- 本日のプログラム
- 会員卓話「ライフライン・電気」
- 卓話者
- 森本幸雄君
- 担当
- プログラム委員会
- 祝事等
- ・連続出席表彰(1名)三嶋君
・結婚記念日(4名) - 会長時間
- 田中一誠君入会式
推薦者:土肥博雄君、田原榮一君
本日入会頂きました田中一誠さんをご紹介頂きましたのは、医師の会員の方々です。当クラブはあらゆる専門医の方々が会員としておられます。一寸した健康上のことを相談すると、各専門の先生方から答えが返ってきます。そんなクラブなのだとPR頂き新会員の増強にご協力ください。 - 幹事報告
- ・BOX配布物の確認
(1) 理事役員会議事録・2月プログラム
(2) 前年度地区活動報告書
・次週月曜日はクラブアッセンブリーを開催しますので、関係各位は事業計画書(冊子)をご持参下さい。
- 理事役員会
- ・本日18:00より「半べえ」にて被選理事役員会を開催、次年度理事役員はよろしくお願いします。
- 委員会報告等
- ・出席委員会 : 出席報告 (健康一口メモ:迫田勝明君)
・職業奉仕委員会:禁煙例会・四つのテスト唱和
卓話時間
『ライフライン・・電気』
森本幸雄君(中国電力株式会社 支配人広島支社長)
森本でございます。このような形で皆様の前でお話をさせていただくのは、新入会員卓話以来でございまして、ほぼ1年ぶりでございます。クリスマス会のサンタクロース姿は、われながら堂に入ったものでございましてサンタの格好をすれば西日本一と自負をいたしておりますが、本日はちょっと勝手が違いまして、いささか緊張をしております。
さて、本日は「ライフライン・・・電気」と題してお話をさせていただきますが、まずは「電気って一体なに?」というところからご説明をいたします。
この中に「電気」そのものを見られた方がいらっしゃいますでしょうか。いらっしゃらないと思います。私も電気そのものをみたことはございません。
コンセントに差したコードのビニールを剥ぎまして、中の電線を見ましても電気が通っているかどうか分かりません。それじゃあっていうことで、こんどは触ってみますと「ビビビっ」ときます。「中電」の電気でもお隣の関西電力のように「関電」ということに相成りますので、それだけは止めたほうがよろしいかと思います。電球や蛍光灯の灯りは見えますけれども、それは電気そのものではございません。電気というものは見えませんが存在は確かに確認できるのであります。
誰しも電気や電子、そのものは見たことはないのでありまして、理科系のある学生さんに電気の印象を語ってもらいましても、おおよそつぎのようなものでございました。
まず、一番。ビリビリしておっかない。
二番目。全く見えなくて気持ち悪い。
三番目。音もなく家庭に入り込み,突然大きな仕事をする。
四番目。雷みたいにとんでもないことをする。
五番目。これは傑作なのですが、電気を操る人は、いつもチンプンカンプンなことを言う。
六番目。電子レンジとホットカーペット、洗濯乾燥機、ドライヤーを同時に使うと、ブレーカーが飛ぶ。
しだいに生活感がでてきましたが七番目。昔モーターに電気が入ると一瞬、家庭の電灯テレビが暗くなった。
八番目。インバータは電気を食わないらしいが価格が高い。
九番目。夜中の電気は安いらしい。
そして十番目。電気はとても早く移動するらしい。一説によると、光の速さで移動するらしい。確かに電気は光と同じスピードで、秒速30万KM。地球を7周半まわるスピードであります。しかし、これを自分自身で確かめたわけではありません。
私も中国電力に勤めて30年以上が経ちますが「電気」というものに対しましては、いまだにこの学生さんと同じような印象しか持ち合わせていないのであります。特に「電気を操る人は、いつもチンプンカンプンなことを言う。」というのは全く同感でありますし「ビリビリしておっかない」というのも実感であります。「ビリビリしておっかない」からこそ安全に取り扱わなくてはいけないのであります。
とまあ、ここまでお話いたしますと「森本は電気のことは何も知らんのじゃないか、ひょっとして会社を間違えて言っとるんじゃないか。」とお疑いの向きもあろうかと存じますが、ここでひとつだけ申し上げますと‥
電気の根本である「電子」については、どんな科学的な研究を行っても、その全容は未だに分かっていない、ということであります。電子の重さは分かっている。電子の量も分かっている。しかし電子の大きさは分かっていないのであります。電子は驚くほど小さくて、どんな顕微鏡を使ったとしても見ることができないのであります。
