- 本日のプログラム
- ゲスト卓話
「司法の今昔」 - 卓話者
- 広島高等検察庁検事長
広島高等検察庁検事長 鈴木芳夫 様 - 担当
- プログラム
- ゲスト
- 広島市立大学国際学部教授 井上泰浩様
入会予定ゲスト;徳光国広(トクミツ クニヒロ)様
高石稔名誉会員 - 黙祷
- 元会員(元会長)児玉謙三氏が7/16ご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
- 会長時間
- ・広島市立大学が毎年夏に全世界の学生に向けて開講している平和学習講座「HIROSHIMA and PEAKE」に対して支援を行うもので、広島市立大学国際国際学部教授井上泰治先生に支援金目録贈呈
・緒方俊平前会長に対し3回めの丸内ポールハリスフェローの表彰
・サンタローザからの学生15名。リーダー1名計16名の広島での平和学習ボランティア参加のお礼とその報告、並びにサンタローザのロータリークラブ会長からのメッセージ紹介。 - 幹事報告
- ・BOX配布物↓
(1)地区小史(岩森前ガバナー寄贈による)
・家族会について
帰りのみバスを準備しておりますのでご利用下さい。
・次週の例会は変更して今週土曜日の家族会となりますので30日(月)はありま
せん。欠席の方は早めにメークアップされますようお願い致します。 - 委員会報告等
- ・出席リーダー : 出席報告
・ロータリー財団委員会 : 愛のコイン箱
・奉仕プロジェクト委員会 : 使用未使用古切手類収集
・親睦リーダー : 家族会への交通注意事項
卓話時間
司法の今昔
広島高等検察検事長 鈴木芳夫様
本日の卓話はプログラムR永田富惠君の紹介で広島高等検察検事長 鈴木芳夫氏からお話しを聞くことが出来た。会員の興味のある裁判員制度についても興味深い内容だった。
○ 国の三権(立法権,行政権,司法権)のうち,司法権を行使する機関としての「裁判所」が誕生したのは明治23年(1890年)。それまでは,三権の分立はなく,例えば江戸町奉行は,東京都知事,東京地方裁判所所長,東京地方検察庁検事正,警視総監,消防庁長官を兼ねていた。
○ 現在の「検察庁」が誕生したのは昭和22年(1947年)。それまでは裁判所の中に検事局が置かれていた。例えば広島控訴院検事局(広島高等検察庁の前身)とか広島地方裁判所検事局(広島地方検察庁の前身)と呼ばれ,法廷では検察官が裁判官と並んで上壇に座っていた。裁判官と検察官の任官資格や俸給は明治23年から現在まで基本的に同一。
○「弁護士」の名称は明治26年(1893年)からで,それまでは「代言人」。戦前の弁護士は,試験制度や修習制度が裁判官・検察官とは別で,裁判官・検察官よりも格下に見られ,司法省(法務省の前身)の監督下に置かれていた。昭和24年(1949年)に日本弁護士連合会が結成されて国の監督下を離れ,同年施行の司法試験制度の下,弁護士も裁判官・検察官と同一の試験と修習(司法修習生)を経ている。
○ 明治23年(1890年)の総人口は3990万人。これに対して法曹人口は,裁判官1531人,検察官481人,弁護士1315人の合計3327人で,法曹一人当たりの国民数は約1万2000人。裁判官一人当たりでは約2万6000人,検察官一人当たりでは約8万3000人,弁護士一人当たりでは約3万人。
平成18年(2006年)の総人口は1億2777万人。これに対して法曹人口は,裁判官2575人,検察官1591人,弁護士2万2021人の合計2万6187人で,法曹一人当たりの国民数は4880人。裁判官一人当たりでは約5万人,検察官一人当たりでは約8万人,弁護士一人当たりでは約5800人。
○ 戦前,裁判官や検察官に任官できるのは「日本臣民成人男子」に限られていた。弁護士も同様であったが,昭和8年(1933年)に弁護士法が改正され,昭和15年(1940年)に3名の女性弁護士が誕生した。初めて女性が裁判官と検察官に任官したのは昭和24年(1949年)のことで,裁判官が2名,検察官が1名。平成18年(2006年)現在,女性裁判官は474名,女性検察官は253名,女性弁護士は2859名を数える。
○ 戦前の昭和3年(1928年)から昭和18年(1943年)までの15年間,殺人,放火,強盗傷人など重罪の刑事裁判で陪審制度(12人の陪審員のみで有罪か無罪かを決める)が行われていた。全国で合計484件が陪審の評議に付され,うち80件が無罪。因みに広島では10件中1件が無罪,仙台では16件中9件が無罪。平成21年(2009年)5月までに裁判員制度(6人の裁判員が裁判官と協同して,有罪か無罪かを決め,有罪の場合は量刑を決める)が実施される予定。