいけないことをしてきたからです。
私は、以前は、自動車業界の影の部分といわれる国内販売業界で、店長として、自動車販売店を転々し、販売指導してきました。
自動車販売業界は、販売台数至上主義、台数を捌かないセールスは人間扱いされない過酷な世界です。
そんな業界ですから、台数を捌くために、手段を選びません。
まず、見込み客を見つけなければなりません。
車検月が近い人は、新車に買い換える可能性が高いのです。
そこで、私たちは、ショッピングセンターの駐車場に行き、車検月の近いクルマの登録番号を調べ、陸運事務局で自動車検査証を入手し、使用者の住所を調べ、一斉訪問セールスを掛けました。
闇雲に訪問セールスを掛けるより、効率のいいセールス方法です。
お陰さまで、沢山買っていただきました。
勝手に自動車検査証を取ってしまった所有者のみなさん、陸運事務所のみなさん、ごめんなさい。
つぎに、見込み客に買っていただけなければいけません。
契約の締結、私たちは「クロージング」と呼んでいましたが、その決め手はなんといっても、値引き額です。
そこで、私たちは、販売台数プレッシャーの少ない月末に買われるお客さまの値引き額は抑えて、利益を確保し、販売台数プレッシャーがキツクなる月半ばに買われるお客さまの値引きの原資に充当しました。
値引き決裁権のある店長の腕の見せどころです。
同じ商品なのに、割高に買っていただいたみなさん、ごめんなさい。
そのほかにも…。
いや、やめておきます。
これ以上は、この場でも、言えないことだらけです。
4 このように、実は、私も、スケールは違うかもしれませんが、相談に見えられた経営者の方と同じような問題に直面していたのです。
しかも、私の場合、何の疑問も持たずに、突っ走って行動していた点で、より問題は深刻でした。
第3 問題の所在
1 「ビジネス・エシックス」については、以前から、「ビジネス」と「エシックス」、すなわち、「お金儲け」と「道徳良心」は両立しないのではないかという議論がありました。
つまり、会社の存在意義は、利益を挙げることに尽きるのであって、自然人の道徳心や良心といったものは、入り込む余地がないのではないかということです。
なるほど、一理あります。
しかし、マスコミで報道されているとおり、会社の評判に傷がつき、高い経営コストを払った、企業活動をめぐるスキャンダルにより、致命傷を負うにとどまらず企業自体が消滅してしまった事件が相次いでいます。
そこで、最近は、「ビジネス・エシックス」というお題目は分かったと、では、どうやって実現するんだいということが、喫緊の課題となっています。
2 一見相反する「ビジネス」と「エシックス」を融合する、色々なアプローチが検討されています。
3 そのひとつとして、最近有力視されているものに、「してはならないことを明らかにして、社内の管理システムを強化する」という、いわゆる統制・管理型のアプローチがあります。
たとえば、社内に各種委員会を設立して相互監視のもと不正を防止する、社外に通報受け皿を設け不正情報を集めるなどの方法です。
また、職務内容や社内の意思決定の記録を残す仕組みづくりであるISOなども、その一環といえます。
たしかに、統制・管理型のアプローチは、「法律を守る。」ため、必要最低限度の仕組みづくりという点では、有効なのかもしれません。
しかしながら、私は、「ビジネス・エシックス」を実現する方法としては、あまり評価できません。
なぜかというと、統制・管理の仕組みができたとしても、人間は、残念ながら、抜け道を見つける動物だからです。
働く人は、日々、次々と直面する、正義と悪との境界が明確でない問題に対し、きわめて短時間の間に、意思決定しなければなりません。
たとえば、あとわずか0.1パーセントの安全性を高めるために、1億円の巨額な追加投資が必要な場合、どうするか。
商品を出荷する段階で、その商品にわずかな欠陥が見つかった場合、どうするか。売上目標を達成するために、支払能力に若干問題のありそうな客にも販売するか、などなどです。
そのすべての問題に対して明快な回答を与えるような仕組みづくりは、到底、不可能だと思われます。
また、「ビジネス・エシックス」は、個人的な道徳・良心をいかに企業活動に反映させるかというものです。ですから、組織や仕組みではなく、働く人そのものに着目したアプローチが不可欠ではないかと思います。
統制・管理の仕組みにより、働く人が、「分かったよ、マニュアルに従ってさえすればいいんだね。」と思考停止に陥れば、本末転倒です。
「ビジネス」と「エシックス」を両立するために、みんなが、悩み、考えた末に行動することが大切だと思います。
第4 私の意見
1 私は、まずは、一人一人の人間の道徳観や良心を信頼するところから、始めるべきではないかと思います。
そもそも、日本人は伝統的に倫理を重視する国民です。企業スキャンダルの新聞報道などで、「普段は、本当に誠実な人なのに、どうしてそんなことをしでかしたのか分からない。」といったコメントを読まれたことがあるかと思います。
私も、会社員経験を通じて、まったく道徳心も良心も欠落した人など、出会ったことがありません。
ただ、会社という組織の中に入ると、売上・利益の数量的目標や短期の業務効率などが優先され、それ以外のことについては思考停止しがちです。
すなわち、個人が、たとえ道徳的にいい素養をもっていたとしても、集団の一員として行動するときは、個人として行動するときとはまったく異なる選択をしてしまうということです。
2 では、どのようにして、会社という組織の中で、個人の道徳心や良心を引き出してゆくのでしょうか。
ひとつの方法として、働く人一人一人が、ビジネス・エシックスに関連した問題に直面したとき、自らに質問を課し、判断するというアプローチがあります。
それは、「道徳に対する感受性を高める6つの質問」といわれています。
その内容を紹介しますと、
(1) それは、正しいか。
(2) それは、公正か。
(3) 私は、誰かを傷つけているか。
(4) 私は、このことを社会もしくは尊敬する指導者に打ち明けられるか。
(5) 私は、このことを自分の子供にさせようとするか。
(6) それは、悪臭検査に合格するか。
というものです。
みなさん、お気づきのとおり、ロータリークラブで採用されているテストと非常によく似ていますね。
3 このように「ビジネス・エシックス」の問題解決を、個人の道徳心や良心に委ねるようなアプローチに対しては、色々と批判があります。
たとえば、重要な会社経営を、個人個人の良心のような不安定な判断基盤に委ねることはできない。
経営数字や理論に裏打ちされていない判断は、社内はもとより、株主や債権者の納得が得られない。
なるほど、現実問題として、個人の道徳心や良心に委ねるアプローチが万能だとはいえないかもしれません。
しかしながら、そもそも、ビジネス・エシックスの課題は、個人の道徳心や良心をいかに会社経営の中に実現していくかという高い目標に挑戦するものです。
そして、道徳心や良心が極めて個人的なものである以上、個人の道徳心・良心を企業判断に反映させることなくして、ビジネス・エシックスの実現はあり得ないと思います。
4 米国では、1960年代から、現実の企業を取り巻く諸問題をきっかけに、このようなビジネス・エシックスの議論が深まってきましたが、日本では、まだまだ端緒にもついていない、新しいテーマです。
しかしながら、本日、そのほんの触りをお話させていただきましたが、「ビジネス」と「エシックス」、すなわち、「お金儲け」と「道徳・良心」という一見矛盾する要請を現実の企業の場でいかに融合するかという、大変興味深いテーマです。
ご清聴、ありがとうございました。