- 本日のプログラム
- 新会員卓話「自己紹介」
- 卓話者
- 岡田 茂君
- 担当
- プログラム
- ゲスト
- 入会予定ゲスト 古川善也様
広島赤十字・原爆病院 病院長(石田さんの後任)
米山奨学生:李 在鉉(イ・ジェヒョン)君 - 祝事等
- ・会員誕生日(7名)
・配偶者誕生日(2名) - 会長時間
- ◎入会式(大内総一郎 君、大田由孝君、上田恵君)
*会長より四つのテスト・ロータリーバッチ贈呈
*花束贈呈
*推薦者より紹介と新会員の挨拶
◎米山記念奨学生カウンセラー交代につき、感謝状及び委嘱状伝達
◎広島城南RC創立21周年例会出席報告(吉川修平副会長)
◎「ロータリーソング」について
本日は、3名の新入会員と1名のゲスト会員をお迎えしていますので、私達が例会で歌っています、「ロータリーソング」についてご紹介したいと思います。
ロータリーにおいて歌を歌うことが始まったのは、1905年にシカゴロータリークラブが創立された直後であり、同クラブ5人目の会員である印刷業のハリー・ラグラスの音頭によりクラブの例会で歌われるようになりました。
日本最初のロータリークラブは、1920年(大正9年)創立の東京ロータリークラブですが、初めの頃は英語のまま歌われていました。やがて日本語によるロータリーソングを求める声が高まり、1935年(昭和10年)に日本語のロータリーソングのコンテストが行われ、次のような入選作が発表されました。
第1位 「旅は道連れ世は情け、情けは人のためならず」
第2位 「奉仕の理想」
第3位 「平和を人の世に植え、親愛の心はぐくむ」
第4位 「我らの生業様々なれど」
但し、第1位の歌は、後に著作権侵害の事実が出て、ロータリーでは歌われなくなりました。
その後、1951年(昭和26年)にロータリーソングが募集され「手に手つないで」が生まれました。
これは、1952年(昭和27年)7月から、日本のロータリーが東日本と西日本の2つの地区に分かれるという事態にあたり、これからも友情を確かめ合い、手に手つないでいこうと誓い合ってできた歌です。
また「それでこそロータリー」も1953年(昭和28年)に誕生しています。
(金本善行、広島西ロータリー会報、No.2246、pp1より引用) - 幹事報告
- ◎BOX配布物の確認
①雑誌類=ロータリーの友誌・ガバナーズレター
②「エコ・ドリーム運動」3月分取組表
③出版本(赤羽会員より寄贈)
◎4月ロータリーレート116円
◎回覧物
①がん予防セミナー出欠表(4/11〆切)
- 理事役員会
- ・例会終了後12F「ライラック」にて第10回理事役員会開催
- 委員会報告等
- ◎出 席 : 出席報告
◎広 報 : ロータリーの友紹介
◎人間尊重、社会奉仕 : 「エコ・ドリーム運動」2月分取組結果報告
卓話時間
新会員卓話「自己紹介」
岡田 茂君
昨年の12月に赤羽様、榎崎様のご推薦により、「広島中央ロータリークラブ」に入会させていただきました広島電鉄株式会社の岡田茂と申します。本日は貴重なお時間を頂きありがとうございます。卓話の演題が自己紹介ということですが、私の話だけで、いただいた時間を全部使うほど、大した人生を送ってきておりませんので、後半は広島電鉄がどういう会社かをお話ししたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
私の簡単な経歴を言いますと、今年の2月に50歳になりましたが、生まれてから50年間、ずっと広島に住んでおります。日赤病院で生まれ、竹屋町にしばらく住んでおりましたが、その後、段原に住み始め、段原中学、広島皆実高校、広島大学で南区、中区の狭い範囲でうろうろしております。当時、広大は西条ではなく千田町にありましたので、平成元年に入社した今の会社も千田町にありますので、会社に入って27年、大学時代から数えれば、31年ぐらい千田町におりまして、千田町の主みたいになっている感じです。
学生時代は主にテニスをしておりましたが、全国大会へ出場した等の特に輝かしい結果はございません。会社に入った若い頃も、テニスや草野球チームに入って野球をしたりしていましたが、最近では運動と言えばゴルフぐらいです。
