- 本日のプログラム
- クラブフォーラム(R財団委員会)
- 卓話者
- 長場 誠君
- 担当
- ロータリー財団委員会
- 祝事等
- ・会員誕生日(4名)
・配偶者誕生日(6名) - 会長時間
- 「地区大会を終えて」
地区大会が、多くの参加者から高い評価を得て、無事、成功裏に終了しましたことを共に喜び、感謝申し上げます。
田原ガバナー、橋本地区代表幹事、大会実行委員会の扇の要となられた緒方委員長をはじめ大会役員、実行委員会の皆様おめでとうございます。そしてお疲れ様でした。
また、その母体であります79名の会員の皆様が実行委員会の指示を受けて積極的に参加し、協力し、支援されたからこそと敬意を表し感謝いたします。
特に、山野井会員入院に伴い急遽指揮に立たれた戸田会員、渋谷会員、砂田会員の大会直前の献身的なご奉仕に心からお礼を申し上げます。
このように大きな目標を掲げ、同じ方向に向かって、共同作業を進め、心地よい疲労感、達成感を共有できましたことは「広島中央ロータリークラブファミリー」の絆を深め、結束を強める上で大変意義深いことでした。
中途にして病気療養のため入院された山野井会員を大会前日に、会を代表して大久保幹事とお見舞い行きました。お見舞いの翌日退院され、今しばらくご自宅で療養されております。
しっかり養生され回復されましたら、共に例会に参加される日を祈りながら待ちたいと思います。
今回の地区大会についての評価と纏めは、後日実行委員会からされると思います。本日は広島中央ロータリークラブが3つの分野でクラブ表彰されたことを報告させていただきます。
表彰(団体)
1.ロータリー財団年次基金総額賞 1位
2.米山記念奨学金功労クラブ 17回(受け入れ)
3.クラブ例会年間100%出席達成 (全体で8クラブ)
沢山のロータリークラブがある中で、このような栄誉を受けることができましたのは、会員皆様の熱いご協力があればこそと感謝いたします。
また、1993年に姉妹クラブの締結をして以来、交流を深めております台中西区ロータリークラブの21名の皆さんが大会に花を添えてくださいました。
夜遅くの到着後、歓迎会に始まり、大会への出席、観光、ゴルフ、フエァエルパーテイなど5日間の滞在中、村本会員を中心にお世話をいただきました皆さまありがとうございました。
終わりに、広島東洋カープは、25年ぶりにリーグ優勝を果たしました。残念ながら31年ぶりの日本一の座には就くことができませんでしたが、一年間私たちに夢と希望と安らぎ・感動を与え続けてくれましたこと、特に41年ぶりの優勝パレードには31万人が集まり選手たちと喜びを共にすることができました。
優勝報告会では、最後にマウンド前にひざまずき、目頭を押さえ、20年間のプロ野球生活に別れを告げた黒田選手の人としての生き方に深い感動を覚え、まさにロータリー四つのテストここにありと心からの拍手を送り感謝しました。 - 幹事報告
- ◎BOX配布物の確認
①雑誌類=ロータリーの友誌・ガバナーズレター
②「エコ・ドリーム運動」10月分取組表
③会報9月号
④ロンガルス(絵画)同好会作品展ご案内
◎回覧物
①創立38周年記念例会出欠回答(締切本日) - 理事役員会
- ・例会終了後12F「ライラック」にて第5回定例理事役員会開催
- 委員会報告等
- ◎出 席 : 出席報告
◎クラブ広報 : ロータリーの友紹介
◎人間尊重、社会奉仕 : 「エコ・ドリーム運動」9月分取組結果報告及び10月取組表作成
◎ロンガルス同好会 : 作品展お知らせ
◎地区大会 : 打上げのお知らせについて
卓話時間
クラブフォーラム(R財団委員会)
R財団・米山奨学 委員長 長場 誠君
「ロータリー財団100周年記念」
1 ロータリー財団の100年を振り返ります。
1917年のアトランタ大会で、当時のアーチ・クランフ会長のひらめきによってロータリー財団の種が播かれました。アーチ・クランフは、ロータリーの恒久的な基金というビジョンの実現に尽力したことから、「財団の父」と呼ばれています。1913年にロータリークラブ会長に就任したクランフは、将来によいことを続けていくための準備金をクラブで積み立てることを提案し、ロータリー会長となった1916-17年度に、さらに多くのロータリー会員にこのアイデアを紹介しました。1917年のアトランタ大会で、クランフは次のように述べています。
「諸々の社会奉仕を今まで通りに実行していくには、慈善・教育・そのほかの社会奉仕の分野において世界でよいことをするための基金を作るのが、極めて適切であると思われる。」後にこのビジョンを土台として誕生したのがロータリー財団です。