では、その見えないが存在する得体の知れないエネルギーをどうして「電気」というのでしょうか。広辞苑をひいてみますと、まず「電気」の「電」は、いなずま、いなびかり、と書かれてあります。
そして「電気」の「気」は‥
1. 天地間を満たし宇宙を構成する基本と考えられるもの。たとえば「気象」とか「天気」とか。
2. 生命の原動力となる勢い。活力の源。たとえば「気勢」とか「元気」。
3. 心の動き,状態,働きを包括的に表わす語。たとえば「気を静める」とか「気が短い」。
4. はっきりとは見えなくても,その場を包み、その場に漂うと感ぜられ
るもの。たとえば「空気」とか「霊気」とか。
と書かれてあります。
どうやら本質は「いなずま」「いなびかり」なのであるが何かどこから出てくるかわからない「天の気持ち」のようなものでもあり、かつ「活力の源」すなわち「エネルギー」そして「目に見えずに、その場に漂っていると感じられるもの」である。・・・ということで、「電」と「気」という単語を結びつけたのではないかと推測されるのであります。
私たちは普段「電気」「電気」と何気なく口にしておりますが、よくその語源をたどってみれば、なんとも「絶妙な」そして「言いえて妙な」言葉を作ったものだと感心をするわけでございます。
一方、科学の本によりますと、電気は「吸引力や反発力の原因となる物質の性質」と書かれています。紀元前600年頃の話ですが、古代ギリシャの哲学者タレスという人が、摩擦した琥珀に物が吸い寄せられる現象を発見したのが、電気でございまして英語の「エレクトリシティ」という言葉も琥珀を表わすギリシャ語「エレクトロン」に由来する、といわれています。
ところが電気の存在が明らかとなってから2500年近くもたって、ようやく人類は電気を作り出すことに成功するのです。
1800年にイタリア出身のボルタという人が亜鉛版と銅版を重ねた電気化学反応の電池を発明します。いまの電池の原型です。これで連続的な電気の流れ、すなわち電流が取り出せるようになったのです。
ナポレオンの前で電池実験を披露したボルタは電池を発明した功績をたたえられ、メダルと賞金、そして伯爵の地位を与えられたといいます。現在電圧の単位として使われている「ボルト」は、このボルタの名前に因んだものです。
1831年には、イギリスの物理学者ファラデーさんが磁界のなかでコイルを動かすとコイルに電流が流れること,すなわち「電磁誘導の法則」を発見しました。この電磁誘導現象を利用して1866年、1866年というと慶応2年で明治維新の少し前ですが、この年にドイツの電気技術者シーメンスさんが発電機を発明しました。この電磁誘導による発電方式が現在の水力、火力、原子力の発電機として活用されているのです。
ちなみにシーメンスさんは大変な実業家でありドイツ・シーメンス社は、この発電機の発明に始まり、原子力プラントや大型コンピュータなどから血管造影撮影装置まで開発に取り組んで今では電機・電子機器および医療機器の総合メーカーとなっています。
現在では電気というとボルタのように電気化学反応を使って電池で起こす電気と、ファラデーが発見した電磁誘導現象を使って発電機で起こす電気と、そして太陽電池のように光電(こうでん)効果すなわち光と電気の効果を利用して起こす電気の3種類があるのであります。
さて,英語で,「電気」は,「エレクトリシティ」といいますが,では,「絶妙の」ネーミングである「電気」という言葉は,いつごろ,誰が命名した言葉なのでしょうか。
凧を揚げて,雷が電気であることを証明したのは,アメリカのベンジャミン・フランクリンですが,その彼と同じ18世紀,江戸時代に生きた平賀源内は,静電気をエレキテルとしか言いませんでした。
また,江戸時代,平賀源内の後,文化8年,1811年のことですが,蘭学者の橋本曇斎という人が,電気の製造方法や,原理,仕組みを記した「オランダエレキテル究理原」という本を書いており,わが国電気学の開祖といわれているのですが,その中で彼は,「エレキテルの気」のことを,先ほどのギリシア語でエレクトロンという「琥珀」の「珀」から思いつき,気魄の「魄」に力と書いた「魄力(はくりょく)」と呼んでいます。
電気新聞という電力業界紙があります。ここに時々お隣中国の電力関係記事を寄稿されている北京在住の_穎(シン・エイ)さんという方によりますと,漢字の本家の中国では,「電力」とはいうが,「電気」という言葉は使わないそうであります。「電気」という概念は,「電」一字で表わすそうです。
ここでちょっと,漢字に関して興味深いお話をさせていただきます。
