卓話時間
第1134例会
2002年10月07日 (月曜日)
- タイトル :
- 私の広島おこし
- 卓話者 :
- 碓井静照
今、広島の不景気さは目を覆うばかりで、キリンビール、コカコーラ、JTBの 撤退などたくさんの一流企業が広島を去り、支店なども統合されて人は減るばかりです。マツダも私から見れば今一盛り上がらず、生産ラインも減らしたままです。カープ、サンフレッチェも景気を盛り上げるほどの活躍はしておりません。
街はタクシーの空車が目立ち、交通は渋滞するばかりです。このリーガロイヤルあたりも、武道館や体育館が利用されない時は、むしろ殺風景になり、散歩道としても使えません。平和公園と中央公園が同じ目線で利用されればよいのですが、途中に電車の軌道があったりして一体的に見ようとするとアステールプラザの裏の船乗り場から体育館西の川岸までの船を利用するしかありません。
まあ、こんなことで元気が出ないのですが、そうはいっても健康が第一です。広島市地域で、生活習慣病を少なくしよう、即ち「元気じゃけん広島」の施策にかかわっている私は、せめて散歩道を確保し、どこからどこまで歩いたら、例えば駅から八丁堀まで歩いたらラーメン一杯分のカロリーを消費しますよといった表示をつけるように運動しています。
広島には原爆が落ち、資料館がありますが、何年も同じ展示で修学旅行などで来る人が少なくなったので、もっと臨場感のある南京の戦争記念館のように、日本軍が攻めてくる、火花が散る、といったより臨場感のあるものにするように提言し、一部認められました。私は更に原爆の時は2km離れてもこのような爆風です、このような熱風ですといった体験をするようにしては、と云っているところです。
このような被爆体験を語ったり、平和の尊さを発信するのもよいのですが、こればかりでは能がないと思い、思いつきでも何でも良いから広島の街、広島県の地域をもっと面白く紹介しようと思い、タウン誌「レジャー広島」に「ふるさとまんげきょう万華鏡」なる創作民話を書いて、「へえ、そんな所か、行ったことはあるが、又行ってみよう」と思う人が出ないかな、と思っています。面白く読んでもらうために、多少エッチぽくかいているところです。
「毛利元就」の時もそうでしたが、小説を書くときも「広島おこし」を忘れてはいません。いま「宮本武蔵考」を書いていますが、武蔵が生まれた時と巌流島の戦いの時と、熊本で晩年を過ごしたことは歴史的に認められていますが、吉川英治さんのようにあとの空白の30年を作品にされた部分はいわゆる小説の中で自由に武蔵を泳がせている部分で、誰でも自由に書いてよいわけです。
そこで私は武蔵が岡山県英田郡大原から、関ヶ原の戦に参戦した後、鳥取、島根、山口、大分、熊本を通る過程で広島を場面に採り入れてみました。実際にも武蔵の母は広島出身との説もあるくらいですし、岡山の吉野川の上流の宮本武蔵駅は10年ばかり前に出来ており、多くの名所、旧跡も吉川英治さんが本を書いてから作られたものです。武蔵神社や墓までつくられ、2億円もかけて武蔵の「だるまの画」を買い戻し、「武蔵資料館」を作ったほどです。歴史の改ざんではありません。そこで是非宮本武蔵に広島県を通ってもらって、100年も経てば小説の中とはいえ武蔵が呉の音戸で、吉田で活躍した場面が定着するのではと期待しているのです。
もう一つ申しますと、いま広島市の北部、私の経営する高陽ニュータウン病院の近くのフジグラン、その西の「お好み焼きの徳川」の地階で、私が30年間集めた民具を展示しています。お茶も私が開発したというか、漢方薬の一部と茶薬をブレンドしたものを来客に飲んでもらっています。がらくた集めで家の者に嫌がられたのですが、いまこうして一つ一つ台に乗せたりきちんと置くと、見違えたように生きてきます。これをもちろん無料で地域の人に見て貰い、昔はそうしよったのうと懐かしんで貰っています。これも広島おこしではないでしょうか。