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2010年
12月 13日 月曜日
出席
健康一口メモ「正露丸」
迫田勝明君
「正露丸」は「征露丸」だった。
現在まで、日本人にもっとも馴染みのある薬として、「正露丸」がある。正露丸はご存知の整腸剤である。
この薬の由来について述べる。
1905(明治35)年2月、日露戦争も後半戦になり、日本軍は世界最強のロシア軍を満州の奉天城で包囲していた。極寒零下30度の中で両軍は塹壕を掘って対陣し、総攻撃の日を待っていた。
3月1日をXデーとしていたが、包囲軍の兵は、皆下痢に悩み、体力低下のため、攻撃不適と各連隊から連絡があった。日本の包囲軍の総予備軍として控えていた姫路師団でも、殆ど下痢に悩んでいた。凍結米飯だけを毎食食べることが原因であった。
姫路師団軍医部長の中目成一軍医大佐はクレオソートを米飯で練り合わせ、丸薬として将兵に服用させたところ、三日もしないうちに下痢は治り、元気100倍となった。早速、大山総司令官に意見具申し、総司令官命令として、全師団軍医部にクレオソート丸を作らせ、将兵に服用を命じた。
3月10日、日本軍は一斉総攻撃を開始した。肉弾戦で敵を制し、奉天は陥落した。大山司令官は入城式を敢行し、日露戦争も講和条約を締結し休戦、東京へ凱旋した。この時より、この丸薬を「征露丸」と呼ぶようになった。
帰還将兵は下痢の妙薬として珍重するようになった。
各製薬会社は臭いを少なくして、包みやすい丸薬を作り、ラッパのマークをつけ登録商標をして売り出した。これが今でも愛用されている征露丸の由来であるが、今では名前は諸般の事情から正露丸と変わっている。