- 本日のプログラム
- 新会員卓話
「私と通信業界とのかかわりについて」 - 卓話者
- 大井手力夫君
- 担当
- プログラム委員会
- ゲスト
- 入会予定ゲスト:蔭山武人様(広島経済大学教授)
- 祝事等
- ・連続出席表彰(1名)
・結婚記念日(8名) - 会長時間
- ・合同会長・幹事会報告、合同事務局の在り方について議論した。
- 幹事報告
- ・次年度幹事=既に関係者各位にはご案内済みですが、今週末21日(土)は地区協議会が開催されます、ご出席のほどよろしくお願いします。
・事務局例会サブ担当の交代のお知らせ後任の広島陵北RC担当の田辺さんの紹介 - 理事役員会
- ・本日例会終了後12階「カーネーション」にて次年度理事役員会開催
- 委員会報告等
- ・職業奉仕委員会=禁煙例会・四つのテスト唱和
・出席委員会=出席報告
・親睦活動委員会=3クラブ懇親ソフトボール大会報告 - その他
- バイキング例会
卓話時間
「私と通信業界のかかわりについて」
大井手力夫君
(はじめに)
日本テレコムの大井手でございます。昨年9月に広島に赴任した時に前任の田中から引継ぎで“ロータリーは余り仕事の役に立たないので やめてもいいよ”と言われ自分も何も分からないうちにそう思っていましたが、会員手帳を拝見してビックリ、高校時代の同級生の赤羽さん、 若山さんがいることを知り、即座に申込書を提出いたしました。本日はご興味を持っていただけるか心配ですが私とIT業界のかかわりについて お話させていただきたいと思います。
(私の経歴)
私は広島の安佐北区でS23年に生まれました。高校時代にすでに地元広島で発展中の東洋工業(現マツダ)に入ろうと考え、どの大学に行けば 最もマツダに入りやすいか考えた末、地元の大学の工学部機械工学科を選びました。今の自動車は電子、電気ですべてコントロールされていますが その当時は車は機械の塊でしたので。ところが大学4年生のころ(1970)マツダはロータリーの失敗で絶不調に陥り夜勤、残業なしという状況で 就職担当の先生もマツダは薦めないという始末です。ちょうどFORDが入る前ころと記憶しています。
従って車の会社ならどこでもいいと思いハコスカGTが大人気を博していた日産を選びました。あの当時は技術屋はいまと異なり引っ張りだこで無試験同様で入社しました。入社すると私の人生は配属先がいきなり海外部門でしたのでここから大きな転換を迎えました。
1970年代は日本はモータリーゼーションが始まり、海外とくに米国への輸出を伸ばし始めた時期です。市場も会社も拡大の一途で給料も右肩上がりをずっと続けました。このような中1980年には米国に赴任しましたが米国経済はすでに失速に入っており強い日本の商品が米国を侵略しつつありました。
1985年から東京にもどり、欧州、アジア、大洋州を担当し各国を繰り返し往復しましたが、中国を除くアジア各国には日本人が過去に忘れてしまった
古き良き心が多分に残っており親近感をもって接することが出来ました。中国だけは文化大革命の痕がのこりなぜか殺伐とした印象のみが残っています。
私も数少ない広島出身の日産マンということで会社をつくりに故郷に戻れということで6年半広島にいました。
さすがに右肩上がりの業界ですので3年で単年度黒字、5年で累損一掃を果たすことが出来ましたのは幸運でした。
私が携帯をやっている間に日産はフランスのルノーの配下になり若干45歳のカルロス・ゴーンがきて2兆円の負債を抱えた日産の大革命を起こし始めました。
5工場閉鎖、部品メーカー数半減、28,000人のリストラ、等の改革のなかに利益の有無にかかわらずコアビジネスのみに集中するということになり、携帯事業は日本テレコムに売却されることになり、私も完全に自動車と縁を切ることになりました。ゴーンは2年後には過去最高の3,300億円の利益を生み出しご存知のように経営のプロに相応しい人です。
私の所属する通信業界はすごいスピードで発展とM&Aを繰り返しドッグイヤー業界といわれるほどスピードをもって変わりました。
私の属した会社もM&Aにより、デジタルツーカー→J-PHONE→Vodafone→日本テレコム→ソフトバンクと変遷しました。まさに米国の会社にいると錯覚しそうでした。
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自動車屋の私がなぜ通信業をやっているかは少しはお解かりいただけたかと思います。
(ユビキタス社会到来)
個の時代すなわちパーソナルな時代がすでに私たちの身の回りに浸透しています。すなわち、日本人が従来得意としてきた体制、組織、集団といった観念がITの発達により崩れ始めています。一昔前はアメリカ人が次のようなタイタニック号のジョークで日本人を揶揄していました。船内の救命ボートは乗客 の半数しかなく女、子供を乗せた後乗客は凍てつく海に飛び込んでもらうしかありません。その際の、男性乗客への効果的な説得文句です。
イギリス人:あなたはジェントルマンですね!米国人:あなたはヒーローになれます!
ドイツ人:これはルールです!
これで彼らは海に飛び込みます。
さらば我ら日本人は?
日本人:皆さんそうしていらっしゃいます!外国人はわれわれをこのように見ていたのです。しかし今の日本は2000年7月に森政権のときにIT戦略会議が発足し11月にはIT基本法(森総理はイット法と呼んだ?)が成立し政府主導で高度情報通信ネットワークを作ることが決定されました。
2001年にはe-Japan戦略も発表されて具体的な活動が展開され、ブロードバンドも電波、光ファイバー、ADSL,ケーブルTV等多様化かつ高性能化しました。
ついに2004年5月にはユビキタスのuをとったu-Japan構想が政府から発表されるまでにいたりました。
21世紀情報社会は間違いなくユビキタスネットワーク社会すなわち“いつでも”“どこでも” “だれとでも”“どんな情報でも”やりとりできる世界が実現します。
それはすでに一部の先進的な若者には常識になりつつあり、アナログ世界にすみみずからアナログ人間と自負するわたしも避けてとうれない道と思います。
ITがビジネスのやり方を変え、人の生活様式を変え、人の考え方までかえてしまう可能性があります。ユビキタス社会にどう溶け込むか皆さんと一緒に考えお知恵を頂戴いたしたいと思いますのでよろしくお願いします。
有り難うございました