ゴルフは嫌いではありませんが、回数の割にはうまくありません。私の一番の趣味はカープを観戦することです。近年は忙しくなってあまり球場に行くことができなくなりましたが、それでも昨年は、16試合行っています。昭和50年にカープが初優勝した時、9歳の時からずっと熱烈なカープファンですが、純粋に応援していたあの頃に比べると、今は酒を飲んで、わーわー言いながら見る完全なカープおやじとなっております。昨年はなぜか私が見に行く試合はカープがよく負けまして、最終試合の中日戦、これを勝てばクライマックスシリーズ進出という試合、その前の試合もヤクルト戦も見に行きましたが、大事なところで負けまして、周りからはお前が行くと負けるので、もう見に行くなと、負け男の称号をいただいております。
家族構成は、妻一人、大学3年になった娘と高校2年になった息子、そして私の両親と3世代で暮らしております。女房とは同じ職場での社内恋愛で一緒になりましたが、熊本出身の両親を持つ女房は私と一緒になる前は、巨人ファンでしたが、結婚22年間で、私の影響で今はすっかりカープ女子でございます。
私は会社では取締役経営管理本部長という立場でございまして、総務、経理、情報システム、資財購買などを担当しております。ここからは会社の説明をさせていただきます。
当社の開業は今から104年前の1912年です。その後1942年に広島瓦斯電軌株式会社から分離して広島電鉄株式会社と広島ガス株式会社がそれぞれ創立しております。広島電鉄株式会社としては、今年で74年になります。主な事業内容はご存じの鉄軌道(電車)事業、自動車(バス)事業、不動産事業です。広電グループの関連会社として、14社ございまして、運輸、流通、レジャー、建築、不動産と色々な事業を行っております。広島電鉄の営業収入と旅客輸送人員の内訳ですが、26年度の数字で言えば、280億の営業収入のうち、電車部門が約2割、自動車部門が約4割、不動産が約4割という構成比です。それから一日平均乗車人員は電車部門が15万3千人、自動車部門が12万5千人で、毎日約28万人の方にご利用頂いているということでございます。輸送人員は昭和40年代前半がピークでして、2度のオイルショックを境に、世の中がモータリゼーション、車社会になっていくことから、ずっと右肩下がりの減少傾向でしたが、ここ数年は色々な取り組みの効果もあり、横ばいで来ております。その取組をいくつか紹介いたします。まず、LRV(超低床車両)の導入ということで、電停からの乗降をスムーズにするため、段差(ステップ)のない電車ということで、平成17年度には国産初の超低床車両5100型グリーンムーバーマックスを導入し、平成24年度から継続的に入れているのは、1000型レックスです。レックスは従来の低床車両が30mに対して、18.6mと短いため、ワンマン運行が可能となり、白島線、江波線等市内線を中心に走ることができます。最近はどんどん新しい電車を入れて当社のイメージも大分変わってきたと思います。その他、電停・交通結節点の整備ということで、電車のホームとバス停を一体化する事業、軌道敷の緑化事業、ロケーションシステムの高度化等を行っております。従来の電車が来ますだけの表示をLED化して、より詳しく到着時間、電車の種類、英語表記の表示を定期的に繰り返すように、整備しております。
自動車事業の概要ですが、当社のバス路線エリアですが、広島市内中心部を走る市内バス、五日市、廿日市方面の西方面、安芸太田、千代田、三次方面までの北方面、そして4年前から当社が運行開始した呉地区の東方面と広域に走っております。バスロケーションシステムを最近始めました。電車のロケーションシステムみたいに、バスが何分後に来ますという表示をするシステムで主要なバス停に設置しております。バス一台ずつにGPSをつけて、バスの位置情報を把握して、リアルタイムに情報を発信するシステムで、時刻表どおり来ないという従来のお客様のイライラ感を払しょくさせる効果があります。
当社は、これからも広島の街づくりのために、色々な事業に取り組んでいきたいと思います。当社は商売が決してうまいとは言えません。その事業が得意なパートナーと一緒に色々進めていければと思っています。良いお話がありましたら、よろしくお願いいたします。お時間が来ましたので、これで卓話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。