- 本日のプログラム
- ゲスト卓話
「東日本大震災にあたって」 - 卓話者
- 広島市消防局警防部長 桝岡正一 様
- 担当
- プログラム
- ゲスト
- 米山奨学生:張 君くん
- 黙祷
- 故砂田龍吾会員のロータリー歴紹介
- 会長時間
- 米山記念奨学会各賞表彰
・米山功労クラブ15回目(\15,285,500)
・米山功労法人(吉川修平君)
・米山功労者マルチプル(浜田逸郎、古澤宰治、緒方俊平君)
・米山功労者(後藤逸文、吉清有三君)
皆様方もすでにご存じのことですが私たちのクラブの会員である砂田龍吾さんが7月29日急逝されました。砂田さんは昭和42年7月生まれで44歳になられたばかりでした。
プレハブ工業株式会社の取締役副社長として平成13年10月緒方会員、故高重会員の推薦で当クラブへ入会されました。職業分類は環境保全設備工事です。人間尊重社会奉仕がロータリー活動歴のスタートでした。その後平成17年副幹事、平成18年ロータリー財団米山奨学委員長、平成20年幹事として橋本会長を助けるとともに、クラブ創立30周年記念実行副委員長として記念行事を素晴らしいものにされました。平成20年から21年かけては合同幹事会代表幹事として幹事会をまとめられ、平成21年からはロータリー情報委員長、平成23年からはクラブ広報理事・委員長として種々の事業計画を推し進められておられる最中でした。
受賞歴としてポールハリスフェロー、準米山功労法人、準米山功労者、また連続9年間100%出席を継続中でもあります。これらの華々しいロータリー歴が物語るように砂田さんは順調にロータリアンとしての道を歩んでおられ広島中央ロータリーの次世代の柱の一角として会員の期待を集めておりました。今回このような悲報に接し誠に痛恨の極みであります。
世の無常を改めて実感した次第です。心からご冥福をお祈りいたします。
本日は種々の記念行事が予定されておりましたが急きょ予定の一部を変更させていただきました。 - 幹事報告
- ・BOX配布物の確認
(1)雑誌類=ロータリーの友誌・ガバナーズレター・前年度会報6月号
(2)「エコ・ドリーム運動」7月取組表
(3)元会員若山裕昭さんの美術展パンフレット
・回覧物
(1)ガバナー公式訪問例会及びフォーラム出欠回答表
・次週例会終了後クラブアッセンブリーを開催、関係者は必ず事業計画書持参のこと
・会員増強・職業分類委員会アンケート回答締切8/10 - 理事役員会
- ・例会終了後1F「コルベーユ」にて第2回理事役員会開催
- 委員会報告等
- ◎出席 : 出席報告
◎人間尊重、社会奉仕 : 「エコ・ドリーム運動」7月分取組表作成
卓話時間
防災閑話(緊急消防援助隊)
広島市消防局
警防部長 桝岡正一様
平成23年3月11日(金)、午後2時46分ごろ発生した「東日本大震災」。
この発災に伴い、国(消防庁長官)の指示により、全国44都道府県の消防本部から被災地に向け、「緊急消防援助隊」が派遣され、広島市消防局にも、仙台市に隣接する「宮城県名取市」への派遣が指示された。派遣状況は、次のとおり。
【広島市消防局(陸上部隊)の派遣状況】
◆〈派遣期間〉 3月12日(土)~4月15日(金);35日間
(※5日間のローテーションで職員を入れ替え)
◆〈派遣人員〉 延べ445人
◆〈派遣場所〉 宮城県名取市
〔※航空部隊(広消ヘリ)については、岩手県(花巻空港)、
福島県福島空港)を拠点として活動〕
現地では、人命検索、救急搬送等の活動を行い、名取市では、派遣期間中に56名を発見したものの、残念ながら、全員亡くなられている状態での発見となった。
