- 本日のプログラム
- 新会員卓話
「自己紹介」 - 卓話者
- 上田 恵君
- 担当
- プログラム
- 祝事等
- ・創業月(9名)
- 会長時間
- 2710地区指導者育成セミナー報告
今年2016年度は、ロータリー財団が設立されて100周年であることはたびたび耳にしてまいりました。昨日は、午後1時から5時半まで、「ロータリー財団100周年記念・地区指導者育成セミナー」が開催されました。
田原ガバナーは、各クラブが抱える大きな課題を二つ指摘されました。一つは会員増強・維持を、もう一つはロータリー財団に対する知識と理解不足による不信感です。
この課題を克服するために、クラブのレベルを超えて、ロータリーにおいて奉仕する指導者を育成する目的で、今回は会員増強部門とロータリー財団部門合同で開催されました。当クラブからは会員増強部門では吉川(恵)副会長と私、ロータリー財団部門では長場委員長と児玉副委員長が参加しました。
田原ガバナーのご挨拶に始まり、天野パストガバナーが「ロータリーリーダーシップの探求」と題して基調講演、4名のパネリストが「ロータリーにおけるリーダーシップ」、「4つのテスト、最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」この二つのロータリー標語がロータリアン個々人のリーダーシップに果たす役割について所見を述べ協議されました。
午後は二つの部門に分かれて、部門別セミナーが行われ、会員増強部門では、4人のガバナー補佐による発表と3名のパストガバナーが加わってのパネルディスカッションがありました。
ロータリー財団部門では、地区R財団の現況報告、地区補助金、グローバル補助金、ポリオプラス、奨学金や財団100周年の歴史などについて各担当者から報告・説明を聞きました。
会員増強の重要性さに鑑みて、すでに「戦略計画委員会」を設置して取り組みを始めたクラブからの紹介があり、どのクラブも会員増強について困難さを覚えながらも話し合いを重ね、知恵を出し合い、様々な工夫を重ねながら努力されていることが分かりました。体制づくりと協議したことを実行することの重要性が説かれました。
特筆すべきは、午後行われた部門別・会員増強部門で司会を担当された地区会員増強委員会の土肥委員長からの報告です。
2009年から2015年度の7年間、2710地区会員数の推移において、広島中央ロータリークラブは75クラブ中、純増24名(純増率43.6%)で第一位でした。歴代の会長、担当理事をはじめ関係者の方々の努力の賜物と感謝いたします。
今年度、私たちのクラブは「クオリティ82」を掲げて会員増強を目指しております。今回のセミナーでの学びを活かして、会員組織委員会の吉川(恵)理事を中心に皆様のご協力をいただきながら、会員増強に努めたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
ロータリー財団部門の様子については、長場委員長から改めて別の機会にご報告いただきたいと願っております。よろしくお願いいします。
このセミナーの準備、司会、運営の中心は広島中央ロータリークラブの地区担当役員の方々が担当して下さいましたことを誇りに思い感謝いたします。また、お忙しい中参加くださいました方々ありがとうございました。
改めてロータリーの歴史、現状や使命等について多くの大切なことを学ぶことができましたことを感謝いたします。
ありがとうございました。 - 幹事報告
- ◎BOX配布物の確認
①会報7月号(新年度号)
◎ロータリーレート
9月は1ドル102円で変更なし。
◎回覧物
地区大会準備手伝い調査表 - 委員会報告等
- ◎出 席 : 出席報告
◎国際奉仕 : 古切手類収集
◎人間尊重,社会奉仕 : エコドリーム運動年間優秀者表彰
卓話時間
新会員卓話「自己紹介」
上田 恵君
皆さんこんにちは
有限会社Pワークスの上田恵と申します。仕事は飲食店専門の事務代行業と飲食店経営です。
本日は、大した経歴も自慢できるようなことは無いのですが、自己紹介させて頂きます。
