- 本日のプログラム
- ゲスト卓話
「いのちを体感する子どもたち」 - 卓話者
- 学校法人鶴学園 広島なぎさ中学校・高等学校教諭
野中春樹 氏 - 担当
- プログラム委員会
- 会長時間
- ・入会式(後藤逸文)
*会長より四つのテスト・バッチ・会員証・ニコニコチケット
*花束贈呈
*推薦者紹介と新会員の挨拶 - 幹事報告
- ・BOX配布物の確認
(1)理事役員会議事録・6月プログラム
(2)会報4月号
(3)6月最終夜間例会案内 [回答締切6/8(月)] - 理事役員会
- ・本日18:00~4F「ロイヤルホール」にて在広RC新旧引継会長幹事会開催、尚、ホストクラブの為準備を行いますので、新旧正副幹事は16:30に集合して下さい。
- 委員会報告等
- ・出 席 : 出席報告
・国際奉仕 : 使用未使用古切手類収集
・R財団委員会 : 愛のコイン箱(ポリオ寄付指定)
卓話時間
いのちを体感する子どもたち
学校法人鶴学園 広島なぎさ中学校・高等学校教諭
野中春樹 氏
広島なぎさ高校では1998年より、研修旅行として「サラワク・スタディーツアー」行っています。毎年約20名の高校2年生(男女)が参加しています。主な活動はマレーシア・サラワク州(ボルネオ島)の先住民族イバンの人びとを訪ね、彼らが共同生活をするロングハウス(全長約110メートルの高床式住居)にホームステイすることです。
ロングハウスでは畑や森で採れる野菜や果物はもちろん、豚、鶏、スッポン、カエル、魚、貝、エビなどさまざまな種類の動物を食べています。生徒たちはその中でも特に、豚や鶏を自分たちの手で殺して食べる体験に大きな衝撃を受けます。最初はイバンの人たちが動物を殺す行為を「残酷」に感じます。しかし、自分たちがそれまでずっと動物の肉を食べてきたこと、そして誰かが自分たちのために動物を殺してくれていたことに気づきます。頭の中では動物を殺すことは生きるために必要だと分かるのですが、「残酷」「かわいそう」という気持ちをどう整理したらよいのか分からなくなります。一瞬パニック状態に陥ります。
ところが、生徒たちはこの体験を通して「いのち」を発見します。自分たちがたくさんの「いのち」によって生かされていることに気づくのです。豚が殺される光景を前にして泣き出したり、数日間豚肉などが食べられないほどショックを受ける生徒もいます。しかし、このような生徒たちもロングハウス滞在中、時間をかけてゆっくりと、「いのち」の意味を発見します。自分たちが動植物の「いのち」をいただいて生きていることを発見し、感謝の気持ちが心の底から湧き起こってきます。そして、生徒の中でいろいろな「いのち」がつながっていきます。動植物の「いのち」を感じないまま食事をしていることが、生きることに感謝したり喜びを感じるのを困難にし、ひいては自分やほかの人の「いのち」の軽視につながっていることにも気づきます。
生徒たちは「生きる」ことを学んでいます。「食料を獲る」「道具を作る」「移動する」、1つ1つの営みが実感できるようになります。「家族」や「自然」の価値についても実感します。イバンの人たちが日常的に行っていること一つ一つが生徒にとって新鮮な体験です。日本の学校では多くの知識を学びますが、生きるために必要な営みについて学ぶ機会が少ないです。だから、自分たちの力で生きているという実感や、生きる自信がもてません。そんな生徒たちはイバンの人たちを見て、「生きている」と感じます。そして、自分たちも「もっと生きたい」と願うようになるのです。
ロングハウスの生活を体験した高校生の声を紹介します。
●日本では肉や魚は衛生的にパックされ、スーパーに並ぶ。そこには命のかけらも感じられない。ロングハウスでは、人びとは他の生き物とつながりを持ち、本当の命、命がなくなる瞬間と常に向き合って生活している。そして、どんな命も決して無駄にしない。その日、その豚も脳味噌から歯茎まで余す所なく食べられた。一つの命がみんなの命に変わった。彼らの方が命の大切さを知っていた。しかし、私を含めた日本人は命の大切さを知らない。でも、私が聞いた激しい悲鳴は耳にしないだけで、本当は毎日機械的に行われている。それから目をそむけないこと、それが食べる者の責任だということを教えられた。私は命を食べている。私の命はたくさんの命によって生かされているのだから、私が一生懸命生きることが命への恩返しだと教えてもらった。命を大切にしたい。
●ロングハウスで生活してみて、人間がやるべきことって本当にたくさんあったんだなと思いました。イバンの人たちからは生きているという強いものを感じたけれど、私には何か欠けているなと思いました。私も、もっと精一杯生きたい。
●このツアーを通して、新しいことに挑戦する姿勢を学び、「命」の尊さ、今自分が生かされているということを実感した。ロングハウスの人がそうであったように、私も寛大な心が持てるようになりたいと思った。自分の中でこれが変わったと胸を張って言えることは、まだよく見つけられていないけれど、日本に帰ってきてから毎日が楽しくなった。何かしたいと思うようになった。「生きる」ことに対して積極的になった。