- 本日のプログラム
- クラブフォーラム ゲスト卓話
「障害者とともに」 - 卓話者
- 社会福祉法人もみじ福祉会理事 井上一成氏
- 担当
- 社会奉仕委員会
- 祝事等
- ・連続出席表彰(1名)
・結婚記念日(3名) - 会長時間
- ・地区ロータリー財団セミナー出席報告(4名参加)
〈年間一人100$目標と地区財団活動資金の利用について等〉
・小笠君が友人から貰われたRC100周年記念ネクタイを会長にプレゼント - 幹事報告
- ・BOX配布物:理事役員会議事録
・回覧物:台中西区RC会報
・次週例会のお知らせ
次週は休日のため例会はありません、次回は広島城南RCとの合同夜間例会です、お間違えのありませんようお願いします。 - 委員会報告等
- ・国際奉仕委員会:使用済み未使用テレカ及び書き損じハガキ古切手収集
・職業奉仕委員会:禁煙例会・四つのテスト唱和
・社会奉仕委員会:愛のコイン箱
・出席委員会:出席報告 - その他
- バイキング例会
卓話時間
障害者とともに
第一もみじ作業所 井上 一成氏
1.もみじ作業所の紹介
もみじ作業所は、「働きたい」「友達がほしい」という在宅障害者の願いをもとに、1980年に広島市内で最初にできた小規模作業所です。開所以降も年々入所者は増え続け、1985年には二つ目の小規模作業所「舟入もみじ作業所」を開所することとなりました。
しかし、小規模作業所は、国の認可を受けていないため運営が脆弱で、職員の身分保障も不十分であったため、なかま(入所者のこと)が、いい施設環境の中で仕事ができるように、職員がずっと働き続ける事ができるようにするためには、国の認可を受けた社会福祉法人施設を目指すしかないと、法人化の取り組みをスタートさせました。
法人化するためには、二つの大きな壁がありました。一つは、土地は自分で確保しなければならないということ、もう一つが建設費(数千万円)の確保です。特に土地確保については、1000?を超える土地を自前で確保する事は並大抵の事ではなく、広島市に無償貸与を求めたり、新聞広告も出したりしましたが、目途が立たず途方に暮れている時、「法人化の取り組みは、市民的コンセンサスを得る取り組みにしていかなくてはダメだ」というアドバイスを頂き、市に対して署名活動を行いました。この署名の力と資金づくりの取り組みを通じて、多くの市民の方にご支援を頂く事ができたお陰で、広島市からの土地の無償貸与を得ることができ、1993年に知的障害者通所授産施設(40名)と身体障害者通所授産施設(20名)の合築施設を開所することができました。
法人化をめざす時に、「法人化はゴールではなく、スタートなんだ」を合言葉に進めてまいりましたので、法人化後、次の施設作りについて保護者にアンケートをとりました。「次はグループホームや入所施設を作っていきたいと思いますが、作ったら入所されますか」という問いに対してほとんどの保護者が、「今は入所させようと思わない」という答えでした。「どうしてですか」という問いに対して、「今は元気だから、元気なうちは自分がみない」「この子を産んだ責任がある」というのが保護者の大半の答えでした。その答えに切ない思いを持ちました。保護者の心情をとして「この子が私より1日早く死んでくれたら、私は幸せだと思う。この子を残して死ねない」と言われます。
2.障害の概念について
みなさんは障害をどのように理解され、どのようにとらえていらっしゃいますか。
国連では、1975年12月9日、国際障害者の権利宣言で障害者の定義を「障害者と
いう言葉は、先天的や否に関わらず身体的又、精神能力の低下のために通常の個人生活ならびに社会生活に必要なことを自分自身では完全に又部分的にできない人のこと意味する」とうたっています。しかし、私たちだってすべての事が自分でできるわけではありません。誰かに支えられ、援助されて出来ることのほうが多いと思います。
世界保健機構(WHO)では、2001年に「生活機能と障害の国際分類」で障害の概念を機能障害(心身機能または身体構造上の問題)、活動制限(活動の遂行において個人が持つ困難なこと)、参加制約(生活状況への関与の仕方または程度において、個人が持つ問題)以上の三つの関係で障害を捉えるべきである。といっています。参加や活動が制限されることが障害をさらに重くし、新たな障害を生み出すこともある。参加や活動を保障することが人間らしい生活を保障することにつながると思います。
3.まとめ
以上のことから「障害者は特別な人ではない。特別な手だてがいる一市民」である。特別な手だてが、人の優しさであったり、暮らしやすい環境であったりすると思います。また、滋賀県の近江学園という知的障害者の施設の創設者である糸賀一雄氏がいつも言われていた言葉に「この子らに世の光りを」ではなく、「この子らを世の光りに」。私たち福祉関係者の座右の銘としている言葉です。知的障害のある人に哀れみや恩恵的な援助するのではなく、知的障害のある人たちが安心して暮らせる地域や社会こそすべての人が安心して暮らせる社会であり、そういう社会を目指すべきであると言われています。
これを最後の結びの言葉として私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。