- 本日のプログラム
- 新会員卓話
「自己紹介」 - 卓話者
- 山肩俊晴君
- 担当
- プログラム
- 祝事等
- ・入会月会員(3名)
- 会長時間
- みなさん,こんにちは。特に今月4月は会長時間で行事がございません。先般,ある方から,ロータリーの会長の特権として例会では会長時間が与えられていて,ロータリーの例会は人生の道場だから,会長時間ではロータリーの奉仕の理念の提唱をするのが,会長に与えられた最も大きな責務であるので,会長時間ではそのことについてしゃべれ,と教わりました。もっとも,私どものクラブでは,研修セミナーや,吉川修平会員が立派なテキストを作ってファイアーサイドミーティングを行う予定ですので,それはそれとして,今日は聞き流して頂きたい話をいたします。
先般,暇つぶしに,『金持ちになる男,貧乏になる男』というスティーブ・シーボルトが書いた本を読んでおりました。25年間の間に,金持ちになる,すなわち億万長者になる方と,貧乏になる男,いわゆる中間層をいろいろ調査したなかで数々の教訓を紹介した本でございます。
たとえば,こんなことが書かれております。「貧乏になる男は小銭を貯めることを考え,金持ちになる男は大金を稼ぐことを考える。」と。他には,「貧乏になる男は時間をお金と交換することを考え,金持ちになる男はアイデアをお金と交換することを考える。」んだそうです。3つ目に,「貧乏になる男は努力もせずに楽をしようと考え,金持ちになる男は努力を楽しもうと考える。」んだそうです。あと,「貧乏になる男はお金のために働き,金持ちになる男は仕事が大好きだから働く。」そうです。お金のために働いているような気もしますが。そして,「貧乏になる男は現状に安住することを子どもに教え,金持ちになる男は夢を追い求めることを子どもに教える」んだそうです。いかがでしょうか。私ももう少し早くこの本に出会ってもっと若かったら,これを実践していくことを考えていたかもしれません。
さて,私もお金はございませんが,ロータリーに入会させていただき,ロータリーの出会い・楽しさをいただいております。今日,新会員歓迎会がございますが,是非新会員の皆さんにも伝えたいと思います。加えて,私は微力で浅学非才でございますが,クラブの会長をさせていただいており,皆さんに支えられ近く任期を終えようとしております。このことに感謝申し上げて,会長時間を終わります。 - 幹事報告
- ●BOX配布物の確認
①次年度理事役員会議事録
②次年度所属委員会表(案)変更分
③次年度名簿作成用個人データ(例会終了後に提出して下さい)
●本日18:30よりグランドプリンスホテル広島にて新会員歓迎懇親会及びロータリー情報集会開催(送迎バス利用者は18:00県庁横バス停に時間厳守)
●リーガロイヤルホテル広島様からのお知らせ
4/18(木)と4/19(金)は菓子博の為、3階への車の乗り入れを禁止
4/18(木)広島安佐RC例会変更による受付は1階となります。 - 委員会報告等
- ◎出 席 : 出席報告
◎ロータリー財団委員会 : 愛のコイン箱
◎次年度幹事 : 議事録補足説明。5月20日(月)18:30から次年度第2回クラブアッセンブリーを開催しますので,多数ご参加ください。また,会員記念日に該当しない会員につき,次年度よりプライベート記念日を設けてお祝いすることを承認しました。
◎次年度クラブ広報 : 次年度クラブ広報のインフォーマルミーティングを例会終了後3階ロビーで行います。
卓話時間
新会員卓話「自己紹介」
山肩俊晴君
今から340年前のことです。
江戸時代です。田沼意次が筆頭老中になり、やわらかい文化が江戸市中に漂いはじめていました。
丁度その頃、初老の男が江戸にやってきて、小さな呉服店を開業しました。伊勢の国、松坂からやってきた三井高利でした。
満を持していた彼は、独特の商法で、江戸庶民の人気を呼び、またたく間に江戸随一の大商人となりました。
成功の秘密は何だったのでしょうか。
それは人々が求めているものを、求めやすい方法で販売し、そのニーズに応え貫いたことです。
既存の大店が考えもつかなかったことを、横並びの思想から抜け出して、大胆に実行したことです。
彼は新規参入組ですから、従来の商習慣にとらわれることなく自由にその手腕が発揮できたのです。
勿論、同業者からの嫌がらせや迫害もありましたが、それらをはねのけて、事業をすすめたのです。
当時の52歳という年齢から考えると、背水の陣で事に当たったと思われます。余命をカウントしながら退くに退けない覚悟だったのでしょう。
商取引を現金決済とし、掛金なしで端切れ1枚からでも商いをする、という革新的な手法は従来に無いものでした。行商人にも品物を販売して、全国の販路も足かかりを得たのでした。
旧来の商人の人たちは、新商法になじむことができませんでした。追随することもできず、新旧の交代がおこったのです。
社員教育をとっても、新参者でも有能な人間は抜擢し要職に就け、勤勉な人間には報償を与えるという当時の常識としては、破格の待遇を与えています。
さらに、一族の中で最も優秀な者をトップリーダーに据えることで、長男(長子)相続を否定しています。
その後の取り組みとしては、身内だけでなく使用人の中から有能な人をお店の経営にあたらせ、家族はその収益の中から配当を得るという方針を取りました。現代で言う、資本と経営の分離です。さらに相続でお店を分割せず、持ち分に応じて配当をするという考え方も新しいものでした。
幕府の信頼を得て、今の銀行にあたる両替店の開設を許され、66歳で京都に本拠を移し、江戸、大阪を指揮しています。
さらに、年貢の収納代行業(68歳)、御用金の送金請負業(70歳)も受命するに至りました。
これらの業務で上った収益を本店に集め、それを必要に応じて再配分して、効率化をすすめています。
現在で言う、ホールディングカンパニーの原形でしょう。
江戸中期から後期、幕末にかけて、江戸で消費経済に浸かっていた大名は、経営的に行き詰まり、大商人から莫大な額の借入金をせざるを得なくなりました。いわゆる大名貸しですが、これの対応が大商人の明暗を分けました。大名からの返済がままならないからです。
三井高利は次のような対策をしました。
大名からの借り入れ金申しこみに対して、大名とは領地から年貢米が大阪の蔵屋敷に運ばれて運用を任されている手前、無下に断れませんでした。
そのため、一旦貸したお金は、本会計とは分離して、別会計とし、本体経営にリスクが発生しないようにしています。今で言う貸倒れ引当金として計上していました。
さらに、高額な借入要請に対しては、仲間うちで分散して貸し出しています。(一種のシンジケートローン)リスクの分散と考えられます。
たび重なる借り入れに対しては、要求額の5%から10%を無償で差し出して、融資要請を免除してもらうという方法を取っています。
加賀の豪商銭屋五兵衛のように、対応を誤れば大名と対立して、一族が誅殺されることもあったのです。
高利は72歳でその生涯を閉じましたが、あの窮屈な封建身分制度の中で20年の間に、その名を日本中にとどろかせた功績は大きいものでした。時代背景も、元禄の町人文化が隆盛を極めた人口100万人の一大消費文化都市であったことや、大名家の台所経済を預かっていたという幸運があったのでしょうが、多くの人はその運をつかみきれないでいました。
幕末維新の時、京都にあっては薩長と、江戸にあっては幕府と取引があり、無事に混乱を乗り切っています。両者に保険を掛けるという発想も考え抜いたものでした。
それにしても企業の寿命三十年と言われている中で、今に至るまでの会社永続をなし得たことは、現代の企業にとっても参考になることではないでしょうか。