- 本日のプログラム
- 新会員卓話
- 卓話者
- 柳川寿子君
「私の家族、私の趣味、私の仕事」 - 担当
- プログラム委員会
- 祝事等
- ・結婚記念日(5名)
- 会長時間
- 新会員入会式 岡本哲治君
・会長よりバッチ・四つのテスト・会員証・ニコニコチケット・花束贈呈
・推薦者(土肥会員)より紹介と本人の挨拶
先週末に行われたIMに参加して、基調講演からと、各RCの紹介時に思ったこと。
・IM出席報告
・広島中央ロータリークラブ拡大の為の会員増強協力のお願い - 幹事報告
- ・BOX配布物の確認
1. 2月定例理事役員会及び臨時理事役員会議事録
2. 3月プログラム
・回覧物(先週に引き続き)
1. 2007-2008年度版ロータリー手帳注文書
2. 米山学友会賛助会員継続及び新規入会のお願い
・次週例会のお知らせ
昼の例会を夜18:30からに変更して、新会員歓迎懇親例会を広島プリンスホテルにて開催。 - 理事役員会
- ・次月定例理事役員会は17:30?広島プリンスホテルにて開催予定です。
- 委員会報告等
- ・出席委員会=出席報告、 私の健康法/前原恒泰
・社会奉仕委員会=愛のコイン箱
・国際奉仕委員会=使用未使用古切手類収集
・ロンガルス同好会=5周年記念一泊旅行、恒例の絵画展・研修会のお知らせ
卓話時間
新会員卓話
柳川寿子君
私の家族・私の趣味・私の仕事
卓話を 30分・・・とても 無理!
紹介して下さった永田さんが、入会が決定した後になって、「それが判っていれば、入会するんじゃなかったと思った」なんて、少々 無責任な説明をされまして、今更 それならなんて言えないし、でも 皆様方を前に、何が話せるだろうと考え込んでしまいます。
とりあえず 自己紹介という形で、話してみよう、それしか無いと思います。
家族、趣味、仕事の3点で、お話したいと思います。
話なれてもいませんので、プロジェクターで 少し 映像を写して 時間かせぎにしたいと思います。
それでも 30分を満たさない場合は、ご寛容ください。
名前は、柳川 ひさこです。としこではありません。
年齢、ロータリーというところは、何故か 容赦なく生年月日を公表する習慣があるようで、積み重ねた年月が、嫌いでは無いし、誇りも少々はありますが、やはり 女性としては、余り おおっぴらに 言いたい歳でも ありません。
おおっぴらに言えるものは、身長161Cm、体重51Kg。
家族 夫 ひとり。
子供 39歳の長男、36歳の長女、35歳の次男。
夫々が 良きパートナーを得て、独立した家庭を築き、子供が夫々ふたりづつ。
つまり 孫6人。
皆さまの中には、あれでも 10月の会報を 読んで下さった方も いらっしゃると思いますが、総勢14人家族です。
これが 今年の夏の家族旅行の集合写真。
これは 末の孫娘。どの命もいとおしい存在ですが、この写真の表情は、バババカではありますが、いい表情をしているでしょう?
家族旅行は、2年連続で、海の美しさにひかれて、西長門リゾートへ いっています。
ホテルの前の透き通るようなプライベートビーチ、ホテルからの夕焼けの海、子供たちの楽しい表情・・
(一連の西長門リゾートの写真)
振り返ってみますと、仕事を続けながら、随分 手抜きの子育てではありました。
でも こうして 今 14人家族で、時々 ワイワイと楽しい時間を共有して、今さらながら、 家族がいることの幸せを実感しています。
少子化が 大きな社会問題となっている昨今、まさに 表彰状もので、そのうち 政府から 何か言ってこないかなぁと 淡い期待・・・・・しては いませんけど・・・
ついで 趣味。
3番目の子供が、18歳になって、もう 日曜日に母親がいなくても大丈夫と考えて、老後の楽しみにと、ゴルフを始めました。
小さい頃から 虚弱体質で、小学校の運動会も、ずっと 見学児童だった私は、運動とは全く無縁で、子供たちも、「母さんは、18ホール 歩かない!」と太鼓判を押してくれたほどでした。
でも 高校時代から友達で、ゴルフの上手な人が、「毎日 5分でいいから、欠かさず 素振りを続けたらいいよ」とアドバイスしてくれて、続けました。
多分 2~3年。
朝 6個も7個も お弁当を作り、駆け足で庭におりて、ドライバーをひたすら。
自己流のゴルフですが、唯一 それが 財産で、お世辞半分ではありますが、綺麗なスゥイングと言ってもらえますし、まずまずの飛距離です。
ゴルフの写真は、そんなに多くないのですが・・
ちなみに ホールインワン1回、
取引先メーカーの岡村製作所 多分 オフィス家具メーカーとして ご存知だと思います。
その岡村は、年間 ある程度の数字を達成した特約店の 社長夫妻を 2泊3日の旅行に招待してくれます。ハワイとか、オーストラリア、上海 北京等 海外の場合もありますが、普通 国内。その土地の 一番いいホテル、一番いいゴルフ場、観光コースと 至れり尽くせりの設定で 楽しい旅行です。
そのプレシデント会でのホールインワン達成でした。
