- 本日のプログラム
- ゲスト卓話「アフガニスタンからの報告」
- 卓話者
- ユニタール国連訓練研究所
上席特別顧問 井上 武氏 - 担当
- プログラム委員会
- 祝事等
- ・連続出席表彰(4名)
- 会長時間
- ・入会式(土肥博雄君)
・久野瀬弘君御見舞い報告(8/23日より出席) - 幹事報告
- ・BOX配布物
会報6月号、クラブ名簿、在広RC音楽祭パンフレット
・ひろしま国際平和マラソン協賛金1人当たり1,000円、福井・新潟災害義援金1人当たり1000円を次月会費にて徴収します。
・在広RC音楽祭開催につき観賞のお願い。
・合同事務局盆休みは8/14~16日
・ホームページにアップしました(家族会情報)
・次週例会は休会です。 - 委員会報告等
- ・職業奉仕委員会:禁煙例会・四つのテスト唱和
・出席委員会:出席報告
卓話時間
アフガニスタンからの報告
ユニタール国連訓練研究所 上席顧問 井上 武氏
前回、おじゃまさせていただきましたのは去年の2月でした。その頃「国連訓練調査研究所(ユニタール)・アジア太平洋広島事務所」は、まだ開設前でした。御陰様で、2003年7月、広島商工会議所の5階に、アジア太平洋地域の拠点として事務所が開設されました。私もユニタール側の者として、厚く皆様に御礼を申し上げたいと思います。本当に有難うございました。そして、これからも御支援の程、よろしくお願い申し上げます。“ユニセフ”や“ユネスコ”といえば、子供さんでも御存知ですが、“ユニタール”を県民の皆さんに知っていただくためには、時間がかかります。ユニタールの設立は1965年に国連の総会で承認されました。目的は、国連の有効性を強化することにあります。現在、国連には191カ国が加盟しておりますが、その「加盟国の政府関係者を訓練する機関」、これがユニタールであると、御理解いただきたいと思います。訓練は、ボクシングに例えますと“ジャブ”のようなもので、繰り返していく内に効いてきます。
ユニタールは、今までに世界中から約5000名近くの政府関係者を訓練してきました。去年、広島事務所ができましたお陰で、世界を3つのエリアに分けて管轄することになりました。ジュネーブ本部はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、ニューヨーク支部は南北のアメリカ大陸を、そして広島事務所は、アジア太平洋地域となったたわけです。“石の上にも3年”という諺がありますが、3年4年経てば「こういう機関が広島に来て本当に良かった」と県民の皆さんに思っていただけるようになる、と確信しております。日本には現在、国連の関連機関が22程ありますが、ユニタール広島事務所のように、広島から直に、又、広島へ直に政府関係者の訓練をするという機関は、日本では初めてです。
ユニタール広島事務所では、この1年間に3つのプログラムを実行いたしました。その中の1つとして、いま、正に復興しようとしている国、アフガニスタンから35名の政府関係者を招き、広島市と東広島市にあるJICK研修センターで約2週間の会議と訓練を行いました。私は今年2月、ユニタールのミッションとして、アフガニスタンの首都カブールを訪れました。目的は2つ。1つは、昨年の秋、行われたアフガンの政府関係者の訓練後の経過についての調査。もう1つは、広島事務所の開設を記念して制作される記念誌の、編集責任者としての取材でした。尚、この本のタイトルは『この星に生まれて』です。『未来へつなぐ10の物語』というDVDと共に10月中旬、中国新聞社から発行予定、発売元は中国博報堂となっております。是非共、御一読、御一見、御願いいたします。
さて、アフガニスタンは、広島と緯度がほとんど同じです。ただ、広島はすぐそばに海がありますが、アフガニスタンの首都カブールは、海抜1800m。大山の頂上に街がある、という風に考えてください。ヒマラヤ山脈から西にのびるカラコルム山脈、さらにヒンドゥークシュ山脈が南にカーブして終わる山岳地帯で、お盆の上にのった盆栽のような国、これがアフガニスタンです。歴史を調べてみますと、この国を制覇した外国の軍隊と言いますか、外国人はいません。アレキサンダー大王も、ここを制し世界を制圧しようとしますが、この山脈を越える途中に病気になり引き下がります。その時、沢山の石工を残したんですね。その石工達が仏像というものを作りました。仏教はインドで生まれ、そのインドから伝わった仏教をアフガニスタンの石工達が仏像にしたわけです。有名な“バーミアンの石窟”というのは、そういう歴史の中で生まれました。アフガニスタンで生まれた仏像は、はるかシルクロードを通って、瀬戸内海を経由し、奈良の大仏になった、と言っても過言ではないのです。ですから、アフガニスタンは瀬戸内海や日本の文化と縁のない国ではない、ということも言えます。アフガニスタンを理解するのに難しいことは要りません。まず拠点になる町は4つ。東のカブール、西のヘラート、南のカンダハル、北のマジャリシャリフ。4つの町を循環する道は、一本です。この道は内乱でズダズダになったわけですが、アメリカ、日本などのODAを中心にようやく去年、1周道路が開通しました。又、この国は非常に様々な民族の集まった国です。それぞれ異なる帽子やターバンを頭につけています。タジク人、ハザラ人、パシュテューン人、ウズベク人。だからカブールに集まる民族も帽子を見れば、あれは何人、とすぐに分かります。国土は日本の1.7倍で、平均寿命は42~3歳。人口は約2500万人、そのうちの52%が15歳以下です。これは、社会を支えなければならない人間がほとんど戦争で死んでいるからです。だから、子供は働かないといけない。学校へ行けないわけです。幼児の死亡率は、5歳までに25%。女子は10人中9人、男子は3人に2人が教育を受けられない。こういう国であるということを、知っていただきたいと思います。さらに難民は、多い時には600万人、現在も約200万人が、パキスタン、イラン国境などの難民キャンプ村で暮らしているというのが現実です。こういう国に対して何ができるか、ということを考えた時に、物資や食糧を送るということも一つの道でしょう。しかし、実際そこで国を作っていく人達が、例えば外務省をどういう風に作るのか、建設省や国土交通省というのはどう作っていくんだという、基本的な国の仕組みを作りあげることができなければ国の復興はありえないわけです。去年、広島で訓練を受けたアフガニスタンのアフマディさんとカブールで再会しました。その時「広島で受けた訓練は本当に良かった。私たちはハンマーとドライバーは持っていた。ユニタールは、それをどこにどういう風に使えばよいかを教えてくれた。」と、彼が涙して話してくれたことを私は忘れることができません。そして彼は、日本大使館の支援で250名の女子の学校を作ることになり、それは間もなく完成します。これも広島にユニタールができた縁が生んだ「宝物」です。このような宝物が少しずつ増えていき、世界の役に立っていくということを通して、かつて世界中から助けられた広島が恩返ししていくことになると思います。それは、平和の拠点としての広島の使命であるとも考えます。もっとお話したいことはありますが、時間となりましたので終わりたいと思います。どうも有難うございました。