昭和41年4月23日生まれ、今年満50歳になりました。家族は41歳の妻と5年生の長男、3歳になった長女の4人家族です。
出身は、岡山県の新見市で、兼業農家の次男として生まれました。78歳になる母親と6歳離れた姉と5歳離れた兄がおります。父は13年前に他界しました。私の生まれた新見市は、岡山でも県北に位置し、年々過疎化が続いています。そのなかでも更にはずれに位置し、同級生も男5人しかいないところで育ちました。毎日片道5キロ歩いて学校へ通ったため足腰が鍛えられたと思います。遊びといえば友達と山へ入り、基地を作ったり川へ魚釣りに出かけたりと自然と戯れることばかりでした。
小学校を卒業すると、グランドを挟んで目の前にある中学へ入学です。つまり小1から中3まで9年間男ばかり5人の少年時代を送りました。ちょうどその頃TVでは「3年B組金八先生」が流行り、朝のモーニングニュースでは「校内暴力」が頻繁に取り上げられる時代でした。
私のいた田舎は非行とか、そういうものとは無縁の生活を送っておりましたので、勉強と言えば個人授業のようなものですから中学卒業までは、かなりできたような気がします。
中学校を卒業し、進学校の新見高校は、初めての男女共学でした。中学時代は人数も少なかったので、部活は個人競技でソフトテニスをやっていました。高校ではサッカー部で鍛えた足腰を武器に走り回っていましたが、やはり次第に良くない友達もでき、土曜日の夜は友達の下宿で過ごしていました。次第に授業に身が入らなくなり、3年になるころには担任に「入れる大学はないぞ」と言われ慌てて受験勉強をしました。
もともと関西方面に進学を希望しておりましたが、当時3年間で8回振られた片思いの人が広島の女子大を第二希望にしているという情報を入手し、広島に私が入れる大学は無いかと担任に相談。広島にある大学に進学しましたが、その人は京都の女子大に。同郷のあわよくば!という思いは消え去りました。
という訳で広島での生活が始まったわけですが、最初は寮生活でしばらくは平凡に過ごしていました。寮の門限が10時と厳しかったため、やがて寮を出てアパート暮らしを始めました。毎日のように、同級生や先輩と夜の街へでかけることが続いたため、 アルバイトに進路変更したところ、私の進路が見えてきました。
当時ディスコが大ブームでした。田舎者の私にとってアルバイトは本当に楽しい日々でしたが、どうしても我慢できなかったこともありました。柔道で国体にも出場したことがあるような身長も180cmを超える巨体の店長でしたが、私の18年の田舎生活では出会ったことがない方でした。ある出来事以来、怖くなり次の日よりそのバイト先には行かなくなりました。
しばらくして知人のマスターに電話をかけたところ「うちで働いたら?」と誘われお世話になりました。
そのお店は今でいうボーイズバーで、スナックの男性版でした。初めてのなじみ客様が2時を過ぎると必ずあらわれるオカマ軍団でした。ホモの次はオカマか!と思いながらも、チップをたくさん頂き、大変助かりました。その時のマスターの教えが、今でも役に立っています。
21歳ぐらいになったころ、大学の友人から「お店をしようと思うんじゃけど一緒にやらんか?」と誘いがあり、もう一人の友人と3人でボーイズバーを始めることになりました。これが50歳になった現在に至っております。
カウンター10席ほどのお店がバブルの影響もあり、1年もすると店舗拡大とチェーン店をつくり、携帯やPHSの販売も手掛けました。
ところが、現場から離れていたので、店舗の売り上げが下がりはじめ、しかたなく店舗数を減らし、私も現場に戻ることにして、店舗を減らし、他の店舗を大きくする事にしました。昔からの知人の勧めで、事務代行業の部門を発足し、現在はラウンジ2店舗と、バーを経営しています。
先輩からのお誘いで4月より中央ロータリークラブに入会しましたが、自分の中では3年続けることができたら、「私はロータリアンです」と言えるのかなと思っています。これからも仕事や、人として精進する所存です。諸先輩方からの厳しいご指導を頂きますよう、よろしくお願いいたします。