明治時代,日本には欧米諸国から様々な言葉や概念が入ってきました。本来日本語にはなかったものですので,それらの言葉や概念に,もともとの日本語や中国の書物から選んだ言葉をあてはめ,新たな「和製漢語」というものを作り出したのです。
そして,その「和製漢語」は,漢字の本場である中国に逆輸入され,漢語の中に取り入れられて中国でも使われているのです。
たとえば「経済」という言葉も,英語の「Economy」という言葉に「経済」という言葉を当てはめたのであります。「経済」という言葉は,もともと中国では「経世済民」すなわち「世を治め,民を救う」という意味で使われてきたのを,日本が「Economy」の意味に用い,それが中国に逆輸入されて,今では中国も,「経済」を「Economy」の意味で使っています。
「情報」という言葉も,もともと軍事用語でフランス語だったものを,明治時代に「情報」と訳し,一般用語として使われるようになったものです。この「情報」という言葉は,逆輸入されて中国でも使われており,中国の人も日本から来た中国語として認めているのです。
その他,日本で造られ,中国でも使われているたくさんの「和製漢語」があります。
「主義」とか「社会」という言葉は,ジャーナリストで後の東京日日新聞社長,福地源一郎の造った言葉ですし,「自由」とか「演説」とか「鉄道」という言葉は,福澤諭吉の造った言葉であります。坪内逍遥は,「文化」,「運命」といった言葉を造り,西周(にしあまね)は,「哲学」,「文学」,「科学」,「権利」,「義務」といった言葉に翻訳しています。
「近代化」といった「なになに化」の語尾の「化」も,日本人が使い出したものでありまして,先ほどの「情報」とか「社会」に「化」をつけた「情報化社会」という言葉は,完璧な「和製漢語」といえるものであります。「社会主義」とか「共産党」あるいは「幹部」といった言葉も,日本で造られた「和製漢語」でありまして,現在ではしっかりと中国において使われております。これら「和製漢語」は,いずれも明治の先人達の叡智の賜物なのであります。
この中国へ逆輸入された「和製漢語」の中で,電気関係の言葉としては,さきほど_穎(シン・エイ)さんの言った「電力」の他に,「電流」,「電業」,「電車」,「電信」といった言葉があります。
しかしながら,これら言葉のもととなっている「電気」という言葉は,「和製漢語」ではないようであります。中国のどの外来語辞典にも,「電気」という言葉は,でてまいりません。
「電気」という言葉は,日本では使われているのに,中国では使われていない。日本から来た言葉でもない。とすると,もともと,純粋な日本語なのかと思ってしまいます。しかし,平賀源内は,「エレキテル」としか言ってなかった,その後の橋本曇斎も「魄力(はくりょく)」と言っていた。ということは,昔からあった日本語でもない。
思い余って,本屋へ行き,漢和辞典を片っ端から引いてみました。すると,2つの辞書に「電気」の由来が書かれてありました。
1つは,小学館の「だいじせん大辞泉」という辞書であります。「はじめオランダ語からのエレキテルとエレキが用いられたが,中国からの英語を翻訳した「電気」が輸入され,明治中期には一般化した。」と書かれております。
2つめは,三省堂の「漢和辞典」に,次のように書かれてあります。
「英語electricityの訳語。中国近世洋学書「新物新編」にあり,川本幸民「気海観瀾広義」(1851~58)に「越歴エレキ」の注釈として訳すとある。」
どうやら,「電気」は,日本人が造った言葉ではなく,中国から伝わった言葉ということがわかりました。
そして,その後,決定的な情報がもたらされました。
実は,先ほどの北京の_穎(シン・エイ)さんともう一人,台湾の王世和(オウ・セイワ)さんという大学の教授に「電気」の漢字の由来を尋ねていたのですが,台湾の王さんから次のようなメールが入ってきたのであります。
「1823年清朝時代の中国で,マリーシュという人を中心としたキリスト教の宣教師の一団が,英語のうち近代的なモノ,概念を中国語に翻訳し,欧米語-中国語辞典として出版した。その中で「electricity」は,「電気」と訳されている。それが日本にもたらされた。」というものです。
ちなみに,1823年といいますと,日本では文政6年,シーボルトが長崎に着いた年でございます。
彼は,中国語圏のインターネットで調べたとのことでありますが,なるほど,これであります。遂に「電気」の由来が明らかとなったのであります。
