2016-2017年度 12月期

第1228例会記録

2004年12月06日 (月曜日)
【場所】 リーガロイヤルホテル広島  【ロータリーソング】 われらの生業

本日のプログラム
ゲスト卓話 「能面あれこれ」
卓話者
チチヤス顧問(広島西RC会員)野村 鸞氏
担当
プログラム委員会
祝事等
・会員誕生日祝(6名)
・喜寿祝い(渡邊一夫君)
 古希祝い(津久江一郎君)
・配偶者誕生日祝い(4名)
会長時間
・ロータリー100周年記念社会奉仕委員会報告
 1.記念樹・除幕式開催1/22?
 2.記念碑に熊野 巧君の銘文が採用されました。
幹事報告
・BOX配布物ご案内
 会報9月号、ロータリーの友、ガバナー月信、
・ロータリーカレンダー及び台中西区RCからのお土産を配布しますので、お持ち帰り下さい。
理事役員会
・本日例会終了後12階ライラックにて定例理事役員会を開催します。
委員会報告等
・親睦活動委員会:創立記念例会・懇親会、台中西区RC歓迎会ご協力ありがとうございました。
・クリスマス家族会(12/20)の家族奮ってご参加下さい。
・出席委員会:出席報告

卓話時間

「能面 あれこれ」

チチヤス乳業顧問 野村 鸞

みなさん、こんにちは、野村鸞でございます。今日は能面の話しをさせて戴きます。能面の話と云えば能と切っても切れません、能の話となりますと、とても三十分では足りません。
そこで今日は、能、能面の見方、鑑賞のし方といった観点から、ごくかいつまんでお話し仕します。
その前に若干時間を戴き、私のことを説明させて頂きます。
私が最初に、能面を制作したのは昭和三十八年で、今年で四十年になります。
チチヤス乳業に勤めながら、南禅寺の奥如院に工房を構えておられました面打ちの名人、北澤如意先生の教を受け、数百面の能面を打ち続けて参りました。チチヤス乳業の副会長を退いて参年、今も広島西ロータリークラブの会員として、三十四年間無欠席で務めております。職業分類は今は能面師でございます。
能面を作る人を「面打ち師」と言ひ、「面は打つ」と言ひます、世阿弥の申楽談議に「面ノ事、翁ハ日光、彌勤、打チ手ナリ」とあります。
能は室町幕府の足利義満が、観阿弥、世阿弥に依って作り上げた芸能で、貴族階級の一要素を成していた技楽、舞楽に対峙して武家階級の文化の力を誇示することによって成りたったもので、当然の事ながら、能や能面の世界では武家階級の言葉を用いるようになり「刀を打つ」になぞって「面を打つ」といふように成ったのではないでしょうか。
演劇における仮面の使用は、遠くギリシャ時代にさかのぼり、中国を経て技楽、舞楽、となって日本に伝来したものです。
聖徳太子が秦と言ふ人に命じて三十三の神楽と、其れに用ひる神楽面を作らせました、およそ千四百年前の事です。
神楽面が出来てより七百年の間に、数限りない神楽面が生まれ、其の中から能として使用可能なものが、観阿弥によって能面と成り世阿弥が能面をつきぬけて心で舞う能を完成させたのです。
能わ、江戸時代を通じて「猿楽の能」と言われ、「能楽」といふ呼び方は明治以降の造語です。
芸術的変身の手段として、この様に仮面を発達させたものは世界に例がありません。
能面は、西洋演劇の様に扮装のための道具だけのものではわなく、能の総てを支配し、能の精神の核となって居ます。
人間の感情による顔の変化を、能面に依って一旦遮り、いわゆる肉体を否定することに依って、感情をより高い次元で美しく結晶させて観客に伝える。
「能面は演者の肉体を遮ると同時に、それわ外界からの働きかけから身を守り、演者を心理的孤立の中に綴じ込め、時間と空間にわたる演劇の手法を、身に付けることが出来る状態を可能にする」とあります。

