- 本日のプログラム
- ゲスト卓話
「これからの電話はどうなる?」 - 卓話者
- (株)コムテック代表取締役社長
川島正敏 様 - 担当
- プログラム
- ゲスト
- 卓話ゲストの紹介者として
元会員:小笠邦久 様 - 祝事等
- ・連続出席表彰(3名)
・結婚記念日(7名) - 会長時間
- ●4月は年度初めなので新入社員が教育を受け始める時期です。
●世界の子供は親にも先生に似も教育されていない。クラブ活動で先輩に教育されていなければ社会に出て悲劇が生じる。
●日経新聞に出ていた何でもランキングの中に「新人さん、ここに気をつけて」という生地があったので紹介します。
(1)あいさつがきちんとできない
(2)メモをとらず、同じことを何度も聞いてくる
(3)敬語が使えない
上司のケース
(1)言うことがころころ変わる
(2)強い者には弱く、弱い者には強い
(3)大事な局面で責任逃れをする - 幹事報告
- ・BOX配布物
(1)会報3月号
(2)理事役員会議事録・プログラム
(3)手続要覧(注文者のみ)
・募金箱回覧
TE-DEマラソン支援募金 - 理事役員会
- ・本日例会終了後4階「竹の間」にて次年度第1回クラブアッセンブリーを
開催、引き続き同会場にて次年度理事役員会を開催 - 委員会報告等
- ・職業奉仕=禁煙例会・四つのテスト唱和(ロータリーソング終了後実施)
・出 席=出席報告
卓話時間
ゲスト卓話
「これからの電話はどうなる?」
(株)コムテック代表取締役社長
川島正敏 様
私の電話機人生:電話機でナンバーワン、オンリーワンをめざして!
このたび小笠邦久氏のご紹介で卓話に呼んでいただきました株式会社コムテック広島の川島です。実は、平成12年3月にも呼んでいただいて「昨今の電話事情」という題で話をさせていただきました。本日は、その続編ということで「これからの電話はどうなる?」という題で私の電話機人生を話させていただきます。
冒頭にナンバーワンとかオンリーワンとか書いていますが、実は、私が学生時代にエレキバンドをやっていてコンテストで優勝したことがあります。その優勝後のバンドのギャラとか人気などで格段に評価があがったことからビジネスではナンバーワンとかオンリーワンがいかに大切かを実感しました。以来ナンバーワンまたはオンリーワンをめざしたビジネスを心がけてきました。大学院在籍中に当時の電電公社より電話機修理工場の生産性向上調査の依頼を受けてレポートを提出したところ、そのレポートを実現するために中国地方唯一の電話機修理工場の工場長になって欲しいと言われました。中国地方唯一すなわちオンリーワンだということでそのお誘いを受けました。以来、電話機屋として今日までやってきた訳です。NTTが民営化した後に現在の(株)コムテック広島を設立しました。
お配りした資料にも書きましたが、「電話とは、遠距離の人とリアルタイムでかつ臨場感ある会話ができる文明の利器であり、電話機は通話というサービスを売る自販機である。」と私が定義しました。電話会社は電話機を加入者宅に置かせてもらって通話というサービスを売るわけです。したがって当時の電話機は電電公社の所有物で、悪くなったら修理再生していました。皆さんのお宅にまだ昔の黒電話機が残っていたら裏を見てみてください。もしも裏に「日本電信電話公社8.D」というシールがあったらその電話機は私の工場で修理再生した電話機です。
1985年(昭和60年)に通信の自由化が実施され、電電公社が民営NTTになりました。自由化により端末機すなわち電話機が解放され電話機はデパートや電器屋さんで売られるようになり、NTTは通話というサービスを売るという本来の姿になりました。かつて電力会社も電球を売っていた時代がありましたが、電力会社は本来電力を売るのが本業です。
電話機が自由化されたことで早速やったのが今日みなさんにお見せしようと持ってきましたコカコーラの電話機です。これはコカコーラの100周年記念の賞品として提案して採用されたものですが、当時としては黒電話のイメージからは画期的な発想のものでした。それにこの電話機は世に先駆けて缶を二つに割っています。いまでこそ携帯電話は二つ折りが普通ですが、長い間棒状のストレートタイプでした。コカコーラ電話機は賞品として配られたものですがかなり高いプレミアがついたと聞いています。
コカコーラの電話機に続いて、「アメリカでFAXのトップシェアーを獲りたい」というメーカーさんと「世界一小さいFAXを作りたい」いうメーカーさんが前後して訪ねてこられ、両者にそれぞれのコンセプトに合ったFAX用電話ユニットを提案し供給しました。結果、その両社がアメリカ市場でトップ争いを演じ、私どもの電話ユニットは断トツのトップを約10年間走りました。
携帯電話でも一番の仲間になりたい!