1917年、アトランタ大会に集まった代議員は、クランフのビジョンに賛同し、基金を設立するべくロータリー定款を改正しました。同年、アトランタ大会でのクランフの提案に応えるかたちで、カンザスシティ・ロータリークラブから最初の寄付26ドル50セントが基金に寄せられました。1927年、ロータリーは基金への関心を高め、その翌年、ロータリー大会の代議員によってこの基金は「ロータリー財団」という名称になりました。
2 1930年、財団は初の補助金を国際身体障害児協会に授与しました。この協会は、ロータリアンのエドガー・アレンが創設したもので、ロータリー創設者のポール・ハリスは同協会の理事を務めていました。
1947年、財団は「高等教育のためのロータリー財団フェローシップ」というプログラムを開始しました。その後、日本人では宇宙飛行士の山崎直子さんや、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんなどが奨学生となりました。
財団は、職業スキルの向上にも力を入れてきました。また、のちに「マッチング・グラント」とよばれる特別補助金を開始することを承認しました。
1978年、財団は保健、飢餓追放および人間性尊重(3-H)プログラムを開始しました。1979年には、複数年にわたってフィリピンの子どもたち600万人にポリオ予防接種を提供するための最初の補助金760,000ドルを提供しました。
1999年、世界の著名大学との協力の下、「国際問題研究のためのロータリーセンター」を開設しました。世界6カ所にある平和センターは、研究と実地研修を通じて、平和構築と紛争予防/紛争解決におけるリーダーを育成することを目的としています。
3 ロータリーは2004年、プログラムの拡張に伴う運営費の増加に対応するための方策を検討し、のちに「未来の夢」と呼ばれる新しい補助金モデルを考案しました。この補助金モデルは2010年から2013年に試験的に導入され、100地区が参加しました。そして2013年、この新しい補助金モデルが全世界で導入されました。地区補助金は、地元や海外の地域社会のニーズに取り組むための、比較的規模の小さい、短期的な活動を支援します。グローバル補助金は、ロータリーの6つの重点分野に該当し、持続可能かつ測定可能な成果をもたらす大規模な国際的活動を支援します。
4 ポリオ撲滅をめざすロータリーの闘いは、フィリピンの子ども600万人にポリオ予防接種を提供するための複数年プロジェクトとともに、1979年に開始されました。フィリピンでのポリオ予防接種活動が最初の一歩となり、ポリオ撲滅活動は世界的な活動へと発展していきます。1980年のロータリー規定審議会は、RI理事会から提出された「予防接種によってポリオを撲滅する」という立法案を承認しました。1985年にこの大胆な計画を発表し、同年後期にポリオプラスというプログラム名に変更しました。この「プラス」とは主に、ポリオワクチン以外のワクチンの提供も行うことを意味し、今日ではさらにほかの感染症との闘いでも応用できることを意味しています。ポリオ撲滅活動におけるロータリーの初期の活動を土台として、1988年、ロータリー、世界保健機関(WHO)、米国疾病対策センター(CDC)、ユニセフを初期メンバーとする、世界ポリオ撲滅推進活動(GPEI)が開始されました。GPEIの開始以来、ビル&メリンダ・ゲイツ財団や各国政府なども撲滅活動に加わりました。ポリオ撲滅活動における前進をもたらした大きな要因は、大規模な予防接種活動です。これは、経口ポリオワクチンを開発したアルバート・セービン博士でした。また、NIDと呼ばれる全国一斉予防接種活動では、通常、国中に何千カ所もの予防接種ポイントが設置され、保健員とボランティアによって、1日のあいだに何百万人もの子どもにワクチンが投与されました。NIDを成功させるには、ボランティアと保健員による事前の社会動員が鍵となります。そこで財団は1995年、社会動員を支援するためにポリオプラス・パートナー・プログラムを発足しました。
5 寄付額は、ポール・ハリスが病との闘いの末に没した1947年に増加し始めました。ロータリーは、彼を追悼するのであれば、財団に寄付すべきだとのハリスの言葉に応え、ハリス死去の知らせが広がったあとにロータリー本部に寄せられた多額の寄付を管理するための特別基金を設置しました。
財団の寄付者に対する最初の認証は、ポール・ハリス・フェローです。1,000ドル以上を寄付された方々を認証するものです。寄付者は、さらに追加で1,000ドルを寄付するごとに、「マルチプル・ポール・ハリス・フェロー」として認証されます。やがて、極めて高額の寄付をされる方が増えるにつれ、財団は2004年、累積寄付の合計が250,000ドルに達した人を称える、アーチ・クランフ・ソサエティ(AKS)の認証を導入しました。
6 ロータリー財団は世界でよいことを続けてきました。今後も皆様のご理解を得て活動していきたいと考えています。