- 本日のプログラム
- 新会員卓話
「国立病院勤務25年、機構の歩み、病院史と現場の1医師、管理職としての自分史」 - 卓話者
- 沖田 肇君
- 担当
- プログラム委員会
- ゲスト
- 米山奨学生 葛勇君
- 会長時間
- お盆はいかがお過ごしされましたか、遠方のお孫さんやお子さんと楽しく過ごされたのではないかと思います。
現在、北京オリンピックが開催されておりますが、柔道競技で私の後輩(内柴、石井両選手)の2名が金メダルを獲得し大変うれしく思っております。しかし、今回の柔道競技を見ておりますと私が子供の頃に見ていた柔道とはルールの面で大きく変わってきていると感じました。レスリングの要素を取り入れたルールになってきており、日本には不利な状況になってきているのではないかと思います。連盟内での日本の発言力が弱まってきているからではないか思います。
次週はガバナー訪問となります。訪問例会からアッセンブリーと長時間となりますが皆様のご協力をよろしくお願いいたします。
田原会員 : GSE受入及びRLIについて協力の依頼
神保会員 : 会葬御礼
葛勇君 : お母様お見舞いのお礼と里帰りの報告 - 幹事報告
- ・BOX配布物の確認
(1)理事役員会議事録
(2)台中西区RC(姉妹クラブ)会員名簿
・回覧物
(1)台中西区RC会報誌
(2)ガバナー公式訪問・フォーラム出欠表
(3)地区大会出欠表
・次週例会について(ご協力お願い)
ガバナー公式訪問です、万障お繰り合わせの上ご出席を宜しくお願いいたします。 - 委員会報告等
- ・出 席 : 出席報告
・ロータリー財団: 愛のコイン箱
・田原ガバナー補佐: 報告
卓話時間
新会員卓話
「国立病院勤務25年、機構の歩み、病院史と現場の1医師、管理職としての自分史」
沖田 肇君
今年の3月に病院を定年退職し、4月より広島県赤十字血液センターに勤務しております。
広島県の西の県境、大竹市(人口3万人)にある国立大竹病院(平成17年より原病院と統合し、広島西医療センターとなった)での25年間の勤務医そして病院管理部門への参画の過程で、その折々に考えたことや感じた事を、自分史・病院史に重ね合わせて話させていただきます。
私は昭和17年広島市向洋で生まれました。その前年、戦艦大和が竣工、真珠湾攻撃により戦火が開かれており、物心付いた時は戦後の惨めな混乱期でした。闇市、空腹、原っぱ、土管、町中を犬がうろつく、子供が溢れる、駄菓子屋、個人商店街の賑わいなどの風景が脳裏にあります。
昭和24年には広島カープが結成され、復興のシンボルになりました。しかし全ての人が食うや食わずのご時勢でもあり、ホームラン賞に鶏3羽、米が1斗と言う時代です。貧乏なカープ球団監督の石本秀一さんは、歌のうまい選手を2,3人連れて公民館を回り、歌を歌って20円、30円とカンパを集めていました。
当時はおやつと言っても、蒸かした芋をカチカチに干した乾燥芋や、空豆を炒ったものやスルメイカです。又、学校の給食には悪名高き脱脂粉乳と並んで、アメリカでは豚のえさにしたと言う、靴の裏底にしたほうが良いのではないかと思うような鯨肉など歯ごたえのあるものが多かったです。この時期に育った我々は成長期に下顎を鍛えたためか、渥美清風の下駄のような顔付きが多いような印象をもっております。
昭和43年大学を卒業し病理学教室の大学院に入学。昭和48年から原爆放射能医学研究所内科に移り、臨床血液学の勉強を始めました。その後国立大竹病院(現広島西医療センター)に赴任、副院長を経て平成5年から15年間、病院長を拝命しました。私の掲げた病院運営スローガンは下記です
(1)小規模病院ではあるが、空気のぬけたバレーボールよりも元気で弾むテニスボールになろう。
(2)ナンバーワンよりもオンリーワンを目指そう。
(3)やらずに後で後悔するよりも、とにかくやってみて後で後悔するほうが良い。
(4)無駄と遊び心を大切に。車のハンドルには甘えが必要。
(5)職場の人間間のネットワークの豊かさ、結束力などのソーシャルキャピタル(人間関係の資本)を大切にしよう。・・・・相互信頼、互助意識、思いやり、いたわりを忘れずに。
しかしながら、小都市にある国立病院という枠の中で、又国家公務員法という制約もあり、経営的には極めて厳しい状況が続きました。行きつけのオデン屋で、燗酒を飲みながら、加藤楸邨の詠んだ「カフカ去れ一茶は来れおでん酒」という一句をかみしめました。
その後、1987年(昭和62年)の国立病院・療養所の再編成計画に沿って、策定より18年後の2005年大竹、原両病院が統合され、新しい広島西医療センターとして新病院が発足しました。新病院は440床の規模で、240床が重症心身障害児、および筋ジストロフイー、あるいは神経難病患者を中心とする病棟で、残り200床がガンなど一般病床です。又、前年には国立病院の独立行政法人化がなされており、ソフト面でもハード面も新しくなりました。
病院の運営の基本は良い医療を行うことにあり、そのためにはまず患者様に選択される医師、看護師の確保がもっとも緊急、かつ重要であることは言うまでもありません。その他、これからの病院は医療、福祉、介護の充実に加え、各種文化情報の発信地でもありたいと考えました。僻地医療への取り組み、入院食のレベルアップのための調理部門の職員のホテル等での研修、ホスピタルアート作成、地産地消を進めるため地域の農事研究会協賛による野菜市の開催、ガレージセールの実施、院内コンサートへの地域住民の招待など多彩な企画を試みました。こうした試みが平成20年の7月に第1回広島西医療センター祭として花開いております。
最近思うこと(1)人作りの難しさ、大切さ
○医療器械はお金をだせば手に入るが、それより大切なのは人作り・教育。それに、心と手間とお金をかける必要がある。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵(風林火山)」
最近思うこと(2)恩師の言葉
○「出所進退を自分で判断できる人になって欲しい。」トップの引き際は、
◎自分は最近少し傲慢になってきたかなと感じた時。
◎自分がいなくなった後、この組織は存続できるかと思い始めた時。
◎体力と気力に余裕があり、謙虚さの残っているうちに辞めなければ、独善に陥りかねない。 「一切の行蔵寒にある思い 虚子」
最近思うこと(3)生まれ変わって
○ もう一度院長をやらなければならないとしたら、今度はNOと言える院長になりたい。
○ もう一つの願いは、我々の青春時代のアイドルスターであった石原裕次郎の髪型で町を歩いてみたい。