コードレス電話やPHSに続いて本格的な携帯電話時代になり、携帯電話でも一番の仲間になりたいという夢と戦略を持ちました。現在開発のお手伝いをさせていただいているメーカーさんは、国内のトップシェアーを走っています。
現在の携帯電話は、第3世代と言われています。アナログ方式の第1世代、デジタルになった第2世代、そして2001年にスタートしたマルチメディア化した第3世代が今の携帯電話です。第4世代とは、どんなものになるかと言いますと、携帯電話で光通信なみの超高速インターネット環境を2010年ころから実現しようというものです。携帯電話がパソコン並みの性能を持ち、高画質のテレビ画像を送ることもできるようなるでしょう。
携帯電話の弱点である画面やキーボードが小さくて使いにくいことは、自宅に帰って机に座れば自動的に大きな画面やパソコンのキーボードと接続されることで解消し、パソコンと同じように使いこなせるようになって携帯電話1台でなんでも済ますことができるようになると思います。ところがそんな高機能な携帯電話は不要で話しさえできれば良いという人たちとのギャップも大きくなりますね。
日本の携帯電話に問題点あり!
現在、日本の携帯電話が抱えている問題点の一つにキャリア毎に携帯電話をキャリアさんから買うというのがあります。電話機を只同様の値段で販売し後の通話料金で回収するという慣習は次の世代の携帯電話ではなくなる方向にあり、電話機は電話機として買い、通話というサービスはキャリアから買うという本当の解放・自由化に向かっていくでしょう。もう一つの問題点は、すでに携帯電話の契約件数が1億件を突破し市場が買い替え需要程度しかないという成熟した状態にあることです。昨年あたりからメーカー間ではそれまでのシェアー争いから生き残り争いの状態になっています。加えて皆さんは意外に思われると思いますが世界をリードしているはずのエレクトロニクス日本が携帯電話の海外市場では全くと言っていいほどシェアーがありません。日本独自の携帯電話文化の中で高度化し、ひょっとすると世界の孤児になっているのではないかと心配しています。今の優れた日本の携帯電話をかつての戦艦大和にしてはいけません。世界に打って出るべきです。
21世紀中に実現するか?「夢の電話機」
テレビの限界はガラス製のブラウン管でしたが液晶テレビやプラズマテレビの実現によって背面の大きさの問題が解決されました。複写機の限界は紙の大きさです。事務所で大きな場所を占有している複写機の大きさのほとんどは色々な大きさの紙を印刷処理するための大きさです。たとえば「紙の素」のような容器があってそれを複写機に差し込み印刷する時にA4とかA3とかの大きさの紙になって出てくれれば随分と場所が節約できます。
携帯電話の限界の一つに電池の問題があります。最近はかなり良くなって電池切れを気にしないで使っていますが、テレビなどの映像を見るとすぐに電池切れになってしまいます。原子力豆電池とか太陽光充電とか体温で充電するなどの電池ができると嬉しいと思っています。ちなみに私が付けている腕時計は、体温充電式です。
皆さんの中で気がつかれている人もいらっしゃると思いますがデジタルテレビは、映像が遅れて写ります。また衛星中継のテレビだと音声が遅れて会話で喧嘩ができません。リアルタイムで遠距離の人と臨場感ある会話ができるのが電話の使命だとすれば衛星中継では上手くいきません。デジタル携帯電話は、デジタル方式であるが故に生じる遅れに対して違和感を感じない程度に技術が進化したため実現しました。雷が電気であると人類が発見したり、電話機や無線機が発明されてから大した年月が経過していません。物理屋さんが電気を物理量として捕まえてくれて、我々技術屋が文明の利器たる電話機を開発するように例えばテレパシーが実在するならば物理屋さんに物理量として捕まえてもらい、技術屋がテレパシー電話を作るという夢がわいてきます。そこでテレパシー電話の前段階としてノーベル賞を受賞された小柴先生が研究されていたニュートリノにもしも情報を載せて送ることができると、ニュートリノは太陽でも地球でも人の体でも貫通するので衛星を使う必要がありません。静止衛星だと往復7万キロのところを地中に向かって「もしもし…」と言えば6千キロ余りでブラジルに届くことになりあまり時間の遅れを感じないで済むことになります。究極の電池不要の電話は、糸電話ですが、例えば放射能漏れを起こして完全に遮断された原子力発電所で無線も届かないような部屋の間にワイヤーとフィルムを設置しておけば糸電話の原理で会話ができます。
私の永遠のテーマは、糸電話からテレパシー電話です。
ご静聴、ありがとうございました。