これらの情報をもとに,あらためて調べてみますと,江戸の後期,医者で蘭学者,そして化学者でもある川本幸民という人が,1851~58年にかけて出した「気海観瀾広義(きかいかんらんこうぎ)」という物理,化学の本の中に,「電気」という言葉が初めてでてきております。先ほどの宣教師の一団が英語漢訳辞書を出したのが,1823年のことですから,その後ということで,時期的に符合いたします。
また,明治に入って初期,明治4,年,7年のことでございますが,「電気」という言葉をタイトルに使った「電気論」,「百科全書電気篇」という専門書も出されておりました。
このように,「電気」という言葉は,1820年代,中国で「electricity」の中国語訳として造られた言葉でありますが,その後日本にもたらされ,江戸時代後期から明治の初期にかけて,医者や学者の間で専門用語として使われていたということが分かります。
明治の初め,文明開化の初期の頃には,「電気」という言葉はいまだ一般的には使われておりません。「電気」という言葉が,日本で一般的に使われるのは,1880年代になってから,明治12,3年頃からのようであります。
明治の人たちにとって,「電気」は,依然として目には見えないもの,であり,目にみえ,確認できる存在でないと理解することはできなかったのだと思われます。
明治11年,西暦に直しますと1878年,東京虎ノ門の工部大学校におきまして,そこの教官をしておりましたイギリス人のエルトンと言う人が,日本で初めてアークライトに灯を灯しました。その後,「電気による灯り」ということで「電気燈」という言葉が造られ,先に普及をしていた「瓦斯燈」,この漢字の「瓦斯」も英語のガスを音訳した「和製漢語」なのですが,その「瓦斯燈」に対して「電気燈」というもので,「電気」という言葉が広まっていったのではないかと推測できるのであります。
日本人にとりまして「電気」というとまず「電燈」をイメージし,「あかり」を思い起こします。「電気をつける」などという表現は,日本人特有のものであると,前回お話しましたが,このように「電気」は「あかり」を出発点として,動力,そして熱エネルギー源と,変幻自在の役割を演じ,まさに「気」というものを感じさせる魔法の存在となっていったのであります。
さて,いよいよ本日の本題でございます「ライフラインとしての電気」についてお話をさせていただきます。
ライフラインといいますと,まさに命綱,生命線ということでございまして,「現代用語の基礎知識」を引いてみましたら,「都市の社会基盤として,電気やガス,上下水道,通信など市民生活の根幹をなす施設」というふうに書かれておりました。
まさに無くてはならないもの,それがなければ生命の維持すら危うくなるもの,でございまして,それがなければとても安全で快適な生活が送れない,というものであります。
現代社会そして家庭での動力,熱,そして光というものが,電気というエネルギーによってもたらされているということは,電気が,社会にとってのライフラインとして存在していると言っても過言ではないと思っております。
しかしながら,電気は,逆に非常に身近で,空気のような存在ともなっております。
理由のひとつには,停電が少なくなってきているということがあるのでございまして,事故による停電時間,雷とか台風によって停電した時間というのは,中国電力では,一軒あたり,昭和45年に年間55分であったものが,平成
17年度には5分に減少いたしております。
この一年間の一軒当たりの停電時間,5分という数値は,アメリカやイギリスあるいはフランスあたりと比べると,極めて短い時間でございます。アメリカやイギリスが70分,フランスが45分ということを考えあわせますと,電気の品質という面では,日本は世界のトップ水準にあるのであります。
ところが,たまに停電となりまして,中国電力に電話をされますと,「カラスが電線に引っかかって,停電しております。」といった返答が返ってまいります。「このIT時代に,何だ。そんなことあるもんか。電線だってちゃんと絶縁カバーがついているではないか。」と,怪訝に思われることがあろうかと思います。
そこで,本日は,停電の原因,どうして停電が起こるのかについて,若干お話をさせていただきます。
昔から,怖いものの代表として,「地震・雷・火事・オヤジ」と言われておりますが,最近の電力会社の社員にとりまして怖いものは,「地震・雷・台風・カラス」だそうであります。
地震,雷,台風,カラスといいますのは,私ども電力マンにとりまして,停電の原因となる,確かに怖いものであり,天敵とも言える存在でございます。
