- 本日のプログラム
- 会員卓話「在外原爆被爆者の現況」
- 卓話者
- 土肥博雄君
- 担当
- プログラム委員会
- 黙祷
- ・広島東RC所属 古川浩司(ふるかわ ひろし)会員(芸備倉庫株式会社代表取締役社長)が、4月11日ご逝去されましたので謹んでお知らせいたします。(74歳)
- 会長時間
- ・米山奨学生受入の礼状紹介(ガバナー、地区米山委員長より)
(受入学生・カウンセラーは理事役員会議事録参照)
・公共イメージの向上についてのアンケート(ガバナーより)協力願い - 幹事報告
- ・BOX配布物→4月理事役員会議事録・次年度委員会所属表(案)
- 委員会報告等
- ・出席委員会=出席報告
・社会奉仕委員会=愛のコイン箱
・次年度幹事より
○次年度クラブアッセンブリー開催のお知らせ(関係者のみ)
○地区協議会のお知らせ(関係者のみ)
卓話時間
「在外原爆被爆者の現況」
土肥博雄君
在外原爆被爆者の現況
在外の被爆者健康手帳保持者は表―1の如く約3600人である。内訳は韓国約2,420人、アメリカ合衆国約850人、ブラジル約140人、その他32カ国約250人である。
在外被爆者の健康管理に関しては、官、民で行われており、国によって歴史的に異なった背景を持っている。
また厚生省は在外の被爆者による手帳取得を容易にするため、広島。長崎で申請するための旅費を支給することとなった。その結果、平成14年以後は手帳取得が増加し現在278名が新たに健康手帳を取得した。
1.韓国の健診事業
1971年(昭和46年)から1989年(平成元年)まで19年間で延べ16次の医師団が派遣されている。 これは核禁会議によるもので、広島大学、広島市内の市中病院の医師等が参加し、毎回数名の医師団と同盟の事務職員を派遣した。(陜川、ソウル、釜山)
官主導による在韓被爆者の渡日治療(広島、長崎に来日してもらい、原爆病院で健診、治療する)は両国政府の合意に基づき、1980年(昭和55年)11月から1986年(昭和61年)9月まで計19回行われている。しかし、1986年(昭和61年)11年11月に、韓国政府からこの事業を廃止する旨通告があり、これまでの渡日治療は中止となった。その時点で日本政府は1989年(平成元年)に国際機関等拠出金として4200万円、1991年に17億円、1993年に23億円の計40億円が大韓赤十字に拠出されている。
2.在北米被爆者健康診断
在北米被爆者による10年以上に渡る熱心な運動の結果、厚生省(当時)による広島県医師会と放射線影響研究所の共同事業として発足し、第1回は1977年に派遣され岡田泰二団長の下、健康相談のみから始まった。以後隔年に行われており、現在まで続いている。
3.在南米被爆者検診
在南米被爆者検診は外務省、厚生省、広島県、長崎県によりブラジル、パラグアイ、アルゼンチン、ボリビア、ペルーに対して行われており現在も続いている。第1回は1985年で三橋昭男を団長としブラジル、パラグアイ、アルゼンチンから始まった。第2回は門前徹夫が団長でボリビア、ペルーが加わった。以後隔年で行われて来た。第10回に当たる2003年からは厚労省の補助事業として広島県、長崎県が実施している。
4.北朝鮮の事情
私は平成13年3月13日から17日まで在北朝鮮被爆者実態調査団として北朝鮮を訪問した。そこで分かったことは、被爆者として把握されているのは1353名で内生存者は928名であった。しかしその後、お互いの事情でコンタクトが取れず、以後の状況は不明である。
5.その他の放射線被曝問題
1)私は1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故に対してIAEA(国際原子力機構)の健康調査の一員として1990年に健診団に加わった。本年には20年となる。その結果判明した広島・長崎とチェルノブイリの違いは広島、長崎では一回の放射線被曝で白血病が多発し、その後10年位から癌が発生しているがチェルノブイリでは小線量長期被曝であり白血病は多発せず、小児の甲状腺癌が発生していることである。
2)セミパラチンスク
1.1949年から1989年まで468回の核実験が行われている。
2.実態はソ連の崩壊まで全く隠蔽されていた。
3.1957年第4診療所が設立され健康調査が開始された。当初非公開だった資料は1991年からは公開されるようになった。
カザフ放射線医学環境研究所の所蔵するデータは線量別住民リストとして高線量被曝群(ドロン村等)、中等度被曝群、セミパラチンスク住民、低線量被曝群、コントロール群となっており死亡データや健診カルテが含まれている。日本の科学技術省も取り組んではいるが、アメリカのバブテスト協会など、ボランティア活動も著明で、充分な科学的調査なされていない。今後に期待される。