2016-2017年度 3月期

第1198例会記録

2004年03月22日 (月曜日)
【場所】 リーガロイヤルホテル広島  【ロータリーソング】 奉仕の理想

本日のプログラム
ゲスト卓話 「放送界の面白あれこれ」
卓話者
TSSアナウンス部部長 神田康秋氏
担当
出席委員会
ゲスト
・米山奨学生:鄭 譚 進君
・入会予定ゲスト:小佐古哲哉氏
幹事報告
・国際大会記念バッジ販売のご案内:回覧
委員会報告等
・職業奉仕委員会:禁煙例会
・国際奉仕委員会:使用済み未使用テレカ及び書き損じハガキ古切手収集
・出席委員会:出席報
その他
バイキング例会

卓話時間

放送界の面白あれこれ

テレビ新広島アナウンス部部長 神田康秋氏

〈緊張感が面白い〉
 若い時分、多分高校生の頃には喋る仕事、つまりプロのアナウンサーを職業として意識していたんですが、この仕事、何が魅力に思えていたかというと、ほかの仕事では見つけにくい緊張感だと思うんです。イベントや野外だと人の顔が見え、時分が話していることに対して明確な反応が伝わってくるんですね。面白がってくれている、楽しんでくれている、一見淡々と喋っているように見えて実は色々な反応を肌で感じながら進めているんです。
野外ほどではありませんが、スタジオにおけるアナウンスだって同じような緊張感があります。自分を映しているカメラの向こうには多くの聴衆がいる。自分の顔をみながら声に耳を傾けている不特定多数の人達がいる。これもやはり大きな緊張感であり、喜びでもあるんです。
 その喋っている場面ですが、よく「神田さんって頭がいいんですね」って云われます。それはスタジオで原稿を読んでいる場面なんですが、喋っている間はほとんど正面のカメラを向いて原稿に目を落とさないからです。カメラをじっと見据えて話しをしていくから、視聴者としては、私がアナウンス原稿を全て暗記していてスラスラと話している、だから頭がいいという発言に繋がったのでしょう。
 実はこれタネがあります。私の手元に置かれた原稿は、真上(原稿の垂直線上)に別途のカメラがあって原稿を捕らえそれを正面の別途のカメラがモニターして映し出しているんです。だから私は正面のカメラを向いていますが、モニター画面の原稿を読みながら喋っているのであって、決して記憶しているわけではありません。テレビの前で見ている人にとっては、いかにも私が原稿の全てを暗記してスラスラと喋っているように見えているのでしょうね。
 タネ明かしをしましたが、そうは言っても、敢えて視線を原稿に落とすなど技術的なことがあります。例えば名前、あるいは住所や金額など数字的なものです。こんな時には、わざと視線を原稿に落とします。モニター画面にはちゃんと映し出されていますが、手元の原稿に視線を落とし一つずつ確認しながら読んでいる雰囲気を出すことによって、見る側の安心感を醸し出していくのです。難しい名前とか、行政の予算とかの長い数字が全部頭に入っていたら変でしょう。視線を落とし原稿に書かれた数字を確認しながら読んでるぞ、ってポーズを明らかにすることで見る人は信頼と安心感を得るものだと思います。

〈鼻が視線の役目に〉
 今、視線の話をしましたが、私、若い頃に注意を受けた所作に視線の持って行き方があります。結論から言えば「対談などゲストと対話していく場合、相手の返答を目で追うな」と言うものです。
どういうことかと言いますと、例えば、私の右手にゲストの人がお見えになっているとします。その人のお名前を○△さんとします。私が質問を投げかけ、○△さんが答えたとします。私としては「なるほど」とか「そうですか」などの相槌を打っていきます。その時にほとんど顔を動かさず、目だけを○△さんに向けて「そうですね」としたら、正面から映しているカメラは私の目の白い部分が協調されてしまいます。これは見ている人の視覚的に極めて感じの悪いものになります。人間の目は黒目の部分が中央にあって落ちつきを与えるものです。白目の部分を多く覗かすと不安や猜疑を与えかねません。ですから、ゲストがおられ相槌を打つ場合には、必ず顔を先方に向けて話すことを心掛けています。目を向けるのではなく鼻を向けるという感覚でしょう。これだと視線は絶えず中央にあります。よく人の顔を見て話しをしろと言われますが、このことを徹底して守っているのがアナウンサーの職業ではないでしょうか。

〈褒めて成長を促す〉
 もう一つ、お話させていただきます。それは心の対話と言うべきものかも知れません。オリムピックの女子陸上で有森選手が銀と銅のメダルを獲得しました。最後の最後まで勝負を諦めない頑張り屋の彼女の走る姿を見て、国民の多くが感動をしました。また、彼女の名文句に「自分を誉めてやりたい」という言葉がありました。
人には分からない自分自身の努力、体力と心の戦いの報奨としておもわず出た言葉なんでしょうが、仕事を通じて以前から彼女と交流のあった私は、別な意味で受け取っていました。
 彼女はもともとスプリンターとして天性の素質を有していたわけではありません。高校時代もそうですし、社会人の陸上部でも目立った成績を残してマラソンに転向してきたわけではありません。人一倍のたゆまぬ努力、これ全てで世界のアスリートの仲間入りを果たした全く努力の人でした。その彼女が練習が終わった時など私生活で、鏡に映った自分をことあるごとに叱咤激励していたことを知っていたからです。
 どういうことかと言いますと、鏡の自分を別人格と捉え絶えず対話することを心掛け、その中の一つに自分を褒める作業がありました。人間は誰しも貶されるより、いい部分を褒められると成長するという性質を持っていますが、彼女はそのことを理解しており、自分を機会あるごとに褒め成長を促していたのでしょう。自らがいい部分を知り、自らが褒めることによって更なる飛躍への糧とする、これによって彼女のあの不屈の頑張りと感動に至る発露が自然と滲みでてきたものだと思っています。自らをどのように奮いたたせ表現していくか、彼女から学んだことは多く、それはまた私の職業観にも多大に影響を与えているのではと思っています。私ごとですが、キー局(フジTV)の実況にも携わらせていただいたことも何度かあります。本来なら地方局のアナウンサーで、全国区の場面はまず考えられないのですが、中央に出掛けた時、積極的にアピールし、自分を常日頃磨き勇気を持つよう心掛けていたからでしょう。
 これなどやはり、自分の心と対話しながらチャンスを掴むことを意識していたからだと思います。いずれにしろ私は素晴らしい職業につかせていただいたと感謝しております。多くの人に出会い、また緊張の中で自分を高めていく、人生を感謝しながら、神田流の話をこれまで以上に追求しながら生きていきたいと考えております。

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