平成17年度に広島営業所で起こった停電の原因とその件数を例に引いてご紹介いたします。
短時間停電,長時間停電というのがあります。短時間停電というのは,ほぼ1分以内の停電でございまして,営業所の配電自動制御室というところで,電気の流れを監視,制御をしておりますが,例えば,工事関係の人がレッカー作業中に過ってそのアームを電線に接触させてしまったと。
その時には変電所に設置しておりますリレーという装置が,自動的にそのことを感知しまして,電気を送るのをやめるようにしております。これは,皆様のご家庭に取りつけられております漏電ブレーカーと同じ役割を果たしておりまして,火災とか感電を防ぐためなのであります。そして,送電をストップしてから,30秒くらいしますと,もう一度電気を変電所から送り始めるわけであります。
そして,原因が自然に取り除かれ,そのまま電気が送れますと,復旧までにだいたい1分間かかるのでございまして,これを短時間停電と言っております。
対して,長時間停電といいますのは,電気を送っても,再び,ストップしたというものでございまして,1分以上の停電がこれにあたります。この場合は,電線が切れているとか,樹木が倒れて接触しているということが多く,現場へ急行いたしまして,原因を取り除き,復旧をするわけでございます。
17年度,広島営業所では,短時間,長時間停電の合計91件の停電がおこっております。
原因別では,やはり自然現象が多くて,20件でございます。17年度には,地震による停電は発生しておりませんが,台風等風雨によるもの,6件,雷によるものは14件で,季節的には,春雷の4月と夏場の7,8,9月が大半でございます。
さて,「雷が落ちて,どうして停電するのか」ということでございます。配電線には,雷は直接落ちないように避雷装置をつけておりますが,もし配電線近くに落雷した場合,雷は非常に高い電圧の電気の塊ですので,電線の電圧が急激に上がります。ところが遠方の電線の電圧はそのままですので,電圧の高いところから低いところへ大きな電流が急激に流れます。この異常電流により,途中のスイッチが壊され,被害はそこで止まるものの,電気が流れなくなり,停電することになるのです。
次に停電の原因として注目すべきは,鳥獣の接触であります。鳥獣とは,カラス,ヘビがほとんどでございます。
カラスは,電柱の上に取りつけて電線を支えている腕金というところに,巣をつくることがございまして,その巣の材料に,クリーニング屋さんの針金のハンガーを使っております。カラスはとても頭のいい鳥でございまして,ご家庭で洗濯物を乾かすために使っているこのハンガーをくちばしにくわえて持っていくのであります。この針金が電線部分と接触して,電気が地面に流れだし,停電を起こしてしまうわけであります。
また,カラスは,自分自身が,電気の通っているところへ接触したり,あるいは,くちばしでつついて,感電してしまうことがあります。すると,停電が起こってしまうわけであります。
ヘビによる停電は,電柱にあるスズメの巣をねらって,電柱に張ってある支線をハイ上り,あるいは電柱の足場を器用に伝ってハイ上り,電気の通っている部分に接触して,感電するものです。
あと,接触ということでは,樹木接触ということがございます。広島営業所では,17年度ありませんでしたが,北の三次営業所とかでは,これによる停電が,結構ございます。特に,春先,竹の子の生える時,この接触が多くございます。
樹木接近につきましては,日々のパトロールでチェックをいたしておりますが,定期的に,地主の方の了解を得て,配電線に樹木が接近しないよう,伐採をさせていただいております。
このように,私どもといたしましては,停電をしないよう,種々対策を講じておりますけれども,それでも自然現象や鳥獣によって,停電は起こります。まさに,IT時代と言われるような現代にありましても,私たちの仕事というのは,一種自然との戦いでもあるわけでございます。どうか,ご理解を賜りたいと思います。
いずれにせよ,電気というエネルギーは,社会インフラとして市民生活の根幹をなすものであることは,疑いの無いところであります。その電気を,24
時間,365日,絶え間なく皆様方に供給していくことに責任と誇りを感じ,日々の業務に取り組んでいるところでございます。
私どもは,電気を通じて皆様の生活,暮らしにお役に立ち,地域の発展にいささかなりとも貢献できればと,思っております。どうか,これからも中国電力をよろしくとお願いををいたしまして,私のお話とさせていただきます。ありがとうございました。
以上