「思い入れ」
能は「所作で舞わず心で舞え」と云ひます。
わずかな所作で、いかに深い心を表現するかが能の心です。
「秘すれば花、秘せざれば花なるべからず」、といふ世阿弥の言葉は、極度に抑制し、隠そうとすることによって、逆に高度に現すことであり、心の働きによって「余剰の美」を表わし、心で観る余裕を残すことです。
激しい能面、例えば、赤鶴の顰で「羅生門」を舞ったとします。
誰が舞っても赤鶴の顰の「羅生門」になって、それぞれ演者の「思い入れ」は、面の「動の位」に負けて観客にわ伝わりません。
能は一期一会でありますから、その瞬間の思い入れによって観客に感動が起らなければ、舞う意味が無いと考えられます。
「能の静止は、息づいている」と言われ、この息づきを受け止めなければ観客の感動は生れません。
人間国宝であられた梅若六郎先生が、かって「景清」を上演された時、後段、床几に腰掛けた盲目の景清が、我が娘にせがまれて昔の八島での武勇を語るところで、景清は扇子の僅かな動きと体を少しづつ、づらすだけの所作ですが、演者の思い入れによって、観客には、殺致する五百騎の騎馬武者が橋懸りから舞台一面に満ち溢れ、夕日にきらめく刀の光が迫って来るように感じられたと言われています。「思い入れ」が面を通りぬけて、観客に伝わっていった良い例であります。
いつか、NHKで、「思い入れ」と心拍数の事を放映されました。この時、梅若の若先生でしたが、「道成寺」の鐘入り前の舞い囃しの所で、囃しは激しく演奏されていましたが、若先生は立ったまま、身じろぎもせず、「思い入れ」に入られました、すると顔の表情は少しも変ることなく、瞬時にして汗が頬を流れ、直前まで七拾であった心拍数が百四拾に跳ね上ったのです。
その映像を見たとき、さすが能の家元に生れ、その環境の中で、絶え間ない習練によって、始めて出来る事と思いました。
先日、京都観世会館で「道成寺」を観ることがありました、「道成寺」の見所は鐘入り前後にあると言われて居ります。其の日二列目の席で、舞い手の足元の良く見える所で。
橋懸りに掛った白拍子が寺男とのやりとりの後、烏帽子を着け扇をとり静かに立って舞台の鐘を見上げる、すると太鼓のアシライのリズムが急に激しく変り、シテは鏡の前に行って乱拍子に入ります。ここからが鼓との掛けあいの舞です。
「いや~ハ」、小鼓が裂帛の気合いをかけ長い間をおいて「ハ」と共に鼓をうつ、シテは無言でその掛け声と共に爪先を四センチ上げて止めます、「ハ」と言ふ気合と共に鼓が「ぽん」と打たれ、爪先を下します。
「いよ~」次の掛声と共に今度は踵が上り「ホハ」「パカ」太鼓のつんざくような音、これを四度程くり返して、今度は掛声と共に膝をまげ身をしずめ「ぽん」と同時に伸します。
非常に動きの少ない舞、引き裂くような鼓の掛声、太鼓のするどい音、緊張したシテの舞が延々三十分あまり続きます。
先にのべたNHKの「思い入れ」のもっとも顯われる所です、乱拍子は急な石段を一足一足思いを込めて登って行く型とも、女の内面の心理の葛藤を顯わしたともいわれて居ます。
だんだんと思いが高まり、突如として急の舞に変じて、最後に烏帽子を扇で払い落し、鐘の下に飛び込み、鐘のふちに扇子で打ち、同時に地響たてて鐘は落下し白拍子は、鐘の中に入ります。
この鐘の重さわ、二拾貫あまりありまして、能の作り物の中でわ、非常に重たいものです。
 花鐘に出来庭(能の出来の善悪)を忘れて能を見よ、能を忘れて為手を見よ、為手を忘れて心を見よ、心を忘れて能を智れ、と言ふ言葉があります。観能に心すべき言葉です。

能面の時代変化
能面は、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、桃山時代、江戸時代、とそれぞれの時代の特徴を持って居ます。
鎌倉、南北朝時代は神楽面で、能以前の能に捕らわれない創作的力強い面で、幽玄さ、優雅さに欠けた面が多いと思われます。
室町時代は、仏教彫刻を観ましても、鋭く激しい表現の時代で、彫り込みが深く鋭く力強い面が多いようです。
桃山時代になると、絢爛豪華な仏教美術の流れをうけて、能面も華やかに花開いていきましたが、時代は戦国末期でもあり、又能は武家のみの芸能であった事も考えあわせますと「死」と対峙し、いつ死ぬか分らない自分の生ざまを、美しい思いで送れる様にとの思いを能面から受ける感性の中に求めたことと思います。そうした時代の流れの中、桃山時代の面は、室町時代の鋭い面の写しですが、幽玄的美意識がふくまれて居る様に思います。
二代将軍秀忠は世阿弥を良く理解し、能の心を大切にした人物です、観世流の若い女面「若女」を是閑に命じて作らせたり、所作舞いになって居た能を世阿弥の心で舞う能に帰れと大号令を出し、各家元に有る能面の「書き上げ」を命じた人です。
こうした江戸時代になると、能面師も、家元制度を確立し、能の幽玄味を体得し、自然とそれが面に顯れて、善竹が言った「優に優しく物深く、而も儚きすじ交わるべし」との思いが面に顯われて来た時代です。
江戸時代の能の家元、初代是閑と、四代洞白の顰の面を比べてみても、洞白の顰むは、是閑の写しですが、その面から受ける感性は、顰の中で一番柔和な幽玄味に富んだ、最も美しく、最も中間的感覚の中にあると思います。
室町時代の赤鶴の顰は「動の位」が強い為よほどの能の名手でなければこなし切れないと思われます、洞白の顰は、「無の位」の面と言われ、使いやすい面と言えます。
能面は、江戸時代迄のものを本面と言ひ、以後のものを写しと言ひます、写しと言ふのわ模写です、私の師であります北澤如意先生が、「私は能面の見方、作り方は教えるが、貴男の師匠は古い能面ですよ」といわれ、是閑を写す時は、是閑に成ったつもりで面を打ちなさい、とおっしゃって居ました。
ですから良い能面に出合える事が、良い師匠に合える事で、是閑の面を写す時は、是閑になり切って面を打つ事が、そうしていかに自分を無にして打つ事が面打ちの極意と言へるでしょう。
模写には復原模写と剥落模写とがあります。面の創成時の姿に遡って、後世自然に附いた古色や破損等の木純物を切り乗て模写する方法と、微細にわたって模す方法です。
後者は偽作的傾向が強く、あまりやると偽物となってしまいます、面打師としてわ邪道です、模写時代の作者には、邪道に堕った者が多く精巧に模倣された面が多くあります。

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