- 本日のプログラム
- ゲスト卓話「赤十字とは?」
- 卓話者
- 日本赤十字社顧問、元広島県支部事務局長
曾山和彦 様 - ゲスト
- 米山奨学生 劉 蘭蘭(リュウ ランラン)さん
- 祝事等
- ・会員誕生日祝(2名)
・配偶者誕生日祝(3名) - 会長時間
- ・ロータリー親睦活動月間の説明(国際単位の登録制の親睦活動)
- 幹事報告
- ・BOX配布物→ロータリーの友・ガバナースレター
・最終夜間例会のご案内をメール又はFAXでお送りしておりますので、ご確認の上次週例会までに出欠回答を返信して下さい。
・次週例会プログラムの変更
ゲスト卓話を予定しておりましたが、故城本正昭会員の追悼例会に変更させていただきます。
・次年度地区大会の仮登録につき、未回答の方は回覧の出欠表にご記入下さい。 - 理事役員会
- ・本日例会終了後12階「ライラック」にて理事役員会開催
- 委員会報告等
- ・出席委員会=出席報告
・米山奨学生紹介=三嶋 弘カウンセラー
・舛岡会員=地区「女性ロータリアンの集い」報告
・美術同好会=第2回お宝市のご案内
卓話時間
ゲスト卓話「赤十字とは?」
日本赤十字社顧問、元広島県支部事務局長
曾山和彦 様
私に与えられた演題は、「 赤十字とは 」でございますが、赤十字ほどその名前が多くの人々に知られていて、その活動がほとんど理解されていない団体はありません。
赤十字事業の中で、病院の経営や献血に始まり、国の内外における災害救援・救護は、よくご存知と思いますが、その他にも各都道府県支部を通じてのボランティアの育成や活動、青少年赤十字の活動、救急法などの講習会の開催、更には、看護師の養成などその内容は、多岐に亘っていますが、その目的は一つ、人間の苦痛と死に対して戦うこと、即ち、人の命と尊厳を守り、人道の実現を目指す団体です。
「赤十字は、政府や国連の一機関である」と漠然とそう思っている人も多くいると思いますが、実は、全く単独の民間組織であり、他のどんな団体とも組織上・財政上の関係を持っていません。
ちなみに、「日本赤十字社」は、民法上の一般社団法人でスタートし、1952年の日本赤十字社法制定により、特殊法人として再スタートを切りました。
赤十字は、その誕生以来、常にボランティアを中心にして組織が作られて着ました。今日、医師や看護師をはじめとする多くの専門職員や事務職員が赤十字の事業に携わっていますが、その一方で、自らの行動によって参加されるボランティアは赤十字の組織を支える大きな柱となっています。(日本のボランティアは、約1,122万人)
また、赤十字がその活動を進める上で必要とする事業の資金は、赤十字に賛同いただく国民によって拠出されるお金や寄付金によって賄われています。
財政を支えている社費の提供者も、赤十字の組織を支えるもう一つの大きな柱です。(日本の社費協力者~約1,227万人と17万法人)
現在、赤十字社は、世界の独立国のほとんど全てに組織され、お互いに対等な立場で協力関係を保っています。 その数は、183か国に及んでいます。
次に、赤十字はどの様な過程を経て生まれてきたかについて触れてみたいと思います。
赤十字の誕生は、一人のスイス人青年実業家が遭遇した戦争の惨状がきっかけとなりました。
スイス人のアンリー・デュナンは、1859年フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の間で戦われたイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノの近くを通りかかり、4万人の死傷者が打ち捨てられているという悲惨な有様を目にしました。
デュナンは、すぐに町の人々や旅人達と協力して、放置されていた負傷者をどちらの兵士も差別せず、教会などに収容し手当てを施すなど懸命の救護を行いました。
救護に当たって彼は、「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない。」との信念のもと「人間は、みな兄弟である」と呼びかけ活動を行いました。
ジュネーブに戻ったデュナンは、自らの心に強く刻まれた戦争犠牲者の悲惨な状況をかたり伝えるとともに、1862年「ソルフェリーノの思い出」という本を出版し、その中で
(1) 戦場の負傷者と病人は敵味方の差別無く救護すること。
(2) そのための救護団体を平時から各国に組織すること。
(3) その団体が戦場で安全に活動できるように国際的な取り決め(条約)を締結しておくこと。~(後のジュネーブ条約として実現)
の必要性を訴えました。
この訴えは、ヨーロッパかく国に大きな反響を呼び、1863年赤十字国際委員会の前身である5人委員会が発足し、同年にはヨーロッパ16か国が参加して最初の国際会議が開かれ、赤十字規約ができました。 そして翌1864年にはスイス他15か国の外交会議で最初のジュネーブ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生したのです。
一方、日本では、1877年に起こった西南の役における多くの死傷者の惨状に心を痛めた佐野常民が、日本にも赤十字と同じような団体があればと、活動を始めました。
旧佐賀藩出身で元老院議官であった佐野常民は、西南の役の10年前、パリで開かれた大博覧会を視察し、ヨーロッパ諸国に戦時負傷者救護団体である赤十字の存在を知っていました。
1877年佐野常民やこの活動に賛同した大給恒元老院議官の努力が実り同年5月に博愛社が設立されました。
この10年後、博愛社は、日本のジュネーブ条約の加入により、日本赤十字社と社名を変更し、1887年9月に赤十字国際委員会から承認され、正式に国際赤十字の仲間入りをいたしました。
こうして誕生した赤十字が、誰からも信頼され、安心して活動できるためには、赤十字として守らなければならない原則が当然あります。
1965年にウィーンで開催された第20回赤十字国際委員会で「赤十字基本原則」が決議され、宣言されました。
赤十字基本原則は、赤十字の長い活動の中から生まれ、形作られたものです。「人間の生命は尊重されなければならないし、苦しんでいる者は、敵味方の別なく救われなければならない」という「人道」こそが赤十字の基本で、他の原則は、「人道の原則を実現する」ために必要となるものです。
ちなみに、その他の原則は、公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性です。