150人くらいのパーティでしたから、お祝いは 大変、でも 楽しかったです。
次男に「お母さんて、目立ちたがりやだね」って 言われましたが、目立ちたくて、ホールインワンをしたわけでは、ありません。
ついでに 話が横道にそれますが、浮いたうわさの話です。
夫ひとりの身としては、浮いたうわさは、まずいのですが。
そのプレシデント会で、札幌に行きました。全日空オープン前の ワッツでプレー(写真)
翌日 恵庭(とても 美しいコースです)で プレーした時のことです。
ご一緒したのは、メーカーのワンマン会長でした。
さすがというか 茶店で・・・・・
ついでに もうひとつ 横道なのでが、ヨーロッパの経済交流ミッションの話・・・・
で ゴルフのもどりますが、
広島西カントリークラブでハンディ19。
調子の良い頃は、90台前半で回ります。
トリプルとか大たたきのホールがあると、100前後のゴルフになっていましまうことも多いです。
主人と よく メンバータイムに行くこともあり、「仲がいいですね、」とか 「夫婦でゴルフって 羨ましい」とか 言われます。
現実の内容は いささか ?マークものですが・・・
仕事柄、他の男性とラウンドすることも多く、主人は、おおらかに 理解してくれています。
でも メンバーさんの中には、心配性の方もいらして、「他のオトコとラウンドしている」と気をもんで下さる方もあり。
暖かい長いつきあいのあるクラブ生活をさせて頂いています。
つぎの趣味。カントリーウエスタンダンス。
みなさま ご存知ですか?
ご存知ない方が、大半だと思います。
いみじくも フォークダンスとタップダンスのあいのこ、といった友人がいますが、確かに 結構 激しい動きで、2時間のレッスンの間 万歩計をつけていると、16000歩だったそうです。
こんなハットをかぶり、細身のジーパンに、ブーツ 数人でラインを作って、踊ります。
リズムの乗って、身体を動かすのは、気持ちいいでよ。
本当は 30分もしゃべれないから、一曲 ダンスでも披露して、時間を稼ぎたいところですが、ひとりで踊っても、様にならないので、披露はいたしません。
実は 披露できるほどの 腕前でない・・・!
ちなみに 私の所属するDHDと、いつも一緒にステージを共演しているKODは、3月8日に 西ロータリーで、腕前を披露します。
と ここまでが プライベートな部分の 自己紹介。
ここからは、私の仕事に関して話をしたいと思います。
社名を 株式会社 五興といいます。
当社は、主人の父親が、昭和9年に創立した 社歴73年 歴史のある会社です。
もともと 建具職人だった父が、親方のところの仕事が無いというきっかけで 独立したと聞いています。建具、木工の製造業として柳川製作所としてスタートしました。
兵隊に行って、ロシアで 捕虜になったりして、とても 苦労を重ねた父です。
復員後、友人と5人で 興したので、五興工芸という会社名で、設立いたしました。
実は、出島町にあった800坪の本社用地が、南道路のための用地収容になりまして、
買い替え資産として、 ここ西風新都に移転しました。
これが5年前に新築移転した社屋です。
派手な黄色で、西風新都では、その派手さにおいて有名です。
高速4号線の中広トンネルをぬけて、西風新都から 高速道路に乗られる方は、その道路沿いにある当社を目にされたこともおありでしょう。
良く 営業で 初対面の方に名刺を出すと、「ああ あの黄色い五興さんね」と言われます。
当初は その派手さが嫌でしたが、今は 慣れてしまって、目立つことはいいことだと 開き直っています。
風水では 西方の黄色は 縁起がいいよと 言ってくださるかたもあります。
もしかしたら そのせいかな?この社屋に移転以来、順調に 業績が推移しています。
これは 社内の風景、社長室、
移転の時、60有余年の歴史を刻んだ 木工場を閉鎖したのですが、工場の隅から 父の遺産とも言えるチークのむく材が出てきました。
これが そのムク材で作った自慢のテーブルです。
今は、これだけの材料は、捜しても手にはいらないプライスレスの父の遺産です。
他にも 父が戦前使っていた 建具用の道具セットが出てきたり、母が割烹前掛けを着て、工場を手伝っていたという 暖かい写真も飾ってあり、私たちのルーツを見る思いです。
ベランダの滝のある池、50匹くらいの鯉・・・
お近くを通られましたら、是非 お立ちよりください。
ゆとりのある 郊外型のオフィスです。
経済産業省と日経新聞協催の日経ニューオフィス賞で、中国経済産業局長賞を受賞しました。
こうしたオフィス環境を提供することが、当社の柱となる仕事です。
つぎは、その会社での 私の仕事についてです。
多くの中小企業のオーナーの奥さんが そうであるように 勿論 経理の中枢も担当していますが、20数年 営業の前線にいます。
息子2人が、夫々の勤務先から 会社に戻り、今は、専務と本部長という肩書きで、営業をしています。
