2016-2017年度 5月期

第1541例会記録

2012年05月14日 (月曜日)
【場所】 リーガロイヤルホテル広島  【ロータリーソング】 手に手つないで

本日のプログラム
ゲスト卓話
「平 清盛」
卓話者
作家 見延典子 氏
担当
プログラム
黙祷
当クラブ碓井静照会員が5月9日にご逝去されました。(74歳)
祝事等
(連続出席及び結婚記念月)次週回し
会長時間
・故碓井静照会員のロータリー歴紹介
・入会式(平兮一英君)
*会長より四つのテスト・バッチ・会員証・ニコニコチケットほか
*花束贈呈
*推薦者(緒方俊平会員)より紹介と新会員の挨拶

 会長時間 碓井会員の訃報に接し

皆様方もすでにご存じのことですが私たちのクラブの会員、医療法人社団うすい会 理事長、広島県医師会長 碓井 静照先生が5月9日逝去されました。碓井先生は昭和12年8月生まれで74歳でした。
碓井先生は平成5年8月柚木会員、田原会員の推薦で当クラブへ入会されました。職業分類は病院です。
当クラブへ入会後は1998年(平成10年)から広島市医師会長としての職務を行いながら、ロータリー活動にも参画され、国際奉仕、米山奨学、環境保全などの委員長をお勤めになりました。
2004年(平成16年)からは広島県医師会長として広島県の保健衛生にかかわるとともに、医療人のトップとして医師会員を率いてこられました。このような激務の中にあっても、広島の医師として核戦争防止のために力を注がれ、2004年からはIPPNW(核戦争防止国際医師会議)の日本支部長として核のない社会の構築に国際間の垣根を越えて努力しておられました。また文化人として多くの著書を出版され、日本ペンクラブの代表としても活躍されました。これらはほんの一部で、このほか多方面で多くの社会貢献をされ、2010年(平成22年)には第67回中国文化賞、2011年(平成23年)には旭日小綬章をお受けになりました。
このように多方面でしかも多くの要職を兼ねながら国際奉仕理事などロータリー活動にも参加され、ポールハリスフェローを受賞しておられます。そして先生自身ロータリーそのものに非常に関心が深かったことが連続16年100%出席からも読み取れます。このような医師としてのみならずきわめて多くの領域で貢献された先生を失うことは広島中央ロータリークラブのみならず広島県の大きな星の輝きを失った気がいたします。
これから多くの経験に基づいて大所高所からクラブへの助言が必要な時にこの度の訃報は誠に痛恨の極みです。
世の無常を感じずにはいられません。
在りし日の碓井会員を偲ぶとともに改めてご冥福をお祈りいたします。
本日は種々の記念行事が予定されておりましたが急きょ予定の一部を変更させていただきました。
幹事報告
●BOX配布物の確認
①理事役員会議事録
②6月例会プログラム
③献血紹介カード(一人5枚)
●回覧物
①街頭活動参加表(本日締切)
●今週5/19(土)は「マイカー乗るまぁデーPR」「献血支援」街頭活動を実施いたします。皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。
●来る5/20(日)は13:00より国際会議にて地区協議会が開催されます。次年度役員関係者はよろしくお願い申し上げます
理事役員会
・例会終了後1F「コルベーユ」にて第7回次年度理事役員会開催
・本日18:30~グランドプリンスホテル広島にて次年度第2回クラブアッセンブリー開催
委員会報告等
○SAA : 本日は指定席(ネーム50音別)
○職業奉仕 : 禁煙例会・四つのテスト唱和
○出 席 : 出席報告
○人間尊重、社会奉仕 : 「エコ・ドリーム運動」4月分集計結果報告及び献血・マイカー乗るまあデー街頭募集参加のお願い
○新世代奉仕 : 献血事前学習会の報告及び出前講座のご案内

卓話時間

ゲスト宅話
怒る清盛-頼山陽が描いた「平清盛」

作家 見延典子氏


作家 見延典子氏

平清盛については、“悪人”というイメージが強かったが、最近では肯定的な見方をする場面も増えている。六波羅蜜寺にある清盛の坐像を見ると、どちらかと言えば謙虚な人というイメージを持つかも知れない。
清盛の有名な伝説としては、音戸の瀬戸を開削する時に、沈み始めた太陽を金の扇で煽いで招き返したというのがある。実際に清盛がこの工事を行ったかどうも定かではないが、それくらい当時の清盛の権勢が大きなものであったかを示す逸話ととらえるべきであろう。

平清盛像

現在清盛のドラマを毎週NHKで放映している。自分はドラマというのは、対立の構図をいかにうまく取り入れるかにかかっていると考えている。この時代を、つい平氏と源氏の対立の構図としてとらえがちである。そうではなくて、貴族と武士の対立の構図の中に、平氏と源氏が取り込まれたというようにとらえるべきである。

清盛の功績

見延典子氏


タレント松村邦洋さんと

平氏の軌跡をたどる旅ということで、タレントの松村邦洋さんと一緒に、瀬戸内海をクルーザーで3日間かけて移動した。当時同じ道程を、8日間もかけて移動したということである。船も現代のものとは違うわけだし、ずいぶんたいへんな道のりであったのだろうと感じた。

頼山陽の著書から

私は以前から頼山陽について研究をして、いくつかの書物にまとめて発表してきた。平清盛と頼山陽を結びつけることは、当初はあまり考えていなかった。頼山陽の著書である「日本外史」の中に、平重盛に関する有名なくだりがある。『忠ならんと欲すれば即ち孝ならず。孝ならんと欲すれば即ち忠ならず。重盛の進退ここに窮まる』。この部分は、平家物語の一部を下敷きにしたものであるが、山陽の文才を如実に示すものと言ってよいだろう。

頼山陽の弟子たち

頼山陽は「日本外史」において、理想の政治形態として、古代の王制をイメージしていたように思われるだろう。しかし彼の弟子である関藤藤陰について調べるうちに、山陽は朝廷と幕府が併存する形を理想としたのではないかと感じるようになった。

平清盛

平家の略系図


卓話原稿を依頼したところ、今日喋ったことは原稿が無いので・・と言われ、著書を買い求められていたプログラム委員長にまとめていただいた。

ニコニコBOX

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