私は、4月12日(火)から4月の15日(金)にかけて、最期の派遣隊の責任者として名取市に赴いが、現地では、名取市役所、宮城県庁、仙台市若林消防署等を訪ね、災害状況等を聞きながら、撤収の挨拶をしてまわった。そして、被災現場には、出来るだけ多くのものを見ておきたいという思いで、夜明けを待って、早朝に足を踏み入れることとした。
まず訪れたのは、名取市の隣、海と田んぼに囲まれた街…仙台市若林区荒浜地区。早朝5時という早い時間ではあったが、4月半ばというのに気温は5度、目に見える範囲に拡がる瓦礫と土にまみれたセピア色の風景、生き物の気配がなく鳥一匹も見当たらず、風の音と、ひんやりとした空気の中に幽かな海の匂いがするだけ、あの一種異様な風景は、忘れることのできないものとなった。
続いて、我々の活動拠点であった名取市閖上地区へ。ここも荒浜地区と同様の荒廃とした風景が広がっていた。想定を超える規模で津波が襲い、それにより人と人とが分断され、地域の絆も機能せず、瓦礫の中で、もしかしたら助けられた命にも救いの手を届かすことができず、一瞬のうちに多くの命の灯が吹き飛んだのではないか。…そんな感じを受けた。
災害対策は、市町村が主体となって行われる。しかし、今回の震災では、津波によって行政機能がマヒした(或いは、全く機能できなくなった)市町村が、多い。実際、被災地を見て、少なくとも初災当初は、全く行政は頼れる存在ではないことを痛感した。
仙台市若林区の海岸近くにある「荒浜小学校」では、付近の住民が最大300名程度避難したものの、津波により陸の孤島状態となり、地震発生の翌日から、
空路・陸路を使って脱出したそうだが、全員が退避するまで3日間を要し、その間、住民たちだけで耐えたという話を若林区の消防署長から聞いた。
また、神戸市のある方が、「阪神・淡路大震災」で自ら被災をして得た教訓として、こう言っている。「3分間で自らの命を助け、3時間で近所の救助と消火を行い、3日間は公的救援なしで生き延びる方法を皆で話し合って編み出してほしい。震災予防の物的投資は十分にすべきであるが、いざ震災となると頼れるのは個人の想像力と創造力だけである。」
「災害は忘れた頃にやってくる…」という寺田寅彦の名言がある。
この言葉は、最近、やたら大きな災害が頻発するので、「災害は忘れないうちにくる」という人もいるそうだが、それは取り違えで、過去の教訓や個々人の防災意識も含めて、「忘れているからこそ起こる」のが災害であるということを言っている。
したがって、このような教訓などから分かることは、象徴的には「自分の身は自分
で守る」「自分たちのまちは、自分たちで守る」というような言葉で表現できるが、自分の健康と同様に、防災も「自己責任」であること、自分が「何をすべきか」「何をなし得るか」を常日頃から考えておくことが、防災にとってとても重要な、基本的理念であると思う。
我々は、名取市内の山手にある「宮城県農業・園芸総合研究所」の体育館・
グランドを借りて野営したが、撤退にあたり、急遽、そこに勤務している多くの職員や名取市の消防本部の方々による壮行会が行われた。
園芸総合研究所らしく立派な花束を頂いたが、そこの所長さんからこんな感謝の言葉があった。「皆さんが広島を出られたころは、おそらく桜の花が満開であったと思います。しかし、こちらでは、ご覧のように咲くのはこれから…というところです。
こんな状況ではありますが、桜は咲きます。私どもも、この桜の花のように頑張ってまいります。…ありがとうございました。」
私は、この言葉に少々感激し、壮行会が急遽行われたこともあり、思わず、
私の好きな言葉である、「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない…」と返した。
その後、「前を見て頑張ります。」という所長さんたちからの言葉を聞きながら、
涙ながらに、力強く握手をかわした、あの瞬間が忘れられないものとなった。
「絆。がんばろう日本」