ふたりが 実力を発揮する以前までは、私は 自分で言うのは、みっともないのですが、
当社のトップ営業でした。
そのきっかけの話です。
柳川に嫁ついで、40年 ずっと 家業に携わっています。
中小企業というよりも 小規模企業の当社ではありますが、父が 人や資金繰りで苦労するのを見ていましたから、とにもかくにも 企業が70年あまり生き続けていることは、それだけで 立派なことと 実感しています。
父は、80歳で亡くなりましたが、とても 懐が大きくて、暖かい人格者でした。
人の縁というのは、血の濃いさでは無いと実感していますが、父との出会いが、私の人生には とても 大きな影響を与えています。
小さな企業の社長ではありましたが、いつも 先を見て手を打つ人でした。
先程の話でも言いましたが、オカムラのスチール家具を ご存知の方も多いと思います。
当社は そのオカムラの特約店をしています。
今は このオフィス家具の販売がメイン業務です。
正式には、三菱商事が総代理店で、三菱商事の特約店です。
岡村は、終戦後 飛行機工場の技術者たちが 横浜の岡村町で 創業した会社です。
その創業オーナーの吉原社長と 父は、
実は 昭和34年に 全国で7店特約店が出来たときの 一店で、そのことを機縁に
吉原氏との生涯を通じた 深いおつきあいが ずっと続いていたのです。
会えば 言いたいことを言い合って、口角泡をとばしてという状況だったらしいのですが、
あい通じるものが 大きかったのでしょう。
その2人の友情がベースにあって、今の私があるのです。
今から40年も前、当時 まだまだOA化という言葉も生まれていなかったころ、先取の気性にとんだ吉原氏は、IBMの大型コンピューターを導入しました
田辺経営の社長からは、「農夫にジェット機」と揶揄されたのは有名な逸話です。
当時 花王とオカムラが 日本では OA化トップと言われました。
吉原氏は、自社のOA化の結果をふまえつつ、中小企業のために 安価に運用できる管理会計を開発して、下請け企業や、私どものような特約店にOA化・・・と言うよりも、パソコンを使った管理会計の導入の必要性を 熱く語っていました。
その導入に 横浜まで勉強に行かせてもらったことが、私の人生を大きく変えるきっかけでした。
当時は、ソードピプスという言語のパソコンでした。
そののち IBMの5550が発売されて、一気に パソコンが楽しくなりました。
ワード機能は、伝えたいことが沢山あった私には、とびきりのツールでした。
手紙で、管理会計の進捗状況や 思いを 吉原社長に伝えていると、「柳川さん 今 思っているとおりを 特約店会議で話して欲しい」と言われ、簡単に「いいですよ」って
引き受けて、行ってみると、メーカーの上層部の人たち、三菱商事の役員のかた、全国の特約店の社長さんたち 約250名の会議でした。
今 考えれば、知らないことって 無謀でした。でも そのことをきっかけに 吉原社長から とても 可愛がって頂きました。
彼との会交が、その後の 私の人生を変えました。
彼は、寿子さんに見せたいものがあると言っては、飛行機の切符を送ってくださり、ベンツで羽田まで迎えに来てくださいました。車に乗るなり、挨拶ぬきで、「経営とはね」と 時間を惜しんで いろいろ 教えて下さいました
一部上場の社長さんで、ご多忙でいらしたのに、その細やかな心遣いは 嬉しいをとおりこして、もったいないものでした。
そのなかの教えのひとつが「商い」の重要性でした。
ここでも シンプルというか、世間知らずというか、彼の指導に、「そうなんだ」と納得した私は、自分で営業カバンを作り、何も知識も経験もないまま、営業を開始しました。
技術と信用はあっても 攻めの営業体制のなかった当社には、必要な行動でした。
ほとんど 飛び込みの営業から始めました。
若さも 美貌も 知識も 経験も ないないづくしのスタートでした。
ただ 今まで 真摯に生きてきたという自負と、吉原社長や、父との交流を通じて、いろんな方々に お目にかかるチャンスは多くて、人に合うことに とても 自然体でいられました。そのことが 多分 何よりの財産だったと思います。
営業をしていると、いろんな方にお目にかかれますし、教えて頂けることもたくさん!
いつかしら 結果としての数字もついて来るようになり、実感として「営業は 楽しい」です。
この「人とあうのが嬉しい」という気持ちが、「人にどうしたら 喜んで頂けるか」という私の営業姿勢の原点と 表裏一体のものなのです。
経理の仕事とか事務ワークだけしていたら、手にいれることの出来ない充実感のある仕事と、暖かい家族の家庭と、充分すぎるほどの幸運に恵まれて、本当にハッピーに生かされていることを、心から 少し古い言葉ではありますが、ご先祖様に 感謝しています。
この幸運は、父母たちが 先祖を大切にしてきたその徳に縁るものと思います。
以上で 自己紹介を終わりにします。
つたないお話ではございましたが、ご静聴 ありがとうございました。