- 本日のプログラム
- 新会員卓話
「自己紹介」 - 卓話者
- 柳田実郎君
- 担当
- プログラム
- ゲスト
- 来賓
グループ7ガバナー補佐 神辺眞之様 - 祝事等
- ・会員誕生日(3名)
・配偶者誕生日(8名) - 会長時間
- ◎国際ロータリー第2710地区グループ7ガバナー補佐神辺様にお越しいただいています。
◎新会員「松井君」の紹介 - 幹事報告
- ◎BOX配布物の確認
①雑誌類=ロータリーの友誌・ガバナーズレター
②「エコ・ドリーム運動」11月取組表
◎回覧
①クリスマス家族会出欠表(確認)
②インターシティミ-ティング出欠表(次週15日締切)
◎次週例会について
年次総会を開催しますので出席をよろしくお願いします。 - 理事役員会
- ◎例会終了後12F「フリージア」にて第6回理事役員会開催
- 委員会報告等
- ◎出 席 : 出席報告
◎広 報 : ロータリーの友紹介
◎人間尊重、社会奉仕 : 「エコ・ドリーム運動」
10月分取組結果報告及び11月取組表作成
◎親 睦 : クリスマスプレゼントの受付について
◎R財団 : ポール・ハリスフェローについて
卓話時間
新会員卓話「自己紹介」
柳田実郎君
「自己紹介」 柳田実郎
平成26年6月に、村上恒二先生と土肥博雄先生のご推薦により、広島中央ロータリークラブに入会させていただきました柳田です。平成26年4月より、地方独立行政法人広島市立病院機構・広島市立舟入市民病院の病院長に就任しております。
私は、安芸郡海田町の生まれで、5歳時より安芸郡坂町に住んでおりました。その後、大学や勤務地などの関係で、山口市、宇部市、広島市、竹原市、シアトル市、広島市と転居し、12年前より再度坂町に定住しております。
私(61歳)の家族は、58歳の家内、33歳の娘、31歳の息子です。娘は夫(一人っ子)とその両親とともに、東京都国立市の二世帯住宅に同居しております。息子も嫁(次女)とその両親とともに、北九州市の二世帯住宅に同居しており、4歳になる孫娘と1月に生まれる予定の孫息子がおります。
結果的に、坂町の自宅には私ども老夫婦のみということになりますが、娘夫婦、息子の嫁と孫娘、家内の従姉妹やその娘夫婦と子供達、私の知人やその娘たち夫婦と子供達など、年に何度も泊まりに来ており、また隣家の娘たちに至っては、生まれてまもなく(生まれる前)から我が家に出入りして、家族同然で孫以上の存在になっており、それなりに賑やかな生活を送っております。
私は、坂町立坂小学校、広島大学教育学部附属中学校、同高等学校を卒業し、一浪の後山口大学医学部に進学しました。当時18歳だった家内と知り合ったのも、いわゆる「合コン」であり、よくもこんなに長く続いたものだと不思議に思っている次第です。
山口大学を卒業後は、ただちに広島大学医学部に戻ってきて、大学病院での2年間の内科研修の後に第二内科に入局し、竹原市にある国家公務員共済組合連合会忠海病院に勤務しました。学位(医学博士)を済ませてまもなく、米国シアトル市の研究所に留学し、家族4人ののんびりした生活を2年8ヶ月送りました。
帰国後は、第二内科に半年在籍した後に、西日本旅客鉄道株式会社広島鉄道病院の勤務となり、呼吸器内科医として20年余り勤務しました。平成10年(56歳時)に第二内科の人事で、広島市医師会運営・安芸市民病院に副院長として転勤となり、平成13年(59歳時)にはやはり第二内科の人事で、広島市立舟入病院に副院長として再度転勤となりました。
平成26年4月、広島市の4病院(広島市民病院、安佐市民病院、舟入病院、総合リハビリテーションセンター)は、グループとして独立行政法人化し、病院名も「地方独立行政法人広島市立病院機構・広島市立舟入市民病院」と冗長になり、同時に私が病院長に就任いたしました。
舟入市民病院の前身は、明治12年に江波村に開設された伝染病の隔離病舎にさかのぼります。明治28年には増床に伴い、現在地の舟入幸町に広島市西伝染病院として移転し、明治31年には広島市伝染病院に、明治39年には広島市舟入病院に改称されました。
原爆で焼失しましたが、翌年(昭和21年)には広島市舟入病院として再建されました。昭和23年には、同じ敷地内に広島市立中央診療所を併設して一般診療を開始し、昭和41年には、広島市舟入被爆者健康管理所を併設し、昭和46年にはこれら3施設を統合した形で、感染症と被爆者医療を中心とした一般診療を行う広島市舟入病院となりました。
それ以後は、内科と小児科の一次救急に力を入れていくことになり、昭和47年からの年始3が日の小児救急、昭和50年からの内科・小児科の休日夜間救急、昭和52年からの内科・小児科の毎日夜間救急と幅を広げていき、昭和60年からは内科・小児科の年末年始救急に眼科と耳鼻科が加わり、現在に至っております。
平成9年には現在の病院本館(地上7階地下1階)が完成し、それまでの内科・外科・小児科に、麻酔科、小児外科、小児心療科が加わり、診療が充実しておりました。平成18年には日本医療機能評価機構による病院機能評価の認定を取得しましたが、内科医の減員により交替勤務が組めなくなり、内科の一次救急が広島市民病院に移管され、内科・外科は一般診療のみ行うこととなっております。
このように、広島市行政の政策医療を担ってきた病院であり、現在は小児の一次救急と感染症が中心となっております。感染症につきましては、本館7階に陰圧室50床と専用エレベータを持つ2種感染症病院であり、新型インフルエンザをはじめとする2類感染症や指定感染症(エボラ出血熱は1類のため広大病院が担当)の入院施設に指定されています。しかしながらこの病棟の入院患者は、17年間で1人のみ(平成21年の新型インフルエンザ)であり、感染症病床を16床に減床して、フロアの半分を有効利用する予定にしております。
平成27年は、病院が現在地に移転して120年になるため、記念誌の発行や記念の行事を予定しておりますが、電子カルテ化や人間ドックの開始なども重なり、さらに忙しい年になりそうです。
ところで私は、医師会との関わりも深く、平成10年から2年間、広島市医師会の理事を、平成14年から12年間、広島県医師会の常任理事を務めさせていただき、今回退任させていただきました。この間、被爆関連の事業を担当していた関係で、海外に出向くことが多く、30カ国近い国を訪問しました。
この間の出来事で印象に残っているのは、平成11年のコソボ紛争時、NATOの空爆を受けたユーゴスラヴィア(現セルビア)のベオグラードを空爆直後に訪問し、外務省からの支援金で医療支援を行ったこと、被爆者の調査目的に、平成20年に北朝鮮を2度訪問したこと、平成24年に広島で開催された第20回IPPNW(核戦争国際医師会議)世界大会を、実行委員長として取り仕切ったことなどです。
以上、冗長な文章にお付き合いいただき有難うございます。新メンバーとして、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。